故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「菰の雪囲い」です。
来年も見たいから、せっかく植えたのだから大事にしよう。
最初は、雪にやられないよう藁をかけただけだったかもしれない。、
だんだんと、工夫を重ねた。
冬の風物詩。
アートに見えるから不思議です。
6時半の説教(法要)に間に合うように、4時に起き朝ご飯を作る。
7時には、あさじ(適当な漢字を思いつかない)が終わり、しばし休む。
お寺から遠くないところに、借りた畑(1反3畝)がある。
夏の間、刈れなかった草が自重で倒れ、茎は地を這い、そしてもう一度頭をもたげる。
やめとけばよいのに、上に伸び50cmの高さになっている。
茎が地を這うと、刈るのに2倍の労力を要する。
茎が倒れたのを掬うように切ると、力がいる。
茎が倒れた反対方向から刈ると、仕上がりはきれいだが時間がかかる。
今日のタイトルは、「とにかく楽になりたい」です。
草刈りは修行のようなもの。
剣道の朝稽古と同じです。
仕事も同じ。
「楽になりたい」が正直な気持ちです。
0.7リットルの草刈り機のタンクに3回補充する。
一回にしておきなさいとタンクの容量は決まっている。
1回の補充で、約一時間の草刈りができます。
3回戦は、きちがい沙汰です。
3回戦を二日続けても、目標の1/3です。
夜には、筋肉痛で眠れないので、サロンパスで消炎する。
サロンパスの消費量が多いので、痛みだけを緩和する徳用にしている。
上の草を刈ったら、地面には他の草が芽を出している。
一年刈り続けたら、植生が変化しました。
背が高いセイタカアワダチソウは消え、くっつきもちの草も消えました。
地を這っても生き延びる草ばかりになりました。
刈るだけじゃつまならないと、ハト麦をうえました。
一緒に植えた8種の和ハーブ類は、草と共に消えました。
残ったのは、えごまとハト麦です。
選んだ黒エゴマは、背が低く10月になろうと言うのに種を付けません。
ハト麦茶が高いので、自家栽培しようと植えました。
順調に育ちましたが、整粒(実が入っている)の歩合は、2%程度です。
花はたくさんつけたが、実がならない空さやばかりです。
これは、押切で刻んで有機肥料にするしかありません。
水分が不足したのでしょうか、肥料不足でしょうか。
リベンジは来年です。
妻は収穫量にはがっかりしたが、手間が省けた分安堵の様子です。
あと2/3の草刈りが残っています。
三日連続の草刈りはやめておきます。
今日は、早朝にお寺に参るだけにします。
楽になることはありません。
楽になりたいと草刈りを続ける。
仕事は、対価がありました。
草刈りは、次の仕事をしやすくするための作業です。
仕事も草刈りも地獄です。
けっして楽になることはない。
この地獄を選んだのは自分です。
刈った草が枯れ、さて何を植えようか。
湯治場の温泉に入るのを楽しみに農作業をする。
こんな気持ちでしょうか。
2024年9月28日
「とにかくーに」とは、
あれこれと。何やかやと。
それはさておき。何にせよ。
ともかく。
(広辞苑より)
写真のタイトルは、’’Dom’’です。
ザルツブルグの教会の地下に眠る司教の墓をしめやかに、おどろおどろと照らしていました。
写真のタイトルは、「お盆祭り」です。
先祖を弔うのに、にぎにぎしく躍動していました。
義父の11回忌で、坊主の説教を聞いた。
100歳を超える人は、現在9万人という。
昭和38年(うろ覚え)の153人に比べ、なんと600倍だそうだ。
和尚が言う。
長生きの秘訣と聞かれ、「わかりません」と答えた老人がいた。
これこそ、素晴らしい答えだと和尚は感銘した。
病気を受け入れ、苦難(地獄のような)と共に生きてきた。
一日を大切に生きていたら、周りより一人だけ長生きしていた。
そういうことらしい。
さすが、説教上手である。
分かりやすい例え話から、法話の話に導く。
和尚が仏間から廊下に行き、廊下から段に降り、外に出た。
この辺りでは、廊下の外に石や木でできた段がしつらえている。
和尚は、玄関から入室することはなく、この段から出入りする。
皆で、食事をしたあと、お供え物を姉妹で分けた。
中に、ハスの花の落雁(今日のタイトル)があった。
子供の頃、お菓子に飢えていた。
落雁は、慌てて口に入れ、上あごにくっつくものだと覚えている。
なんで、お供え物に落雁なの?
