故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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絵のタイトルは、「めんそーれ」です。
屋根の上や門の上で、来るもの去る者に幸あれと願ってくれてるようです。
今日のタイトルは、「わかってもらえぬか」です。
繰り言は、年寄の専売特許かと思いきや、
若いものも同じじゃった。
世間を知らぬばかりに、若者の悩みは深く漠然としている。
想いのはけ口を弱いものへぶつける。
友達だったり、母親だったりする。
あなたのことを一番心配している人に拗ねて見せる。
世間の荒波に揉まれるうちに、悩んでいるのは自分だけじゃなかったと気づく。
できたと思った友達の幾人かに裏切られる。
いわば弱肉強食。負けてられるかと頑張る。
食わなきゃ生きていけないから、歯を食いしばる。
そんな風にみんなが生きてきました。
「わかってもらえぬか」と、悔しくて目が覚める。
地域おこしの仕事について三年が過ぎようとしてる。
地域の問題点は、コミュニケーション不足にあるんじゃないかとこの頃思う。
どこやらの成功例をコピーしようとしてもうまくいかない。
安直で簡単な解決方法などない。
「見て聴いて話す」はずなのに、
都合の悪いことには、目をつぶり耳を塞ぐ。
言いたいことを堂々と言わない。また言えない。
退職したい人の手助けをする業者がいるという。
勤めている会社に、理由を言って辞めることが煩わしいのである。
「外側目線で、内から発信」などと、地域の問題点をよそ者に依頼する。
国の税金を使って地域おこしをしてきました。
私は、評価される立場です。
税金の無駄遣いだった。
いや、それなりによくやった。
税金は、無駄ではなかった。
地域に波紋のようなカフェを開店した。
点から点の生活をする人たちの立ち寄り場所になったでしょうか。
任期三年が過ぎようとしている。
どうするのかと聞かれる。
もう、三年はカフェを続けると答える。
赤字(投資分)のままでは終われない。
結果(利益)を出さなければ、後のものにも引き継がれない。
コミュニケーションは、人が集うことで始まる。
人を訪ねることで磨かれる。
皆が、生活のために仕事を持っている。
そんな中でも無償で地域の草刈をする。
あぜ道のような道を整備する。
私は、似顔絵を描いてきた。
人々の美しいところを見つけようと描いてきた。
思わぬ笑顔に描いてもらったものが喜んだ。
その似顔絵を額に入れて、身近に置いてくれている。
それこそ、私の望むところです。
コミュニケーションは、息をするようなもの。
笑って泣いて癒されて、そんな場所があったらよい。
きっと、足りなかった何かに気づき、何かが始まると信じている。
「わかってもらえぬか」でした。
嘆くより、一人でも新しい友達ができたことを喜んでいる。
時期が来て 芽を出し萌えて 花となる
2019年2月26日
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16歳で亡くなった飼い犬のジンです。
亡くなる一週間前に描き上げました。
まだ死んでないのに、これは?と家族からブーイングでした。
今日のタイトルは、「掃除」です。
亡きかみさんとジンのストーリーから始めましょう。
ジンは、室内で飼っていました。
かみさんは、掃除機よりほうきで掃くのが好きでした。
掃除機では、部屋の隅のごみが取れないというのが理由でした。
塵取りでとるのは、掃除の後半でした。
あちこちに、ごみの塊ができていました。
ジンは、掃除が始まるとほうきの動きを追って、走り回ります。
ところどころにできたごみの塊に足を滑らしすってんころり、
そのまま部屋の隅まで滑っちゃいます。
当然、集めたごみも元の木阿弥です。
集めたごみを一回ずつ塵取りで取ったらと進言します。
最初は笑っていたかみさんも、ジンの繰り返すダッシュとズーッに頭にき始めました。
怒って追いかけると、ジンは喜んで逃げ回ります。
他の塊もいつしか元の部屋の隅に行っちゃいました。
だから、履いた後塵取りで取ったらと言ったでしょう。
