ガリバー③
🔸村上、いま私は祈りと遺伝子に関する研究をしているのですが、
今の羽鳥さんの話を聞いて、
祈りや深い思いがスイッチのオンオフと関係してるように感じました。
もちろん逆境もスイッチをオンにしてくれるわけで、
実はそうしそういった経験を私も少しだけしているんですよ。
あまり話さないのですが、
ひょっとしたら、私は逮捕されていたかも分からない。
🔹羽鳥、え? 村上先生がですか?
🔸村上、昔、大学紛争で大学が揺れに揺れていた頃、
学生たちに大学が封鎖されて、教授がつキャンパスに入れない事態になりました。
そうなると日頃威張っている教授たちなんかは、学生の勢いがすごいから逃げるんですよ。
当時、私は助手でしたが、肝心な時に教授が逃げるのはけしからんと、教授追及集会を開いた。
と同時に、こんな大学は辞めてアメリカに行こうという覚悟を決めていました。
仮に向こうで助手のまま一生を終えても構わないと。
それからしばらくして、
家からアメリカに新聞が送られてきました。
そこには、
「京都大学の教官逮捕さる」
と書かれていて、よく見ると仲間の助手たちが逮捕されたと。
どうやら機動隊が突入してきた時に学生たちはさっと逃げたのに、
教官たちはまだ研究室に残っていたようで、
学長は全学の学生と教官に退去命令を出していたことに違反しているという理由で逮捕されてしまった。
🔹羽鳥、なるほど。もし先生がアメリカに行くのが遅れていたら、
彼らと一緒に逮捕されていたかもしれないということですね。
🔸村上、はい。実はそれまで私は少しフラフラしていたんですよ。
大学に残るか、それとも会社に勤めるかということも考えていた。
でもアメリカに行って、1からやろうと覚悟を決めた時に、
私の人生が少し変わりました。
その時に私の遺伝子のスイッチがオンになったと思うんですよ。
🔹羽鳥、その時は先生も鳥肌が立ちませんでしたか?
🔸村上、立ちました。
🔹羽鳥、やっぱり立つんですね、鳥肌が。あの瞬間に。
いまの話のように昔の大学は大変だったようですが、
実は中古車業界の場合は、あまりに酷(ひど)くて、とてもダーティーでした。
🔸村上、どうダーディーなんですか。
🔹羽鳥、例えば20万キロ走っている車のメーターを2万キロに戻すなんてことは日常茶飯事で、
事故車なのに事故車じゃないとお客さんを騙して売る。
こういったことは東京マイカーを始めてから知ったことですが、
こんな業界なのかとびっくりしました。
ちなみに新車のマーケットより中古車のマーケットのほうが、はるかに膨大で、
世界には現在12億台の中古車があるあります。
🔸村上、そんなにあるんですか。
🔹羽鳥、日本だけでは8千万台もあるんですよ。
それなのに業界として、お客さんに信頼されないようなことばかりやっていてはダメだと。
そこでこの業界を絶対に変えてやろうと、
平成6年に車買取専業ビジネスのガリバーインターナショナルを創業しました。
🔸村上、創業時は何名で始められたのですか。
🔹羽鳥、最初は社員1人と自分の2人だけでしたが、業界を変えるためにはパワーが必要だろうと考え、
5年後の平成11年12月31日までに、全国に500店舗、グループ年商2,500億円を達成し、
車の流通革命を起こすぞと決意を固め、毎朝唱和していました。
🔸村上、たった2人だ。
🔹羽鳥、そんな夢みたいなことは、当時の状況からすればできるわけがないだろうと周囲からは思われていたのでしょうけど、
蓋を開けてみれば、4年9ヶ月で500店舗達成することができました。
🔸村上、それもすごいな。
🔹羽鳥、おそらく金儲けのためだったら誰も協力してくれなかったと思うんですけど、
業界を絶対に変えるんだという意気込みが伝わったのか、
本当に神憑り的に素晴らしい人たちが力を貸してくれて、
あれはあれよと500店舗できちゃったんですよ。
それともう一つ、上場企業になれば信用度が上がるだろうと、
創業から4年で店頭公開、その後2年で東証2部上場、そしてその3年後の平成15年に1部上場しましてね。
いまは丸の内にオフィスを構えていますが、
本当は中古車屋が日本経済の中心地にいる必要はないんですよ。
🔸村上、確かに中古車会社のイメージと丸の内の雰囲気が何だかミスマッチですよね。
🔹羽鳥、それが狙いなんです。あくまで自分の目標は業界のイメージを変えることだったので、
1番中古車会社に相応しいくないのはどこだろうと考えた末に、
丸の内にしようと決めました。
🔸村上、今では相応しいですね。
🔹羽鳥、ありがとうございます。おかげさまで中古車業界もすっかり健全になりました。
(「致知」3月号、村上和雄さん羽鳥兼市さん対談より)
🔸村上、いま私は祈りと遺伝子に関する研究をしているのですが、
今の羽鳥さんの話を聞いて、
祈りや深い思いがスイッチのオンオフと関係してるように感じました。
もちろん逆境もスイッチをオンにしてくれるわけで、
実はそうしそういった経験を私も少しだけしているんですよ。
あまり話さないのですが、
ひょっとしたら、私は逮捕されていたかも分からない。
🔹羽鳥、え? 村上先生がですか?
