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何でもできる

2017-02-21 12:15:34 | お話
🌸🌸何でもできる🌸🌸


「やり抜く力」の鉄人たちは、誰もがみな賢明な父親や母親に育てられたわけではないが、

私がインタビューで話を聞いた人たちは、

必ず人生の中で「誰か」に出会っていた。

絶妙のタイミングと適切な方法で彼らを導き、

目標を高く持ってがんばるように励ましてくれた人に。

そして何よりも必要だった「自信」と「支援」を与えてくれた人に。

ではここで、コーディ・コールマンの例を考えてみよう。


コーディは2年前、私にメールで連絡をくれた。

私のTEDトーク「成功のカギは、やり抜く力」を観て、

もしよければ、いちど会って話したいと言ってきたのだ。

おそらく自分の経験が参考になるのではないか、と考えたという。


コーディは、マサチューセッツ工科大学(MIT)で電気工学とコンピューターサイエンスを専攻し、

ほぼ満点に近いGPA(成績平均点)を獲得して、卒業を間近に控えていた。

しかしメールによるば、そんなみごとな成績を収めることができたのも、

けっして才能や機会に恵まれたせいではなく、

ひたすら情熱と粘り強さを持って何年も努力を積み重ねた結果だという。


「いいですよ、会って話しましょう」と私は返事をした。

そのとき聞いた話を紹介したい。

コーディが生まれたのは、ニュージャージー州トレントンから約50キロ東にある、モンマス郡矯正施設だった。

彼の母親はFBIによって精神異常と診断され、

コーディが生まれたときには、上院議員の娘を殺害すると脅迫した罪で刑務所に入っていた。

父親には1度も会ったことはない。

やがて、祖母がコーディと兄弟たちの監護権を取得した。

そのおかげで命拾いをしたようなものだったが、残念ながら祖母は「賢明な親」とは言い難かった。

孫たちを温かくも厳しく育てたいという思いはあったかもしれないが、

気力も体力も衰えていくいっぽうだった。

そんな祖母の代わって、コーディが弟たちの面倒を見るようになった。

料理も洗濯もやった。

「うちは貧しかったんです」

コーディは言った。

「学校で、フード・ドライブ
(低所得世帯や施設に保存食を配布する助け合い運動)
が行われると、

うちは地域で1番貧乏だったので、食料品が届けられました。

さびれた地域で、僕の学区はどの教科も平均以下の学力でした」

コーディはさらに続けた。

「さらに困ったことに、僕は運動も勉強も得意ではありませんでした。

英語は補習を受けていました。数学の点数も、よくで平均くらいでした」


では、なにがきっかけだったのだろうか?

「ある日、1番上の兄が(僕より18歳も年上なんですが)帰ってきたんです。

中学3年の夏でした。

兄はバージニア州から車でやってきて、一緒に2週間過ごしました。

それで別れぎわに車の中で、兄が僕にたずねました。

『大学はどこ行きたいの?』

僕は言いました。

『わからないけど…、いい大学に行きたいな。プリンストンとか』。

でも、すぐにあわてて取り消しました。

『でも僕がプリンストンみたいな大学に入れるわけないんだけど』」

すると、コーディの兄がたずねた。

「何でプリンストンに入れるわけないなんて思うんだ?

