故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「これが飲まずにおられるか」です。
寡黙に働く好男子です。家でも姉さん女房に頭が上がらない。
そう、ストレッチは身体だけとは限らない。
今日のタイトルは、「ストレッチ」です。
生き急ぎ 頭すっきり ストレッチ
妻の勧めで、冒頭に「川柳」をもってきました。
私は俳句と想い、妻は季語がないから川柳と言う。
トイレに行っても、手が届かない。数年前からのことです。
山に登る。
畑で、庭で鍬を振る。
この頃は、ゴルフをした後も。
筋肉がこわばり、痛いし眠れない。
ストレッチを充分してからでないと、普段の動きができなくなった。
ストレッチの際は、できるだけ腰に負担をかけない。
動かせる範囲から、徐々に無理をする。
7年前腰を痛めた時、手術まで覚悟し予約した。
会社を休んで、痛くない姿勢を4時間続けた。
少しずつ可動範囲を広げるうちに、4日目に腰痛は治った。
手術もキャンセルした。
それまでは、痛み止めを飲みながら、サポーターで押さえながら仕事を続けた。
そうしなければ暮らせなかった。
そう思い込んでいた。
私の代わりは、いくらでもいた。
治してから復帰しても、頼りにされた。
捨てる神あれば拾う神あり。
金持ちでない私達の財産は、健康です。
万人に平等に与えられている時間です。
動く前に、動いた後にストレッチをするのです。
動けるようになったら、少しだけ筋肉に負荷をかけましょう。
2021年4月30日
<<余談>>
学生寮にいたころのことです。
300人くらいの学生が住んでいました。
女性から電話がかかってくると、取次当番が「お電話です」と
「お」を付けて館内放送で呼び出します。
誰もが待っている「お電話」です。
寮全体に「おおっ」と雷鳴がとどろきました。
廊下にあった電話までの遠かったことを思い出します。
(筆者)
絵のタイトルは、「いつかきっと」です。
娘にしたいが、孫に返すことしかできない。
文章を書いてから、描き貯めた絵の中から文章に合う一枚を選ぶ。
以前は、絵を描き載せて文章を書いていました。
よって、ブログを書くたびに4時間を要しました。
元気でした。人物画を描くことが楽しかった。
今日のタイトルは、「苦手な娘」です。
娘から電話があった。
孫の写真を送ると言う内容だった。
娘は、私達(亡きかみさん)の初めての子だった。
大いに期待し、親が新米ゆえに手を掛けた。
娘は両親の期待に応えようとして頑張った。
傍から見ていて心配なほど良い子でした。
頑張り過ぎて、小さなほころび(ほつれ)が、時として破壊に発展した。
娘とののしり合いの喧嘩をしたこともある。
互いに傷をかかえ、一生懸命だった。
それが尾を引いているのか、未だにうちとけない。
電話をしても、一瞬の沈黙がまどろこしい。
警戒心がそうさせるのか気まずいのである。
次女は、長女の葛藤を傍で見て学習している分、要領がよい。
要領がよい分だけ、決断が遅い。
三女は、写真が圧倒的に少ない分、勝手に育った。
「苦手な娘」本人の資質なのか、私達の関わり過ぎのせいなのかぎくしゃくとしている。
私は二十歳で家を出た。
成人後の親父の記憶が乏しい。
成人前の怒られた記憶しかないとも言える。
「苦手な娘」を俯瞰では見られぬ自分がいる。
いつまでも、身内感が強いと言える。
申し訳ないと密かに想う自分がいる。
未熟な親だった。
打ちかけた 娘の涙 わが涙
2021年4月28日
絵のタイトルは、「今年も食らうかな」です。
山ぐるみに見えますか。
久しぶりに絵手紙を描きました。
今日のタイトルは、「接点」です。
山ぐるみ(こしあぶら)をたくさん採ったので、近所に配り都会に送った。
山ぐるみは、森林伐採した山の日当たりが良い斜面で採れる。
粘り気がある山菜は、残留放射能の値が未だに高い。
谷(湿地帯)ほど、残留放射能の値は高い。
これから、子孫を残す世代から山菜は敬遠される。
配るのは、必然的に我々世代となる。
山菜だけでは、荷物にならない。
パン(そば粉入り)を焼き、季節の果物(はっさく、イチゴ、バナナ)を
練りこんだパウンドケーキを作る。
送る先の都合を電話やメールで聞いて送る。
どの荷物にも、水が漏れないよう気配り、氷塊を忍ばせる。
こんな時、互いに安否確認から始まり現在の情報交換をする。
山菜が取り持つ縁です。
「接点」は、奇跡に近い触れ合いです。
長い人生、近づき離れながら一瞬だけ近づき、「接点」でスパークが起きる。
触れ合う袖も縁(イチャリバチョーデー:沖縄方言)と、言葉を交わす。
そして、互いの日常に戻る。
スパークが電気分解となるか、発酵につながるのか、誰も知らない。
そんな風に、私達は出会い、伴侶を見つけた。
縁があり一緒になるも、接点が一瞬だけ触れ合い、日頃のうっぷんが爆発した。
言わなければよかった。知らなければよかった。
傷口に互いに塩を擦り込み、苦みとなって傷跡となる。
さあて、どうしましょうか。
面白いことの一つも言って、笑いをとりましょう。
「猫のたまちゃん灰だらけ」なんてね。
黄泉のこえ 山菜食って 聞かぬふり
2021年4月27日
<<あとがき>>
山菜は、ほんの一瞬の美味です。
毎年、この時期。
