hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

勉強のサポート

2016-06-07 20:49:25 | お話
🍀🍀勉強のサポート🍀🍀


「なんで勉強しなきゃいけないの?」

きっと皆さんも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

橘こころさん、の話には、勉強嫌いだった娘・さやかさん(ビリギャルのモデル)を支えた坪田信貴先生が登場しました。

その坪田先生が教える、

「力を伸ばすポイント」の中から2つご紹介します。


まずは「メンタル」、つまり気持ちです。

例えば、幅30センチ・長さ5メートルの鉄板が床に置いてあるとします。

私たちがその上を簡単に歩くことができるでしょう。

しかし、

その鉄板が高さ200メートルの2つのビルに渡されていたとしたら、

同じように歩けるでしょうか?

やることは変わらないのに、歩けない気がしませんか?

なぜなら「落っこちたらどうしよう」と考えてしまうからです。

このように、一瞬でも失敗のイメージや苦手意識を持ってしまうと、

その力は、実力以下になってしまいます。

「大事なのは『絶対できる』と信じ込むことだ」

と坪田先生はいます。


もう一つのポイントは「戦術」です。

皆さんは「花をかいてください」と言われたら、どんな花を書きますか?

ひまわりのような花を描く人、
チューリップのような花を描く人、

花が1本だったり3本だったり、

また地面から生えていたり
茎や葉がついていたり…。

もしかしたら漢字で「花」と書く人がいるかもしれません。

指示があまりにもシンプルだと、

このように結果がバラバラになってしまいます。

具体的な描き方の説明、
つまり「戦術」が伝わっていないのです。

あやふやな指示は、指示された側に「どうやればいいの?」という不安を与えてしまいます。

「成果が出せない人に必要なのは、

個人に合わせて、やり方の指導や指示ができる先生や上司の存在です」

と坪田先生。

勉強嫌いだったさやかさんが高い目標に向けてやる気を出せたのは、

坪田先生からとっておきの戦術を学べたおかげだったのだと分かりました。

さて、あらためて私たちはなぜ勉強しなくてはいけないのでしょうか。

あるドラマではこう答えていました。

「勉強はしなきゃいけないものではありません。

したい、と思うものです。

知らないもの、『不思議だな』と思うものに出会ったとき、

もっと知りたいと思えるから人間なんです」と。

「勉強したい」と思えるためには、サポートをしてあげる人の存在や言葉掛けが何よりも大事だと思います。

これは子供だけでなく大人にもいえそうな気がします。

支えてくれる人の力があれば、

秘められている大きな可能性が花開いていくかもしれません。


(「みやざき中央新聞」編集部増田翔子さんより)

解放へのシフト

2016-06-07 16:40:11 | お話
🌸🌸解放へのシフト🌸🌸


「私」はなんとしても生き延びたいのです。

「私」は死にたくないのです。

「私」は生き延びるためにどんなことでもします。

自分を守らなくてはならず、たくさんの「こうあるべき」という考え方も持っています。

そして、

社会全体がそのように構成されています。

さらには、正しい選択を常にしなくてはなりません。

つまり、分離した「私」として、

本当に、たくさんのことに対応していかなくてはならないのです。

それゆえ、

人生が重くシリアスなものになってしまいます。

いろいろな決まりごと、アイデアによって人生がどんどん重くなる、

苦しみが増えていくように見えます。

そして、その苦しみから逃れるために、

依存症、精神的な苦悩、病気や不調を作り出すのです。

でも、大人と違って小さな子供たちは、そんなにたくさんのき決まりことを持ちません。

ライフはとてもシンプルです。

身体の感覚が現れていて、心臓の鼓動が感じられ、

呼吸が起きていて、すべてが、ただ現れています。

しかし、

このシンプルなことに「私」は満足いきません。

自由意志によってすべての経験をしていると信じている「私」にとっては、

あまりにシンプルすぎるからです。

何か行動が起きたとき、「私」は「私がやった」と思います。

でもこれは、行動が起きたあとに、「私」というエネルギーが自分がやったと言っているだけです。

「こんなことをすべきではなかった」と「私」は思います。

「私」は起きたことを批判するのです。

「私」は、自分が間違った選択をしたと信じているからです。

けれども実際は、

起きていることがあるだけです。

解放は、「私」が世界の中心であるという位置から、

すべてだけがあるというところへの突然のシフトです。



注)私が「私」と言うときは、世界と分離していると信じている収縮したエネルギーのことを言います。


(「すでに愛の中にある」大和田菜穂さんより)