そんなに言うんなら、掃除が上手なあなたがすればよいでしょうと、
かみさんは掃除を放棄しました。
火がついたかみさんは、私の悪行のオンパレードとなりました。
ええ、どうしてそうなるの。
だって、あんたが悪い。
ジンと私は、ちっとも悪くないのよ。
いつしか、私が悪いことにすり替わっていました。
「掃除」でした。
進言が なぜか震源 止まらない
2019年2月25日
(投稿後)
掃除が下手なのは、頭が悪い証拠とどこかで聞きました。
口が裂けても言えませんでした。
そういう私も、捨てられないごみの中で小さく生きています。
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絵のタイトルは、「話に花が咲く」です。
現代人に欠けるのは、コミュニケーション力です。
大阪のおばちゃんに負けじと、大いに磨こうではないか。
約一週間の旅でした。
妻は、広島に行きお母さんと友達に会ってきました。
私は、東京・神奈川・千葉で連日人に会いました。
今日のタイトルは、「見る聞く話す」です。
人に会うのは楽しいけど、労力と経費がかかります。
人に会うのは、目的があるからです。
会ってくださる方も時間を作ってくれます。
便利な世の中になりました。
会うことは、とても大切なことです。
電話でもメールでも伝わらない。
会って、相手の表情を見れば多くのことがわかります。
会話をすれば、なおわかります。
年齢を重ねれば、聞くことよりも話すことが多くなる。
どうしてそうなるか。
毎日家にいて、テレビを見て家族と話す。
仕事を離れて数年すると、情報が極端に少なくなる。
見ることと聞くことはできるが、飽きてしまう。
話すことは、相手がいなければ成立しない。
つまり、年を取ると話すことに飢えていると言ってもよい。
若い時は、洪水のような情報を見て聴いて処理してきた。
歳をとると、見て聞いて情報を処理する必要が少なくなってくる。
その方面の能力が落ちてきているのである。
読書は、目を使い脳で読む。
この頃は、一ページも進むと眠くなる。
段々と本から遠のいていく。
したがって、自分勝手な理由で話すことが多くなる。
人に会うことで、それは改善される。
会話は、聞いたり話したりである。
その合間に表情を見る。
実に多くの情報を一瞬に処理するだけに、忙しいのである。
会うためには、連絡をしスケジュール管理をしなければならない。
出かけるために、歩いたり交通機関を使う。
駅の階段で体力の減退を痛感するのである。
切符を買うのもまごまごしたが、スイカがあれば簡単に改札を通り抜けられる。
人に会うことを勧める。
年齢に関係なく、人に会うことである。
意中の女性だって、仕事の関係だってかまわない。
コミュニケーション力を落としているのは、まさに自分自身である。
英語を勉強する必要なんてまったくない。
英語を話す人と会うことです。
へたくそな英語でも、英語が話せる相手が正しくしてくれ、理解してくれる。
英会話を勉強してから外国へ行こうなんて思わない方がよい。
まず外国へ行って、それから英会話を学べばよい。
団塊の世代の世話を誰がする。
ひょっとしたら、団塊の世代のお兄さんや弟かもしれない。
胃がんを患って胃を切った。脳血栓で一命をとりとめた。
苦しいリハビリを乗り越えて生きている。
こんなお兄さんがたくさんいます。
世間の厳しさを団塊の世代から教わった弟がいます。
あなたの辛さがわかるから、手伝うか。
私たちは、兄弟なんだから。
「見る聞く話す」でした。
便利さゆえに忘れられた能力の減退を解消するのは、
忙しいけど、大変だけど人に会うことです。
電話より ましてやメール 笑顔でしょ
2019年2月24日
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絵のタイトルは、「どちらも咲いた」です。
毎年、池のそばに咲く桜を楽しみにされています。
今年も見られるかな。
今日のタイトルは、「文章を書く(Part2)」です。
文章を書くことを大事にしています。
2018年7月4日投稿記事「文章を書く」では、
私にとって、「文章を書く」ことは、
