hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

食前祝詞

2016-06-29 22:51:27 | 祝詞
🌸食前祝詞🌸

豊受大神 御食津大神
(とようけのおほかみ みけつのおほかみ)

天神 地祇 八百萬神祇
(あまつかみ くにつかみ やほよろずのかみがみ)

謹みかしこみて大稜威を祝放り
(つつしみ かしこみて おほみいづを いはいまつり)

此の大御恵を感謝ひ奉る
(これの おほみめぐみを いやまひ まつる)

土穂加身恵身賜命
(とおかみえみため)

を、三回繰り返す。


子どもの病気はゆるめすぎ

2016-06-29 15:49:20 | 病気のなおし方(自助努力)
🍀🍀子どもの病気はゆるめすぎ🍀🍀


大人の病気は、忙しさの中で常に体が興奮状態にあることが原因だと説明しました。

すなわち、自律神経のうち交感神経がいつも刺激されていることに注目する必要があるのです。

ところが、

子供の場合は、が逆に副交感神経に注目する必要があります。

副交感神経が刺激されていると、体内の消化器官が働き、リラックスの状態になります。

飲み込む、呼吸、排泄などは副交感神経の刺激なのです。

大リーガーの選手が試合中にガムを噛んでいるのもリラックス状態を作るためです。

今の子供たちは外で遊ぶ時間が少なく、食べ物が常に豊富な毎日を送っています。

これは副交感神経が刺激されている状態です。

副交感神経があまりに優位だと何が起こるか?

その状態が続くと、筋肉や骨格が丈夫に発達しなくなります。

ですから今の子供たちや若者は骨が細くてあごも細く、筋肉が足りず、その結果疲れやすい体質になっているのです。

また、副交感神経側に偏ると気迫がなくなります。

子供がいろんな困難に出会ったとき、それを乗り越えるためには、

交感神経の刺激により脈を増やしたり血圧を上げながら対処する必要があります。

しかし、副交感神経側に偏って穏やかすぎる子は、そのような気迫が生まれません。

それが不登校や若者の職場離れに結びついているのではないかと思うのです。

子供だけではなくお年寄りもそうです。

いくら年をとっても穏やかでいれば良いのではなく、

ときには交感神経を刺激し、やる気を出しで困難にぶつかったりして、元気に過ごすことが大事なのです。


やたら「塩分は控えた方がいい」と言うお年寄りもいますが、

あまりに塩分を控えすぎると交感神経が働かなくなり、どんどん気迫がなくなっていきます。

中には、初めから介護されることを前提に

「介護費用を払っているんだ」

なんて考え方をするお年寄りもいらっしゃいます。

でも、それでは、やはり、だらしないです。

「介護費用は他人のために払っている。自分はお世話にならないぞ!」

これくらいの気迫が大事です。

塩分を控え過ぎるとこんな気迫も出ないのです。

70歳を過ぎると医療費は1割負担です。

このとき気迫のあるお年寄りはこう考えます。

「9割は国が負担してくれるのだから、自分はめったなことで病院には行かないようにしよう!」と。

一方、穏やかすぎるお年寄りは

「1割負担になったから、これからもっと病院に行こう」

と、こう思います(笑)。

私たちは無理しすぎても体を壊しますが、

楽をしすぎても生きづらくなってしまいます。

漫画家の水木しげるさんは著書「水木サンの幸福論」の中で「幸福の7か条」について書いています。

その第6条に
「怠け者になりなさい」
とあります。

つまり、頑張りすぎず、遊びすぎず、

ちょっと怠け者くらいがちょうどいいと言うことなのです。(^_^)


(「みやざき中央新聞」安保徹さんより)

がんの神様ありがとう、4

2016-06-29 11:25:08 | 病気のなおし方(自助努力)
4「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 長堀先生は見えない世界について、どのように考えておられるのですか。


🔹長堀 医学の世界というのは長いことを科学的手法、科学的な考え方を大事にしてきましたが、対象としたのは見えるものだけでした。

見えるということは、目で見えることはもちろん、様々な計測機器を使って数値化できるものです。

一方、この宇宙における大本の物質は何かについて考える量子論をドンドン突き詰めていくうちに、

大本の粒子があやふやなものだということがわかってきました。

どういうことかというと、原子の中にある電子や中性子、陽子というのは、

その構成要素であるクオークの回転によって形づくられているということです。

🔸村上 だから実体があやふやだというのですね。

🔹長堀 竜巻と一緒だと考えるとわかりやすいかもしれません。

竜巻というのは回転することによって物体として見えますが、回転が止まった途端、自体はなくなってしまいます。

「この世の事象というのは、幻である」

とは、その昔東洋の覚者が瞑想雨で至った真理だと言われていますが、

その言葉に科学が追いつき始めているのが現代だと私は思うのです。

結局、そのそこにあるのは一元論です。

見えるものと見えないもの、粒子とエネルギー、生と死などもそうですが、これまで二元論的に考えてきたことが、

実は、すべて繋がっているということを指し示しているのだと私は考えています。

「善悪不二」という東洋の言葉も、やはりそういうことを表しているのではないでしょうか。

🔸村上 しかし、世界の科学者たちの多くは、まだ長堀さんのおっしゃるような世界にたどり着いたでいなくて、

目に見えるものだけを追いかけているレベルにとどまっているように思います。

そのレベルを突き抜けた世界を、量子論という最先端科学から見ることができるというのは、面白いところですね。

🔹長堀 東洋の祈りを理解する感性と、西欧の科学技術を理解する感性を併せ持っているのが、私は日本人だと思うんです。

そして、その東洋と西洋の考え方を近づけるきっかけになるのが、先ほど話した量子論、素粒子論ではないかと。

例えば、最近ノーベル賞とられた梶田隆章先生もご専門は量子論ですよね。

これは偶然ではなく、今後日本人の手によって東洋と西洋の統合の時代が開かれていくのではないかと私は思っています。

大事なのはバランスですね。

西洋の科学技術に偏りすぎたからといって、これを否定すべきではなく、

東洋の哲学と西洋の科学とのバランスをうまく取っていけば、もっといい世の中ができるのではないでしょうか。

そして、そのバランスを取る上で、最も大事になってくるのが、

やはり死の捉え方だと思うんです。

先ほどお話ししましたように、人間誰もが死んでしまう以上、

それを敗北だとしたら何の救いもありませんからね。


(つづく)