故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
傷あればこそ熟す。
こう思いたい。
今日のテーマは、「しこり」です。
第二次大戦後、戦勝国への補償で、
オランダと最後まで交渉が上手くいかなかった。
インドネシアへ侵攻し、石油を確保しようとした日本軍。
当時の支配者オランダとの戦争は、短期に終わり、オランダ軍は捕虜となった。
捕虜となったオランダ人は、インパール作戦のための鉄道の苦役に使われた。
オランダの日本に対する感情は最悪であった。
日本軍の兵士とオランダ人女性との間に生まれた、
日系二世の話はすさまじかった。
日系であることを隠して生きてきた方が多かった。
日系であるがために迫害を怖れた。
しかし、多くの方は差別された。
中には凌辱された女性(子供)もいた。
戦後長い時を経て、日系の方達の父親捜しが始まった。
憎いけど、自分が現在あるのは、父親がいるからと探した。
やむなく引き上げた日本兵も自分が残した家族を探していた。と知った。
その中のある日系オランダ人女性が言われた言葉が、印象に残った。
「憎しみを、次の世代に残さないために」
補償は、思わぬ形で実現することになった。
秋田県八郎潟の干拓事業の技術料の名目で補償することに、
オランダは同意した。
干拓事業が終了した翌年から「減反政策」が始まった。
全国から集まった優秀な人たちの葛藤と苦悩は、今でも続いている。
戦争の傷跡は、何世代にも渡り連鎖される。
その傷跡を掘り起こし、精神的に克服するのは容易なことではない。
表に出てくる話は氷塊したように伝えられるが、
多くは未だに闇であると想像される。
私達は、何があったのか知り、真実と向き合わなければならない。
傷跡を 隠すことなし 誰も知る
2017年11月30日
あなたのそばが好き。というタイトルの絵です。
建物の前に座っていました。
のびやかな脚に魅かれて描き始めました。
邪心や作為が入り、見事な脚を表現できませんでした。
先輩の飯は、何でもごはんの上に載せて掻っ込むです。
職人は、速くそ早飯が当たり前と威張っておられました。
ところが、手術をされ、スケジュールを埋めたくなってからは、
腹が減らなくなりました。食事も時間がかかるようになりました。
今リハビリ中です。
今日のテーマは、「腹が減った」です。
各種各様の欲望の中で、一番単純で速攻で解決する欲望の一つです。
小学生の時、遊びに来た同級生5人に、母がカレーライスをご馳走しました。
瞬く間に、一升飯が同級生の腹に納まりました。
4杯目、五杯目の皿にかぶりつく。
その後、何でもなかったように遊びに夢中になりました。
開高健のオーパでは、
一時間、幸わせになりたかったら 酒を飲みなさい。
三日間、幸わせになりたかったら 結婚しなさい。
八日間 幸わせになりたかったら 豚を殺して食べなさい。
永遠に 幸わせになりたかったら 釣りを覚えなさい。
(抜粋)
と書かれています。
結婚より幸せになれるのが食欲であることに、感動したのを覚えています、
未婚の時だったから、衝撃でした。
同氏の日本三文オペラでは、
もつに難儀している主人公に、
「おっちゃん。コツはやな、かまんと呑むこっちゃ。
かむのはお愛想や。歯があるねんよってにな、
やっぱり顔たてたらんといかん」
(抜粋)
と、いかにも憎たらし気な子どもが、手ほどきするのであった。
ここでは、子供でも世間の荒波にもまれて生きる術に、
すでに長けていることである。
生きるためのエネルギーのすべてを補充するのが、食べることである。
先輩は、「腸ろう」(400Kcalを直接腸に送る)を外すのが怖かった。
400Kcalを口から入れて消化することが、どれほど大変なことか。
ある日、腸ろうの管が内蔵に癒着した。
再度手術するより、取りましょうと医師があっさり決めてしまった。
胃袋を掴んで離さないのが、出来た女房の生き道です。
私もその口です。
腹減った 化粧するより 飯食わな
2017年11月29日
原題は、「夫唱婦随」です。
定年過ぎたら、「婦唱夫随」でちょうど良い。
今日のタイトルは、「死んだら困る」です。
さて、妻に「死んだら困る」と思われている人は、
どの位いらっしゃるのでしょう。
この数は、60歳(定年)を過ぎると、極めて少ないかもしれない。