学校の成績だって、まあまあいいじゃないか。

上を目指して、もっとがむしゃらに努力すれば、

プリンストンにだって手が届くよ。

失うものなんかないんだから、かんばれよ」

「その瞬間、僕の頭にスイッチが入ったんです」

コーディは言った。

「どうせ無理だと思い込んでいたのに、

やればできるかも、と思えるようになったんです。

最難関の大学には入れないかもしれないけど、

努力すればチャンスはある。

でも努力しなければ、最初からチャンスはないんだ、と思ったんです」


夏休みが終わって高校1年生になると、コーディは一心不乱に勉強に打ち込んだ。

2年生ではオールAの成績を獲得した。

3年生になると、コーディは、コンピューターサイエンスとエンジニアリングで最高峰の大学を目指すことに決めた。

その結果、彼の志望校はプリンストンからMITに変わった。

まさにそんなとき、コーディはシャンテルスミス先生に出会った。

稀に見るほど賢明なひとりの数学教師が、コーディを養子に迎えたのだ。


コーディを自動車の教習所にかよわせてくれたのは、チャンテルだった。

募金を募って、大学の学生寮の備品を買いそろえるお金をつくってくれたのも、シャンテルだった。

寒さの厳しいボストンの冬を越せるように、

セーターや帽子や手袋やあったかい靴下を送ってくれたのも、シャンテルだった。

毎日、元気でいるかと心配し、休暇のたびにコーディが帰ってくるのを楽しみにしてくれたのも、

祖母の葬儀にともに参列してくれたのも、シャンテルだった。

クリスマスの朝、目が覚めたら、自分の名前の書かれたプレゼントがいくつも置いてある…

そんな嬉しい驚きも、シャンテルの家に来て初めて味わった。

イースターエッグに絵を描いたのも初めてだったし、

家で誕生日パーティーをしてもらったのも、24歳で、生まれて初めての経験だった。


MITに入学したあとは、けっして順風満帆とは言えなかったが、

思いがけない困難にぶつかっても、コーディには強力な応援団が現れた。

学部長や教授たち、友愛会の先輩や、ルームメイトや友人など、

多くの人が力になってくれた。

子供時代とは打って変わって、MITでは周囲の人たちが温かく見守ってくれた。


コーディはきわめて優秀な成績で大学を卒業すると、

大学院へ進学し、電気工学とコンピューターサイエンスで修士号を獲得した。

大学院でも完璧な成績を取り、

博士課程への進学を勧められるいっぽうで、

シリコンバレーの企業の採用担当者からもオファーが次々に舞い込んだ。

すぐに高収入を得られる仕事に就くが、

大学院の博士課程に進むかで悩んだコーディは、

これまでの人生を振り返って、いま自分がこうしていられるのは、なぜかと考えた。

そして翌年の秋、コーディはスタンフォード大学の大学院博士課程に進学し、

コンピューターサイエンスを専攻した。

彼が大学院への出願の際に提出した小論文は、つぎの一文で始まる。

「私の使命は、コンピューターサイエンスと機械学習に情熱を持って取り組み、

社会全体に利益をもたらすこと。

また成功者として手本を示し、社会の将来の発展に寄与することです」


コーディ・コールマンは、残念ながら、賢明な両親にも祖父母にも恵まれなかった。

しかし、彼には兄がいて、絶妙のタイミングで大切なことを言ってくれた。

高校では稀にみるほど賢明な、素晴らしい数学の先生に出会い、

大学では教授たちやメンターや仲間たちに見守られた。

みんなが彼に可能性を示し、前に進むための力を貸してくれた。


「コーディがあんなに立派になって成功したのは、

あなたのおかげですね」

と私が言うと、シャンテルは

「とんでもない」

と首を振った。

「本当はコーディのほうが、私の人生に多くのものをもたらしてくれたんです。

コーディは私に、不可能なことなど何もない、

どんな目標も達成できるんだ、と教えてくれました。

あんなに心のやさしい子はめったにいませんよ。

あの子に "お母さん" と呼ばれるほど、

私にとって誇らしいことはありません」


先日、地元のラジオ局の番組が、コーディにインタビューを行った。

番組の終わりに、コーディは

以前の自分と同じように、恵まれない境遇を乗り越えようと、がんばっている視聴者へのメッセージを求められた。

「ポジティブでいること」

とコーディは言った。

「どうせできなできるわけがないとか、

無理に決まってるとか、

そういうネガティブな思い込みを捨てて、

とにかくやってみることです」

そして、

最後に、おとなたちに向けて、こう言って締め括った。

「子供の人生をよい方向に変えてやらなくては、

なんて気負わなくていいんです。

心から相手のことを思って、

しっかりと見守っていれば、

ちゃんとそれが伝わって、

よい変化が起こります。

その子の人生に、いま何が起きているのか、

理解しようと努めてください。

そして、

一緒に乗り越えよう、

と手を差し伸べてください。

それこそ、僕が身をもって経験したことです。

そのおかげで、すべてが変わったのです」


(「GRIT やり抜く力」アンジェラ・ダックワース著より)


あなたは、なんでも、できる!(^_^)