苦みがアクセント。
天ぷら、お浸しにして、少量のおおらかな恵みをいただく。
(筆者)
接点とは、
(数)曲線(または曲面)とその接戦(または接平面)との共有点。
(機)二つの機素(きそ)が互いに接触しあう点。
(電)小面積の接触を通じて電流を流し、または開閉する部分。
両者の出会う所、また、互いの考えの一致する所。
(広辞苑より)
機素とは、機械・機構を構成する要素的部分。機械要素。
(同じく、広辞苑より)
子供たちがプレゼントしてくれたMAMMUTのリュックサックです。
タイトルは、「気分一新」です。
今日のタイトルも、「気分一新」です。
かつて勤めていた外資系企業の上司が、スイス人でした。
彼には、子どもがいませんでした。
地球の裏側から養子をもらうことになりました。
地球を半周して通うこと、4回。1年がかりでした。
その子を抱いたとき、産まれてきた子を抱くように喜んだものでした。
いつもこんなに大変ですかと、斡旋してくれた方に尋ねたそうです。
産むのも一年かかるでしょう。と答えられたとか。
義兄の家の解体、広島の実家の相続、自分のこれからに、この地における畑仕事が加わりました。
昨日は、早朝から山ぐるみ(こしあぶら)を取りに奥山に踏み入りました。
一年ごとにきつくなる急こう配です。それでも昨年同様背負いかごいっぱい採れました。
昨日は近所の友人に、今日はパンを焼いて都会の友人に送ります。
急に始まった畑仕事で背中と腿の筋肉は張り通しでした。夜痛くて、寝付けないほどでした。
山歩き後は、痛みも引いて普通に歩けます。
身体を甘やかしてきたし、回復も思うようにならないのです。
できることを、出来る人が、出来る分だけやる。
家族のため、会社のためそして自分のために一生懸命やってきました。
ぼーっと生きている間のしわ寄せが一気に来た感じです。
やっと、出来るときが来たのです。
プレゼント 朱きリュックに 緑映え
2021年4月26日
絵のタイトルは、「たまねぎのダンス」です。
ベランダ野菜を眺めていて、想像しました。
風に吹かれて気持ちよさそうです。
偶然か、葉が摺れ合う間隔ではありませんでした。
長ネギの苗を200本(1200円)買ってきました。
植えないで置いておくと、元気な苗も葉先から枯れていきます。
植える間隔を考えました。
地域の先輩の話を思い出しました。「ねぎは、自分の影さえ嫌がる」
妻が言いました。「ねぎは、互いに競い合って大きくなる」
大きな畑を作物で埋めるには、収穫と草取り(機械で)を容易に行うことを理由に、
30cm間隔で一本ずつ白い部分に土をかぶせ植えました。
野菜づくりの指南書で見た正解は、10cmの土盛りをし、10cm間隔で植えるとある。
葱は、キュウリやナスの連作障害を抑えるコンパニオンプランツと説明があった。
葱を育てた土壌は、病原菌の少ないきれいな土になり、後の野菜が育てやすくなるとも書いてあった。
さらに苗を育て、30cm間隔に植え足し、これから育てるキュウリやナスの周りにも植えよう。
今日のタイトルは、「間合い」です。
間合いとは、
何かをするのに適当な距離や時機、あいだ。ころあい。
舞踊・音曲などで、調子や拍子が変わるときのわずかな休止の時間。
剣道などで、相手との距離。
(広辞苑より)
コロナで、すっかり「間合い」感覚が変化してしまいました。
知り合いから恋人になると、その間合いは2mから一気に30cmに縮まります。
長年連れ添い、布団は二つに、さらに部屋がそれぞれとなるようです。
慌てて植えた唐辛子は赤くなる(黄色くなる)前に冬を迎えた。
ビニールトンネルで囲ったが、見事に枯れた。
稲や野菜(根菜類)は、早く植えても遅く植えても収穫時期は同じころです。
野菜は、植える時期を間違えると、葉ばっかり大きくなって実を収穫することができません。
豆類が、そうです。早いと葉ばかりになり、遅いと実が太りません。
遠くの山の融け残った雪が、なにかの形に見えたら植える。
年によって、気候は変動するので、いい加減のような正解ではないでしょうか。
南の人は、約束した時間に必ず遅れる。主催者は、常に目標時間の一時間前から集合をかける。
北の人(特に年配の方)は約束時間より早く到着する。
混む前に来たなんて言いながら、1時間も早く到着する。慌てて、その人のために自分の車を移動する。
ジャストタイミングで食べて欲しいと、温かい料理のころあいを計っているのに、
先に一本つけることになる。
約束通りの時間にくる仲間に、もうできあがった、帰るぞと電話し、急がせる。
相手がつっかけてきたら、「ごもっとも」と聞く。
相手が満足しかけたところで、「間合い」を詰める。
ひるんだところで、用意した条件を出す。
駆け引きを楽しんで、ビジネスをした。
ネゴが大好きなパキスタン人の「来いよ」に応える。
いつもの落ち着く値段で買う。毎回しんどいけど、付き合った。
「間合い」は、人間関係のあやにより、微妙に違う。
これを読み間違うと、セクハラになりパワハラになる。
自然界で学ぶはずなのに、なんでも囲って促成栽培をしようとする。
温めるのにエネルギーを使い、水っぽい野菜を見た目だけで買うことに、慣れてしまう。
こんにゃろと 犬が吠えずり しっぽ振る
2021年4月22日