☀️☀️死生観☀️☀️
これまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。
死を意識して生きたこともありません。
淡々と、生きてきました。
今でも、死ぬときはこうしよう、死ぬまでにこういうことはしておきたい、ななに一つ考えていません。
いつ死んでもいい、そう思ったこともありません。
なにも一切、考えていません。
先日、死生観は歳とともに変わるのかと、若い友人に尋ねられました。
私は、私には死生観がないと答えました。
彼女は、たいへんびっくりしていました。
考えたところでしょうがないし、どうにもならない。
どうにかなるものについては、私も考えますが、
人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えても、わかることではありません。
現に、私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、
私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。
自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。
さすがに病気にならないようにしようということぐらいは考えます。
しかし、死なないようにしようと思っても、死ぬと決まっています。
死んだ後の魂についても、さまざまな議論がありますが、
生きているうちは、確かなことはわかりません。
人の領域ではないことに、思いをめぐらせても真理に近づくことはできません。
それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。
(「103歳になってわかったこと」篠田桃紅さんより)
これまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。
死を意識して生きたこともありません。
淡々と、生きてきました。
今でも、死ぬときはこうしよう、死ぬまでにこういうことはしておきたい、ななに一つ考えていません。
いつ死んでもいい、そう思ったこともありません。
なにも一切、考えていません。
先日、死生観は歳とともに変わるのかと、若い友人に尋ねられました。
私は、私には死生観がないと答えました。
彼女は、たいへんびっくりしていました。
考えたところでしょうがないし、どうにもならない。
どうにかなるものについては、私も考えますが、
人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えても、わかることではありません。
現に、私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、
私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。
自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。
さすがに病気にならないようにしようということぐらいは考えます。
しかし、死なないようにしようと思っても、死ぬと決まっています。
死んだ後の魂についても、さまざまな議論がありますが、
生きているうちは、確かなことはわかりません。
人の領域ではないことに、思いをめぐらせても真理に近づくことはできません。
それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです。
(「103歳になってわかったこと」篠田桃紅さんより)