砂糖は貴重なもので、美味しいものの代表格であった。
お供え物にして、先祖に敬意を表したものであろう。
落雁の原料に、糒(ほしい)が用いられた。
戦時において、糒は貴重な食料であった。
戦(いくさ)がなければ、備蓄した糒も持ち腐れである。
古くなった糒の再利用にもなった。
落雁の乾燥に、焙炉(ほいろ)を使った。
原料を型にはめ(打物)、蒸した後、焙炉(パンであれば、35℃ー40℃、湿度70%)で
乾かすのは理にかなっている。
水分が抜けきるには、どのくらいの時間がかかるのであろう。
最近では、落雁の代わりに砂糖そのものをお供えすることもあるとか。
遺族の供物の使いやすさを考えた結果であろうか。
仏事は、普段会わぬものが一堂に会する。
ご馳走をいただき、談笑する。
近く(呉)に帰ってきた義娘もやってきた。
2024年9月27日
落雁とは、
空から舞い降りる雁。
打物の一種。米・麦・大豆・小豆などの粉を主原料とし、砂糖・水飴・微塵粉(みじんこ)でねり、
型に押し込んで焙炉(ほいろ)で、また自然に乾かしたもの。
(広辞苑より)
絵のタイトルは、「山国川魚昇る」です。
いつも魚道を昇ってきました。
自然の流れをエイやと昇り、戻され一瞬流れに身をまかす。
なんと気持ちのよいこと。
朝晩涼しくなりました。
秋到来と喜んでいたら、まだまだ暑い日が続くようです。
野菜の水やりの手が抜けない。
畑の草たちは、種を付け始めました。
落とされては大変と、刈り続けています。
刈ると虫が出るのか、赤とんぼが群れ飛んでいます。
赤とんぼの羽は朱色ばかりです。
中から赤色のものが出てきたら、恋の季節の始まりです。
今日のタイトルは、「焦らずとも生きていける」です。
私は歩く報道が嫌いでした。
エスカレーターも同様で、空けている右側(大阪は左側)を人々がどんどん追い越していきました。
急いでも休んでも、やることに変わりはありませんでした。
目的地に早くついても、能率は上がりませんでした。
人込みから早く抜けたかった。
今は、誰も通らぬ里道の草刈りをしています。
なにも植えぬ畑の草刈りをし、耕しています。
能率や効率からは、およそかけ離れた暮らしです。
草を刈るものには、もう新芽が生えてきたと見えます。
刈らぬものには、枯草の下から出た新芽は見えません。
私の生活がそうでした。
汚れてもまとめて掃除すればと、少々のごみは気になりませんでした。
性分なのか、落ちているごみを拾ってしまいます。
いつかは、誰かが拾うであろう。
誰からもやれとは言われません。
草の新芽が、どんどん成長します。
伸びすぎて、刈りにくくなるのが嫌で、適当な時期に刈っています。
雨が降って、草が立った時を狙って切っています。
やはり、効率なのでしょうか。
畑にテントを張って、暑さをしのぎながらお茶をしています。
かつては見えた海や多島美が、雑木に遮られるのが嫌で伐っています。
それだけのことです。
汗をかくのが日課です。
勤めていたころは冷や汗も混じりました。
今は、疲れを誘(いざな)ってくれる汗になりました。
糖尿病予防のためです。
二の次にしていた暮らしがとても大切なことだと気づき始めました。
勤めているとき気づいていればと思います。
2024年9月25日
絵のタイトルは、「私かわいい」です。
おじいちゃん、未来ってなーに。
未来だらけのこの娘に何を言っても笑われる。
かわいい私には、満載の未来です。
かの国は 台風までも 押し返す
