監督の心⑤
(これまでにたくさんの選手を見てこられた中で、伸びる選手と伸びない選手の違いはどこにあるとお考えでしょうか)
🔹まずは、野球が本当に好きかどうか、ということです。
本当に野球が好きであれば、誰よりも野球がうまくなりたいと思うわけで、
ゲームだって本当に好きだったら1番になりたいと思うじゃないですか。
きっと好きなもののためだったら、誰よりも努力できると思うんですよ。
ところが、この世界って自分の好きなことを仕事としてやれる数少ないものの1つなのに、
僕に言わせたら、本当に野球が好きなんだろうか、と思うような選手もいるんです。
それほど好きでなくても才能溢れるゆえに活躍できる選手もいますけど、
最後はやっぱり野球を好きという思いが、
その選手を大きく押し上げる力になるんではないかと思います。
(野球に対する純粋な思いが大切であると)
🔹あとは素直さですね。人間というものは、少し結果は出てくると、
自分のやっていることを正しいと思うようになります。
でも本当に正しいかどうかなんて分かりませんよね。
だから、自分がやっていることは正しいんだと凝り固まってしまうのではなく、
常に、もっといい方法があるかもしれないって思えること。
そのスポンジのような吸収力や適応性といったものを持っている選手が、やっはり一気に伸びていきますね。
(では、勝つ組織をくつるためにリーダーとして必要なことは何でしょうか)
🔹皆が手伝ってくれるような人です。
絶対的なオーラとか指導力というものも大事なのかもしれませんが、
それよりも、あの人があんなに一所懸命やっているんだから手伝ってあげよう、
と下の人間に思ってもらえるような人じゃないと組織はうまくいかないと僕は思いっています。
やはりリーダーが孤立してしまったら、
その人に、どんな力があったとしても絶対に成功できませんので、
リーダーの条件というのは下の人間に手伝ってもらえる人だと思いますね。
(それは率先垂範という言葉にも通ずるでしょうか)
🔹必ずしもそうではないと思います。
むしろ逆に、全然うまくできなくてもいいんですよ。
とにかく一所懸命やっているけど、どうもうまくいかないという状況に陥った時でも、
あの人の人柄だったら手伝おうと思ってもらえるかどうか。
人間にはいろんなタイプがいますけど、
どこかに、皆が手伝ってあげようと思ってもらえるものをリーダーが持っていなければ、組織は生きないんじゃないかと思います。
(栗山監督にとって最も一所懸命な部分というのはどこですか)
🔹僕は誰よりも野球のことを考えているつもりですけど、
これは、あくまで "つもり" ですから、
わからないですけどね。
ただ、今回のテーマにある「艱難汝を玉にす」に関して言えば、
この言葉は、まさに僕の人生そのままですよ。
先ほどお話ししましたように、テスト生としてプロに入ってからは怪我や病気に見舞われましたが、
それでも何とか試合に出たくて必死に頑張ってきました。
だからこそ、こんな僕でもゴールデングラブ賞をいただくことができました。
去年のペナントレースにしても、あれだけ最初の段階から苦しみましたけど、
苦しいからこそ知恵が生まれ、苦しい時だからこそ、それを打開するための手を打つことができた。
(苦しい時こそ、何か新しいものが生まれるチャンスだと)
🔹何の障害もないままに物事がうまくいって、
お互いに「よかったね」と言っているところには、
やはり、何も新しいもの生まれてきません。
できないからこそ知恵が生まれる、
できないからこそ頑張れる
っていうことは、いつも選手たちに言ってきましたし、
本当に追い込まれた時こそ人間の真価が問われるので、
「艱難汝を玉にす」という言葉は、常に意識しておくべきだと思います。
それと飛田穂洲(とびたすいしゅう)さんという、
日本の学生野球発展に多大な貢献をされた方がいましてね。
「一球入魂」
という言葉も、飛田さんが野球に取り組む姿勢を表したものとされているんですが、
特に印象深い言葉があってそれが、
それが
「野球とは "無私道" なり」
です。
(無私道(むしどう)ですか)
🔹これは一昨年のことですが、昔の甲子園の記事を引っ張り出してもらった中にあった言葉で、すごく心に響いたんです。
以前、政治家というのは自分の人生を捨てて、人のためだけにやれ、ということをある政治家が言っていて、
なるほどと思ったことがあって、
それなら監督だって同じように選手のためにやるべきだと思ったんですよ。
(監督と政治家は同じだと)
🔹ええ。どちらも人のために尽くし切る仕事なんです。
だから球団側に監督を打診された時に僕はこう言いました。
「僕に死ねって、言っているんですよね」
って。
そもそも、野球というスポーツ自体が自分を殺して人のために尽くすものなので、
飛田さんはすごくうまい表現をされているなと思いました。
ですから監督は、なおさら自分のこととかちょっとでも考えちゃいけない。
どんな艱難辛苦も、無私の心で乗り越えていかなければいけないと思います。
(それがご自身を磨くことにも繋がっていくわけですね)
🔹昨年日本シリーズを終えた後に、メジャーリーグのワールドシリーズをテレビで観戦してきました。
昔からワールドシリーズはよく観ていたのですが、
監督になってからは、なかなか時間が取れずにいたところ、
去年は第7戦については最初から最後まで観ることができました。
すると、以前は、ここでなぜここでベンチが動くのかといったことが分からないケースがたくさんあったのに、
去年は監督の意図が手に取るように分かったんです。
(あぁ、試合の見方が変わったわけですね)
🔹ええ。日本シリーズの戦いであれだけ苦しんだことで気づきが得られたとすれば、
やはり苦しむことには意味がある、そう実感しています。
(おしまい)
(「致知」3月号 栗山監督インタビューより)