🔸村上、昔、大学紛争で大学が揺れに揺れていた頃、
学生たちに大学が封鎖されて、教授がつキャンパスに入れない事態になりました。
そうなると日頃威張っている教授たちなんかは、学生の勢いがすごいから逃げるんですよ。
当時、私は助手でしたが、肝心な時に教授が逃げるのはけしからんと、教授追及集会を開いた。
と同時に、こんな大学は辞めてアメリカに行こうという覚悟を決めていました。
仮に向こうで助手のまま一生を終えても構わないと。
それからしばらくして、
家からアメリカに新聞が送られてきました。
そこには、
「京都大学の教官逮捕さる」
と書かれていて、よく見ると仲間の助手たちが逮捕されたと。
どうやら機動隊が突入してきた時に学生たちはさっと逃げたのに、
教官たちはまだ研究室に残っていたようで、
学長は全学の学生と教官に退去命令を出していたことに違反しているという理由で逮捕されてしまった。
🔹羽鳥、なるほど。もし先生がアメリカに行くのが遅れていたら、
彼らと一緒に逮捕されていたかもしれないということですね。
🔸村上、はい。実はそれまで私は少しフラフラしていたんですよ。
大学に残るか、それとも会社に勤めるかということも考えていた。
でもアメリカに行って、1からやろうと覚悟を決めた時に、
私の人生が少し変わりました。
その時に私の遺伝子のスイッチがオンになったと思うんですよ。
🔹羽鳥、その時は先生も鳥肌が立ちませんでしたか?
🔸村上、立ちました。
🔹羽鳥、やっぱり立つんですね、鳥肌が。あの瞬間に。
いまの話のように昔の大学は大変だったようですが、
実は中古車業界の場合は、あまりに酷(ひど)くて、とてもダーティーでした。
🔸村上、どうダーディーなんですか。
🔹羽鳥、例えば20万キロ走っている車のメーターを2万キロに戻すなんてことは日常茶飯事で、
事故車なのに事故車じゃないとお客さんを騙して売る。
こういったことは東京マイカーを始めてから知ったことですが、
こんな業界なのかとびっくりしました。
ちなみに新車のマーケットより中古車のマーケットのほうが、はるかに膨大で、
世界には現在12億台の中古車があるあります。
🔸村上、そんなにあるんですか。
🔹羽鳥、日本だけでは8千万台もあるんですよ。
それなのに業界として、お客さんに信頼されないようなことばかりやっていてはダメだと。
そこでこの業界を絶対に変えてやろうと、
平成6年に車買取専業ビジネスのガリバーインターナショナルを創業しました。
🔸村上、創業時は何名で始められたのですか。
🔹羽鳥、最初は社員1人と自分の2人だけでしたが、業界を変えるためにはパワーが必要だろうと考え、
5年後の平成11年12月31日までに、全国に500店舗、グループ年商2,500億円を達成し、
車の流通革命を起こすぞと決意を固め、毎朝唱和していました。
🔸村上、たった2人だ。
🔹羽鳥、そんな夢みたいなことは、当時の状況からすればできるわけがないだろうと周囲からは思われていたのでしょうけど、
蓋を開けてみれば、4年9ヶ月で500店舗達成することができました。
🔸村上、それもすごいな。
🔹羽鳥、おそらく金儲けのためだったら誰も協力してくれなかったと思うんですけど、
業界を絶対に変えるんだという意気込みが伝わったのか、
本当に神憑り的に素晴らしい人たちが力を貸してくれて、
あれはあれよと500店舗できちゃったんですよ。
それともう一つ、上場企業になれば信用度が上がるだろうと、
創業から4年で店頭公開、その後2年で東証2部上場、そしてその3年後の平成15年に1部上場しましてね。
いまは丸の内にオフィスを構えていますが、
本当は中古車屋が日本経済の中心地にいる必要はないんですよ。
🔸村上、確かに中古車会社のイメージと丸の内の雰囲気が何だかミスマッチですよね。
🔹羽鳥、それが狙いなんです。あくまで自分の目標は業界のイメージを変えることだったので、
1番中古車会社に相応しいくないのはどこだろうと考えた末に、
丸の内にしようと決めました。
🔸村上、今では相応しいですね。
🔹羽鳥、ありがとうございます。おかげさまで中古車業界もすっかり健全になりました。
(「致知」3月号、村上和雄さん羽鳥兼市さん対談より)