故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

草を抜いたら、気持ちが晴れた

2018-04-29 09:37:50 | プロジェクトエンジニアー

人生判らぬことだらけです。
タイトルは、おーいです。
聞きたい気持ちでいっぱいです。


今日のタイトルは、「草を抜いたら、気持ちが晴れた」です。
私の地域おこしの原点は、「価値を高める」です。
誰もが、「おらが村」の自慢をしたくなる。
これが、とっても大事なことだと考えています。

イベントの手伝いをすることはなくなりました。
今度、カフェの通りで大きなイベントがあります。
私の役目は、「トイレの解放」とモーニングコーヒーの提供です。
この一週間、草を取り続けました。
大事な人を迎えるのに、人は通りを掃き水を打ちます。
空き家の草もすべて抜きました。
主がいなくとも、空き家は存在します。
主に代わって草を抜かせていただきました。
昔からこうだった。と誰もが気付かない。
しかし居心地が良い。

通りの価値を高めたいと、日々奮闘しています。
ひょっとしたら、縁側のようなカフェに近づいているかもしれません。
子供たちが、楽しく通える通りです。
大人たちが、散歩のコースにしようかなと思われる。
一過性のイベントではありません。
毎日続く闘いです。
枯れた鉢植えなんぞ誰も観たくない。
村では、花を植えようと鉢植えを配りました。
その年は、きっと花で通りがいっぱいになったことでしょう。

おらが村。
私達の日本。
仲良しの世界。

どうしたら、そうなるのでしょう。
誰もしてはくれません。
自らやるしかありません。
なぜなら、自ら望むことだからです。

空き家があるんだから住めばよいじゃない。
空き家には、移住者が望まぬ仏壇と思い出が残っています。
おらが村になるには、通りがかりの人に「ここは素敵」と
思われなくてはならない。
思えば、仏壇も思い出も整理がつくと言うもの。

草を抜いたら、気持ちが晴れた。

花を植え 通りを掃いて おもてなし

2018年4月29日

(投稿後の気持ち)
私のブログは、いわゆる「Knpow-how」ものではありません。
読者が望むものは、得すること、自らのためになることです。
そんなものからは、遠い毎日の文章です。

プロフェッショナルで見た、「一万円選書」で生き残りをかけた
本屋の話。本屋さんが作ったアンケートに答え、それを本屋さんが読み解く。
そして選ばれた一万円の選書です。
選ぶからには、覚悟が必要です。人生をかけた選書が続く。

自らのためになることが、人のためにもなると良いですね。


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心配

2018-04-28 07:13:40 | よもやま話

笑顔で励まされというタイトルの絵です。
花をみて、そんな風に見えました。
恩師からいただいた寒アヤメだったからでしょうか。


今日のタイトルは、「心配」です。
心配とは、
心を配って世話をすること。こころづかい。配慮。
心にかけて思いわずらうこと。気がかり。うれえ。
(広辞苑より)
初めてのお客さんが、満足してくれただろうか。
先輩の体調は回復するだろうか。
このように思うことは、積極的にものごとに当たっているときの感情です。
心配するぐらいでちょうど良いのです。
おごり高ぶらず、控えめな姿です。
「こころづかい」です。

あの娘は、ちゃんとやっていけるだろうか。
自分では、どうにもならないこと。
あの娘がやるしかない。
見守るしかありません。
「きがかり」です。

今日も草取りをします。
筍を掘ります。
暑くなりそうです。
上手に筍を煮ることができるでしょうか。
忙しい毎日に綱渡りのような生活です。
「うれえ」です。
やらなければならぬことで、心のどこかで消極的です。
できれば休みたい。
こんな時は、いつも試運転のように少しだけ身体を動かします。
ああ、まだできる。

やれば、できるのです。
それなのに、心配する。
できないんじゃないかと心配する。
疲れがたまっているのか。
心配事が多すぎて処理できないのか。
負のスパイラルの入り口です。

回避するのは、できることを数えること。
まず、息ができている。
お腹が空いている。
鳥の声が心地よい。
暖かい。
ちょっとずつ、気持ちが上向いていきます。
心配ごとが、何だったのか忘れてしまいます。

できるかな ルーチンこなし やれるとも

2018年4月28日
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山が萌える

2018-04-27 07:18:51 | よもやま話

Windowというタイトルの絵です。
山登りをしていた頃、休憩小屋から見た風景です。
風が抜ける心地よさを表現したかった。


子孫繁栄と種を持つ草が、季節を謳歌しています。
この草を抜けと、隣のばあちゃんから教えられました。
たんぽぽやなずなの群生を止めるのは、この時期しかありません。
黄色い花がついているこの時期です。
雨上がりのこの時です。

今日のタイトルは、「山が萌える」です。
冬の間、葉を落とした木々が、芽吹きました。
都会で見た新緑も見事でした。
ここでは、スケールが違う。
なにしろ山全体が萌える。
待ちに待った春が来ました。
同時に痩せる想いをする季節になりました。