(これまでにたくさんの選手を見てこられた中で、伸びる選手と伸びない選手の違いはどこにあるとお考えでしょうか)
🔹まずは、野球が本当に好きかどうか、ということです。
本当に野球が好きであれば、誰よりも野球がうまくなりたいと思うわけで、
ゲームだって本当に好きだったら1番になりたいと思うじゃないですか。
きっと好きなもののためだったら、誰よりも努力できると思うんですよ。
ところが、この世界って自分の好きなことを仕事としてやれる数少ないものの1つなのに、
僕に言わせたら、本当に野球が好きなんだろうか、と思うような選手もいるんです。
それほど好きでなくても才能溢れるゆえに活躍できる選手もいますけど、
最後はやっぱり野球を好きという思いが、
その選手を大きく押し上げる力になるんではないかと思います。
(野球に対する純粋な思いが大切であると)
🔹あとは素直さですね。人間というものは、少し結果は出てくると、
自分のやっていることを正しいと思うようになります。
でも本当に正しいかどうかなんて分かりませんよね。
だから、自分がやっていることは正しいんだと凝り固まってしまうのではなく、
常に、もっといい方法があるかもしれないって思えること。
そのスポンジのような吸収力や適応性といったものを持っている選手が、やっはり一気に伸びていきますね。
(では、勝つ組織をくつるためにリーダーとして必要なことは何でしょうか)
🔹皆が手伝ってくれるような人です。
絶対的なオーラとか指導力というものも大事なのかもしれませんが、
それよりも、あの人があんなに一所懸命やっているんだから手伝ってあげよう、
と下の人間に思ってもらえるような人じゃないと組織はうまくいかないと僕は思いっています。
やはりリーダーが孤立してしまったら、
その人に、どんな力があったとしても絶対に成功できませんので、
リーダーの条件というのは下の人間に手伝ってもらえる人だと思いますね。
(それは率先垂範という言葉にも通ずるでしょうか)
🔹必ずしもそうではないと思います。
むしろ逆に、全然うまくできなくてもいいんですよ。
とにかく一所懸命やっているけど、どうもうまくいかないという状況に陥った時でも、
あの人の人柄だったら手伝おうと思ってもらえるかどうか。
人間にはいろんなタイプがいますけど、
どこかに、皆が手伝ってあげようと思ってもらえるものをリーダーが持っていなければ、組織は生きないんじゃないかと思います。
(栗山監督にとって最も一所懸命な部分というのはどこですか)
🔹僕は誰よりも野球のことを考えているつもりですけど、
これは、あくまで "つもり" ですから、
わからないですけどね。
ただ、今回のテーマにある「艱難汝を玉にす」に関して言えば、
この言葉は、まさに僕の人生そのままですよ。
先ほどお話ししましたように、テスト生としてプロに入ってからは怪我や病気に見舞われましたが、
それでも何とか試合に出たくて必死に頑張ってきました。
だからこそ、こんな僕でもゴールデングラブ賞をいただくことができました。
去年のペナントレースにしても、あれだけ最初の段階から苦しみましたけど、
苦しいからこそ知恵が生まれ、苦しい時だからこそ、それを打開するための手を打つことができた。
(苦しい時こそ、何か新しいものが生まれるチャンスだと)
🔹何の障害もないままに物事がうまくいって、
お互いに「よかったね」と言っているところには、
やはり、何も新しいもの生まれてきません。
できないからこそ知恵が生まれる、
できないからこそ頑張れる
っていうことは、いつも選手たちに言ってきましたし、
本当に追い込まれた時こそ人間の真価が問われるので、
「艱難汝を玉にす」という言葉は、常に意識しておくべきだと思います。
それと飛田穂洲(とびたすいしゅう)さんという、
日本の学生野球発展に多大な貢献をされた方がいましてね。
「一球入魂」
という言葉も、飛田さんが野球に取り組む姿勢を表したものとされているんですが、
特に印象深い言葉があってそれが、
それが
「野球とは "無私道" なり」
です。
(無私道(むしどう)ですか)
🔹これは一昨年のことですが、昔の甲子園の記事を引っ張り出してもらった中にあった言葉で、すごく心に響いたんです。
以前、政治家というのは自分の人生を捨てて、人のためだけにやれ、ということをある政治家が言っていて、
なるほどと思ったことがあって、
それなら監督だって同じように選手のためにやるべきだと思ったんですよ。
(監督と政治家は同じだと)
🔹ええ。どちらも人のために尽くし切る仕事なんです。
だから球団側に監督を打診された時に僕はこう言いました。
「僕に死ねって、言っているんですよね」
って。
そもそも、野球というスポーツ自体が自分を殺して人のために尽くすものなので、
飛田さんはすごくうまい表現をされているなと思いました。
ですから監督は、なおさら自分のこととかちょっとでも考えちゃいけない。
どんな艱難辛苦も、無私の心で乗り越えていかなければいけないと思います。
(それがご自身を磨くことにも繋がっていくわけですね)
🔹昨年日本シリーズを終えた後に、メジャーリーグのワールドシリーズをテレビで観戦してきました。
昔からワールドシリーズはよく観ていたのですが、
監督になってからは、なかなか時間が取れずにいたところ、
去年は第7戦については最初から最後まで観ることができました。
すると、以前は、ここでなぜここでベンチが動くのかといったことが分からないケースがたくさんあったのに、
去年は監督の意図が手に取るように分かったんです。
(あぁ、試合の見方が変わったわけですね)
🔹ええ。日本シリーズの戦いであれだけ苦しんだことで気づきが得られたとすれば、
やはり苦しむことには意味がある、そう実感しています。
(おしまい)
(「致知」3月号 栗山監督インタビューより)