悩んでいることや気にかかることを、いったん整理する作業のようである。
今考えられる限りの文章を書く。
整理がついた(気が済んだ)ことは、脳の棚に自動保管されます。
またある時、その棚から引っ張り出されることもある。
忘れてしまいたことや、思い出せないことはそのままお蔵入りです。
それでよいと思っています。
(記事より抜粋)
文章を書くことが孤独から脱出する手段になると、
NHKの番組で見ました。
地縁・血縁は薄くなるばかりです。
仕事縁だけにすがるように生きています。
定年が65歳まで延長される。
40年以上、仕事縁に縛られることになります。
仕事は、どうしても上下関係がつきものです。
自分だって、偉くなるかもしれない。
地域で求められているボランティアには、年齢も肩書も関係ない。
仕事から解放されても、染みついた仕事根性からは抜けられない。
近所にも地域にも出かけない。
家にいる時間が多くなる。
家事一切を奥さんに任せてきた。
仕事をしているうちは良かった。
仕事がない今、どうして過ごすか悩んでしまう。
悩みを解決する糸口が見つからない。
そんな時に、文章を書く。
人と話せないなら、自分と話す。
過去の自分でもよいし、未来の自分でもよい。
自ら思うことを文章にする。
これが、孤独から脱出する第一歩です。
案外、書けぬものです。
定型の報告書を書くのは上手でも、心情を吐露する文章は恥ずかしくて書けないものです。
それでも毎日書く。
きっと、悩んだことは整理がついて、人と話すときの起爆剤になり、
自分の内面を豊かにする。
正直に書く。
己がどんなにちっぽけなものか、想像がつく。
家族に優しくなれるかもしれない。
自分でもできることがあるんじゃないかと、探すようになる。
ためらわずやることです。
仕事の時は役割があったけど、家庭では役割なぞ捨てた方がよい。
どちらかが先に病になったり、逝ったりするかもしれない。
共に倒れることもできない。
ある日気づくはずです。
一年前とは、意識が変わったな。
少しは、前向きになってるじゃないかと。
堂々巡りの孤独から抜け出るチャンスです。
陽だまりで 絵も文もかき 恥もかけ
2018年2月14日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a6/b2975843029e7d98937b5134806adce5.jpg)
絵のタイトルは、「母ちゃん、父ちゃん遅いね」です。
我が家のリーダーは、今日も飲んでるのかな。それとも仕事かな。
今日のタイトルは、「一生懸命と結果」です。
仕事をしている人は、ほとんどの人が一生懸命です。
自分なりに努力をしています。
昨日、ゴルフに行きました。
結果は、散々でした。
身体の調子が良い時に、練習をした。
そのまま行けるものと、打った。
風が強かった。ことごとく曲がった。
グリーン上でも風に流された。
朝早く、グリーンは凍結していたから乗ってもこぼれた。
身体が疲れていた。寝不足だった。
状況が次第にわかってきても、修正できなかった。
帰路に速度違反で捕まり、1点減点の反則金12000円を支払うことになった。
勝負は、時の運。
一生懸命やった人だからこそ、言わぬ言葉です。
どんな時でも結果を出さなければならない。
一生懸命やっていれば、仲間にはなれる。
しかし、結果を出さなければリーダーにはなれない。
グループは、リーダーに生死をゆだねるのです。
毎日が出たとこ勝負です。
一生懸命やったとしても結果が出ない。
目標が高いのか、やりかたが合っていないのか。
未来予測が間違っていたのか。
いつも通りの一生懸命を繰り返すうちに現状が見えてくる。
自分に対処する引き出しがなければ、必要なものを揃えるために頭を下げる。
それができるかを問われている。
小さくてもよい。
とにかく結果を出すことです。
次の一生懸命の原動力になるからです。
後ろを向いていたのでは、けっして結果は見えない。
前を向くから、目標と現状のギャップに気づくのです。
一生懸命の仲間の中からリーダーは産まれる。
仲間の誰もが、一生懸命の姿を知っている。
巣立つ日を 夢見て育て さらに生く
2019年2月13日