畑の、庭の、カフェの駐車場の、空き家の草取りと気が抜けません。
今週は暑い日が続くと、天気予報が伝えていました。
朝の涼しいうちに、少しずつやるしかありません。

できるかな 草にも負けず できるとも

2018年4月27日
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ハードな一週間

2018-04-26 06:48:14 | よもやま話

まだまだというタイトルの絵です。
なにがまだまだなんでしょう。
「こんなもんじゃない」を決めるのは、自分自身です。


今日のタイトルは、「ハードな一週間」です。
お客さんが来ないなと、いろんな策を撃ち出しました。
どんな策も私達らしい、背伸びをしないものばかりです。

パン教室に来られるお客様が、5組になりました。
材料代だけをいただきます。
編み物教室は、無料です。
判らないところがあったら一緒になって編み込みます。
描いた絵や撮った写真をここに架けてくださいと
個人専用ギャラリーを作りました。
一つの壁が埋まり、一本の柱に作品が吊るされます。
季節が替わるごとに、専用ギャラリーの作品を作者自ら変更されます。

来店されたお客様の似顔絵を描く。もちろん無料です。
いただくほどの腕前ではありません。

夜の予約客も一組しか取らない。
自分たちだけの空間を提供したい。
忙しくて、家族それぞれの生活があり、
今までのように家で飲むことができなくなりました。
お任せ料理は、旬のものを使ったものばかりです。
腕自慢の奥様方を唸らせることはできません。
こんな風に味付けしたらと毎日が工夫です。
お客様からこうするともっと美味しいよと教えていただけます。
自由にものが言える、我が家のような居心地よさが自慢です。

たまたま、この一週間は夜の予約が続きました。
朝9時~夜10時までの奮闘劇でした。

久しぶりに雨が降ると、天気予報で知りました。
雨の前に、買ってきた耕運機で耕し、じゃがいも、里芋、ねぎを植えました。
身体はさらに疲れましたが、気分は爽快です。

黄色花 これを抜けよと ばば指導

2018年4月26日
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修羅場(しゅらじょう)

2018-04-25 04:10:55 | プロジェクトエンジニアー

大分の寺の裏にあった五輪塔です。


今日のタイトルは、「修羅場」です。
修羅場(しゅらじょう)とは、
阿修羅王が帝釈天と闘う場所。
転じて、血なまぐさい戦乱または勝ち負けを争うはげしい闘争の行われる場所。
(広辞苑より)
あまりにも勉強不足で、阿修羅王と帝釈天の戦いについては書けません。
阿修羅の娘が、帝釈天に犯されたことに腹を立て、阿修羅は帝釈天と闘うことになる。
しかし、阿修羅の娘は後に帝釈天の正式の妻になる。
阿修羅は、正義を重んじ戦いをしたことになる。
戦いに敗れ続け、地獄と境の修羅に落とされる。
高倉健さんの映画を思い出しました。
単身乗り込み、切り刻まれながらも本懐を遂げる姿です。

正義という言葉は、日本では死語に近い。
正義で生きることはかなわぬからです。
生きるためには、泥水だって飲まざるを得ない人生です。
正しいことが、そのまま通るものでもありません。
阿修羅の正義、帝釈天の正義、阿修羅の娘の正義と人それぞれの正義がある。
誰かの正義だけでは通らない。

しかし敢えて戦いを望むからには理由がある。
どんな組織でも提案が出なくなると、病んでくるのである。
私は違うと、上に歯向かう姿を見ます。
こうすると良いのではないかと提案します。
今までと違う方向性が示されます。
このような方は、例外なく修羅場を見ます。
そしてレッテルを貼られる。
難しい奴で使いにくい。

ここで私はアドバイスを送りたい。
一時的には修羅場でも、長い年月ではほんの一コマです。
オンリーワンになるためには通らなくてはならぬ道です。
粘り強く頑張ってほしい。
そのうち受け入れられ、「昔からこうだった」と上司が言い始めます。
あたかも、上司が自らなしえたことかのごとく。
変革が起こったんだから、焼きもちなどは焼かないことです。

戦いは、自分のなかにある「怖気づく心理」との闘いでもある。
案外言ってみれば、なんでもないことなのです。
皆もそう思っていた。何か変だったと。
勇気を持って言ってみましょう。
言ったからには、やりましょう。
新しいことは慣れぬことで、辛い時もあるでしょう。
そのうち身体も心も慣れてしまい、辛いことが何だったのか忘れますから。

確かに使われてなんぼの社会です。
使う側は、誰でもよかった。
これでは、使われる側がオンリーワンになる道は程遠い。
あいつでなければと、名指しされるくらいでないとオンリーワンにはなれない。

オンリーワンの先輩がうじょうじょいる組織は、個性的で活発です。
会議をしようものなら、収拾がつかない会議の連続となる。
こんな組織に入った後輩が一番最初に学ぶことは、
「ここまで言って良いんだ」と先輩が教えてくれたことです。
変な人がいっぱいいる組織こそ、センチュリーカンパニーになれるのです。
一人だけの正義では生き抜けないのです。

狸寺 話し話させ 鼓なる

2018年4月25日
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