特に、夫婦共働きの家では、妻の怨念は凄まじいものがあることでしょう。
妻の40%の方々が、夫と一緒の墓には入りたくないと言われます。
山手線の網棚に忘れたふりをして、夫の遺骨を置いてきたい。
とある妻は言われます。
親父の真似をして、夕方7時に帰宅し俺様の酒のあてを作ってなどと
言おうものなら、「ふざけんな」の一言をもらうこと必然です。
妻は、子どもの世話で手一杯なのでした。
従って、22時を越えて子供が寝た頃帰宅する。
これも危険な思いつきでした。
核家族、夫婦共働きとなってからは、妻の負担が増え続けています。
大家族の頃は、大きい娘やおばあちゃんもいました。
だから、親父は飲んでいられた。
仕事人間や単身赴任も、妻の側からは「NG」です。
相談したい時、助けてほしい時いないからです。
60歳で再婚し、二人だけしかいないけれども、家事は大変です。
大変なことだと知っただけでも救われました。
淹れてくれたお茶に、「ありがとう」と言います。
主婦がしたかった。
と再婚する時に妻が言いました。
捨てられたくない夫は、料理教室に通い、家事の真似事をします。
いえいえ、先生は妻でよいのでは。沽券にかかわりますか。
現在は、カフェを二人でやっています。
私は、助手のような役割です。
毎日習っていますが、覚えの悪い出来損ないです。
よろしくお願いします。
山手線の網棚に置かれたくありませんものね。
永年の 恨みつらみの 老後かな
2017年11月28日
墓地にある小堂です。
墓参りに来られた方たちのお休み処です。
お前はまだやることがあるだろうと返されました。
またまた、やることがいっぱいになってきました。
スケジュールは自分で作るもの。
面白ければ、さらに忙しくなり、
面白くなければ、白けさせてしまう。
60歳を過ぎて再婚することは、子を捨て親も捨てることと知る。
今日のテーマは、「潔く生きたい」です。
己の人生の神判は、他人がすることと割り切っています。
けっして褒められるような生様ではありません。
何故かは、自分が一番良く知っています。
岐路に立ち、多くの間違いをして来ました。
許してほしいと誰に言うでもなく、開き直るように生きています。
卒業し、50年後に再会した、高校の同窓会は衝撃でした。
きれいに生きた者、それなりに生きた人、何かあったなと分かる人と
さまざまでした。
どんなに優秀でも、美しくても誤魔化しは通じないんだなと知りました。
心根が美しければ、笑顔が素敵です。
刻まれたしわの一つ一つがアクセントです。
悔やんでも、過去には戻れない。
戻ることが出来たとしても正しい選択ができたかどうか怪しい。
これしかなかったと思うしかない。
終わったわけじゃない。
何が真実か。解ったわけでもない。
朽ち果てるまでの残された時間をどう生きるかだけは、選択の余地がある。
ひたすら、潔く生きたい。
2017年11月27日
うふふ、おほほと楽しみたいものです。
今日のタイトルは、「平常心」です。
いつになく、ゴルフが好調でした。
先輩から電話があり、今日東京を出て15時頃着くと連絡があった。
と、ラウンド中に妻から電話。
最後には、悪い癖(我を忘れる)が出て最小スコアとはいかなかった。
家を片づけ、反省会に出席し、カフェを夜7時に再オープンしたころに、
お客さんと一緒に先輩が到着された。
大勢の酔っぱらいに先輩夫婦もきょとんとされていた。
どんどん増えてくる酔っぱらいたち。
そりゃ大変と、友人がつまみ持参で手伝いに来てくれた。
酔っぱらいを家まで送り、三次会の会場に送り、
そして残ったものは三々五々帰って行かれた。
先輩夫婦と話す間もなかった。
片付けて帰宅したら、先輩はよく寝ておられた。
急に何かが起こる。
ゴルフではよくあることです。
悔やむ暇もなく、次の最善手に挑戦する。
最善手を選べるか、学んだとおりできるか、
頭はクールで身体は目いっぱいを心がけます。
挑戦して失敗しても、気にならない。
先輩は、何も話されないが顔が満足されていた。
来てよかった。と顔に書いていた。
よく来てくれました。
洗濯の途中に、台所で書くことになったが、それもよし。
ご飯を炊いて、そろそろ妻を起こす時間になりました。
嫁ぐ日に 朝餉のしたく 明日からも
2017年11月26日