今日のタイトルは、「試される」です。
一週間分まとめてやろう。
洗濯、掃除、そしてメニュー(毎日の献立や行動計画)作りです。
こんなことは、とうに不可能です。
リカバリーは、もっとも遠い言葉となりました。
今日出来なかったら、明日もできない。
できない分だけ身体に現れます。
体力より先に気持ちが塞ぎます。
全部はできないが、少しだけならと草刈りを続けます。
3時間もやったら、気が済みます。
それより、もう身体が動きません。
背中に残る重たい疲れや、何の凝りかわからぬまま、払しょくするように作業を始めます。
あら、なんとかなるじゃないと頑張ります。
頭が働き始めます。
すると、欲が出る。
もっとできるんじゃないか。
若い時は、試されるのは他人からでした。
今は、もう一人の自分です。
おまえは、こんなものかと、煩い(うるさい)やつです。
嘘の上塗りもリカバリーもできなくなって、もう一人の自分との対話が増えました。
大いに助けてもらっています。
墓場まで持っていこうと思っていたことも、忘れたかのように暴露されます。
開き直るように、笑い話にすり替える。
そんな芸当ができるようになりました。
あと20年の未来はどんなものでしょう。
まだ生きるのか。
これまでの未来と違うのか、一緒なのか試される。
2024年9月24日
絵のタイトルは、「トマト誰の子」です。
育てた人のもの?
それとも食べる人のため。
ナメクジでも虫のためでもない。
トマト自身の子です。
私たちは、トマトが育てた実をいただきます。
今日のタイトルは、「毎日書く」です。
ポットに種を播き、水をやる。
水をやると、水分を求めていろいろな虫がやってきます。
緑の葉を見つけて飛んできます。
定植するまでは、油断がなりません。
この夏は、日照り続きでした。
毎日、朝か夕方に野菜に水をやりました。
井戸水を汲んで、野菜にかけても、1時間もかかりません。
野菜は、水が足りると新芽を出し実になる花を付けます。
足りないと生命維持だけに専念し、次世代(新芽や花)のことまで至りません。
水分が足りないと野菜は葉を丸め、虫の餌食になります。
足りていると次から次に新芽を出し、少々虫に葉をかじられても元気です。
水分がないと、リンゴは実を落とします。
ミカンは、自分が枯れるまで実に栄養を送り続けます。
人生の悲哀と縮図を見るようです。
年齢を重ねると、色々な機能が低下します。
中でも、脳が退化するのが一番怖い。
コミュニケーションをとる。
文章を書き、絵を描き、音楽を奏でる(指の運動もかねて)、汗をかくなどやることはいっぱいあります。
言わば、どれも億劫なことばかりです。
毎日欠かさずやる。
これが出きません。
やらないのにぼやく。
なかでも文章を書くことは、とても良いことです。
何かのテーマで書くと、自らの足りないことに気づきます。
七転八倒がちょうどよい。
食事を作り食べる。
汚れたものを選択し、収納する。
床を掃き、汚れた食器を洗い片づける。
暮らしのなかに、気づきのメモがある。
膝の関節を滑らかにし、筋肉を躍動させる動機になります。
でも続かない。
こんな毎日です。
2024年9月19日
(あとがき)
会社に勤めている頃は、休みたいと思いました。
今はスケジュールが埋まりません。
嘆くことをやめて、若い人に勝る唯一の「時間がたっぷりある」のアドバンテージを活かしています。
効率など2の次です。
(筆者)