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がんの神様ありがとう、2

2016-06-27 12:31:58 | 病気のなおし方(自助努力)
2「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 長堀先生は何がきっかけで死は敗北ではないと考えるようになったのですか。

🔹長堀 潔く旅立っていかれた、がん患者さんたちの存在でした。

今は患者さんたちにがんを告知することがほとんどですけど、昔は隠していたんですよ。

でも、わかるんですよね、患者さんは。

例えば、症状が重くなった患者さんの病室に日に何度か顔を出していると、笑いながら

「先生、俺もうだめなんだろう」

って言うんですよ。

何て答えてよいかわからずに私がドギマギしていると、

「だって先生、前はこんなに病室に来なかっただろう」

って。

🔸村上 完全に読まれていた。

🔹長堀 それは見事なものでした。でも、それだけじゃなくて、ちゃんと自分の運命を受け入れていたんです。

これは、すごいことだと思いました。

東洋には陰陽の教えがあって、物事を見る時には陰陽の両面を見ていくことが必要であると説かれています。

ところが若い頃は、陽の部分、日の当たる部分しか見てこなかった。

つまり、手術でがんが治った患者さんだけを見ていました。

本当は病院にはがんで亡くなっていく患者さんもたくさんいたのに、そこには全く目を向けられていなかったんです。

ところが、

年を重ねるにつれて、だんだんと先ほどお話ししたような患者さんたちのことが目に入るようになってきました。

彼らは何が違うかというと、

死を目前にしてなお、いまこの一瞬一瞬を大事に生きておられたんです。

それは言葉を変えれば、生き切るということをやられていたのだと思います。

そんな姿を見ているうちに、

死は敗北であるというのは、どうも違うのではないかと考えるようになりました。

🔸村上 それは先生が幾つくらいの時ですか。

🔹長堀 30代になってからです。
やはり20代というのは、外科的なテクニックの向上であるとか、いろんな研究に没頭していたので、もうそれでいっぱいいっぱいでしたから。

そういったことが落ち着いて自分の技術が安定してきたことで、患者さんのことが見えてきたということもあります。

ただ、その一方でがんというものがますます分らなくなったことも確かです。

同じ手術をしても、個人個人で経過が違ってくることも見えてきました。

がんには人の思いがくっついているのではないかと思う考えるようになったのも、その頃からだったと思います。


(つづく)