🌸🌸でんでん虫の殻の中身は、、🌸🌸
最後に皇后・美智子さまのお話をします。
「文藝春秋」の編集長当時、美智子さまの「子供時代の読書の思い出」という講演原稿を掲載できました。
今は「橋をかける」というタイトルで文春文庫に入っています。
講演のなかに新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」の話が出てきます。
でんでん虫は、ある日自分の背中の殻に悲しみがいっぱい詰まっていることことに気がつきます。
友達のでんでん虫を訪ね、
「もう生きていけないのではないか」
と自分の背負っている不幸について話すと、
友達は「それはあなただけではない。
私の背中の殻にも悲しみがいっぱい詰まっている」と答えます。
小さなでんでん虫は、別の友だちを訪ねて同じことを話すのですが、
どの友達からも帰ってくる答えは同じでした。
そして、でんでん虫は
「悲しみは誰でも持っているのだ。
悲しみを持っているのは自分だけではない。
私は私の悲しみをこらえていかなければならない」
と思って嘆くのをやめるというお話です。
美智子さまは4〜7歳の間に、お母さんか母方のお祖父さんにこの話を読んでもらい、
ずっと心に残っていると語っておられます。
この話は、読者が投票する「1年間で最も印象に残った記事」で1位になりました。
御所に連絡すると、「嬉しいけれど、民間の賞をいただくと影響が大きいので辞退します」とのことでした。
そこで「特別賞」を設けて、賞品等はなくすことにしました。
そのお知らせのために御所に伺い、1時間ほどお話しいたしました。
美智子さまは「あの講演を発表した後、『年代が合わないのではないか』という投稿があったのよ」とおっしゃいました。
「でんでん虫のかなしみ」が本になったのは昭和20年代で、
昭和9年生まれの美智子様は10歳を過ぎておられます。
だとすれば確かに年代があいません。
戸惑っていたところ、本になる前、昭和10年代に雑誌で発表されたことが分かりました。
その話その話をしながら美智子さまは、
「私の話が空想か幻覚だったらどうしよう、と思いました。
それにしても、あのお話を聞かせてくれたのは、母だったのかしら。祖父だったのかしら」
と遠くを見るような表情されました。
そのご様子に私はとても感銘を受けました。
詩人の長田弘さんが、
「人は誰でもが自分だけの1冊の本を書いている」
と言っています。
その本にはその人の記憶がいっぱい詰まっているわけです。
よく、「昔のことは過ぎたことだから覚えていても仕方がない」といいます。
たしかに、過去は文字通り過ぎ去ったことで、後戻りできません。
しかし、過去と過去の記憶は似て非なるものです。
過去の記憶は過ぎ去ったことではない。
過ぎ去っていないからこそ記憶している。
記憶の中の過去は現在と深い関わりがあるのです。
美智子さまが小さい頃に聞いた「でんでん虫のかなしみ」をいつまでも記憶し、
折に触れて思い出すとすれば、美智子さまの人生がそれを必要としたのです。
過去の記憶は人の支えになっています。
それが一篇の詩、一篇の小説、1冊の本であることも多いと思うのです。
過去の記憶は、いまを生きる大切な力になると思います。
(「みやざき中央新聞」平尾隆弘さんより)
最後に皇后・美智子さまのお話をします。
「文藝春秋」の編集長当時、美智子さまの「子供時代の読書の思い出」という講演原稿を掲載できました。
今は「橋をかける」というタイトルで文春文庫に入っています。
講演のなかに新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」の話が出てきます。
でんでん虫は、ある日自分の背中の殻に悲しみがいっぱい詰まっていることことに気がつきます。
友達のでんでん虫を訪ね、
「もう生きていけないのではないか」
と自分の背負っている不幸について話すと、
友達は「それはあなただけではない。
私の背中の殻にも悲しみがいっぱい詰まっている」と答えます。
小さなでんでん虫は、別の友だちを訪ねて同じことを話すのですが、
どの友達からも帰ってくる答えは同じでした。
そして、でんでん虫は
「悲しみは誰でも持っているのだ。
悲しみを持っているのは自分だけではない。
私は私の悲しみをこらえていかなければならない」
と思って嘆くのをやめるというお話です。
美智子さまは4〜7歳の間に、お母さんか母方のお祖父さんにこの話を読んでもらい、
ずっと心に残っていると語っておられます。
この話は、読者が投票する「1年間で最も印象に残った記事」で1位になりました。
御所に連絡すると、「嬉しいけれど、民間の賞をいただくと影響が大きいので辞退します」とのことでした。
そこで「特別賞」を設けて、賞品等はなくすことにしました。
そのお知らせのために御所に伺い、1時間ほどお話しいたしました。
美智子さまは「あの講演を発表した後、『年代が合わないのではないか』という投稿があったのよ」とおっしゃいました。
「でんでん虫のかなしみ」が本になったのは昭和20年代で、
昭和9年生まれの美智子様は10歳を過ぎておられます。
だとすれば確かに年代があいません。
戸惑っていたところ、本になる前、昭和10年代に雑誌で発表されたことが分かりました。
その話その話をしながら美智子さまは、
「私の話が空想か幻覚だったらどうしよう、と思いました。
それにしても、あのお話を聞かせてくれたのは、母だったのかしら。祖父だったのかしら」
と遠くを見るような表情されました。
そのご様子に私はとても感銘を受けました。
詩人の長田弘さんが、
「人は誰でもが自分だけの1冊の本を書いている」
と言っています。
その本にはその人の記憶がいっぱい詰まっているわけです。
よく、「昔のことは過ぎたことだから覚えていても仕方がない」といいます。
たしかに、過去は文字通り過ぎ去ったことで、後戻りできません。
しかし、過去と過去の記憶は似て非なるものです。
過去の記憶は過ぎ去ったことではない。
過ぎ去っていないからこそ記憶している。
記憶の中の過去は現在と深い関わりがあるのです。
美智子さまが小さい頃に聞いた「でんでん虫のかなしみ」をいつまでも記憶し、
折に触れて思い出すとすれば、美智子さまの人生がそれを必要としたのです。
過去の記憶は人の支えになっています。
それが一篇の詩、一篇の小説、1冊の本であることも多いと思うのです。
過去の記憶は、いまを生きる大切な力になると思います。
(「みやざき中央新聞」平尾隆弘さんより)