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日本人の道徳観

2017-03-23 18:11:46 | お話
🌸🌸日本人の道徳観🌸🌸


平成11年5月にハワイの「ヒロ大神宮」へ奉職しました。

向こうで帰化し、現在はアメリカ国籍です。

今は新潟県燕市の戸隠神社でご奉仕させていただいとります。

日本に戻ってきたばかりの頃、こんな立て看板を見つけました。

「お出かけは一声かけてカギかけて」

日本では当たり前の防犯標語だと思いますが、

外国ではそうではありません。

たとえば、これは実際にあった話ですが、

ハワイの別荘に3ヶ月ほど滞在して日本に帰国した後、こんな被害にあった人がいました。

その人は

「明日から日本に帰ります。
お世話になりました。

また3ヶ月後に戻ってきますので、よろしく」

と、ご近所の方に声をかけ、ちゃんと家にカギをかけました。

でも3ヶ月後、その別荘に戻ると、
家の中の物が全部盗まれていたそうです。

「全部盗まれた」と言うと皆さんは、

「お金や金属貴金属かな?

テレビや鍋釜もかな?」

と思われるでしょう。

でも実際は、そんなもんじゃありません。

建付けのトイレやシステムキッチンに至るまで、

とにかく、本当に「何から何まで」なくなっていました。

つまり「3ヶ月後に戻る」ということは、

その期間は誰にも見つからずに家に入れるのです。

だからわざわざカギをこじ開ける必要もなく、

堂々と窓を割り、好きなものを自由に持ち出していったのでした。


ハワイの現地の方からよく言われるのが、

「世界中回ったけど、日本は何回行ってもまた行きたくなる国だね」

ということです。

どんな有名な観光地も一度と行くと、

「ここはもう満足。次はほかの国に行ってみたい」

と思うのですが、日本は

「また行きたいくなる」

と言うのです。

いったい日本の何がそう思わせるのでしょう。

一言で言えばそれは「道徳観」だろうと私は思います。


ツアー旅行で日本に来られた外国人の方から、こんなお話を聞きました。

お昼ごさんを済ませて移動した後、

その人は、レストランにカメラを置き忘れていたことに気づいたそうです。

しかし、ツアー旅行中ですから取りに戻ることもできず、

仕方なく諦めることにしました。

でも、その日のツアーを終えてホテルに帰ると、

あの諦めていたカメラが届けられていたのです。

「なんて素晴らしいサービスなんだ」

と、その人はものすごく感動しました。

だって、レストランの人にとって、カメラを届けることは一文の得にもなりません。

なのにわざわざツアー会社に問い合わせ、お客さんの宿泊先を聞き、

ちゃんと届けてくれていたのです。

それはもう海外ではあり得ないサービスです。

それが日本には普通にある。

だから海外の人皆さんは、そんな日本に魅力を感じ、「また来たい」とおっしゃるのだと思うのです。

「財布を落として駅の紛失物係に届け出たら、

お金が入ったまま財布が返ってきてビックリした」

と話すツアー客もいました。

海外だと

「財布だけでも返ってきてラッキー」

くらいの感覚なので、落とした時のお金までそのまま入っていたので驚かれたわけです。

「日本はなんてすごい国なんだ!」

と興奮しながら話されていました。


そんなふうに日本には、ありとあらゆるところに高い倫理観や道徳観が充満しています。

では日本は、どうしてこんな国になれたのでしょう?

14年ハワイに住み、その後日本に帰ってきた時、私は気づきました。

「それは日本人が稲作で生きてきたからだったんだ!」と。

日本は2000年以上もの長い間、

「1年に1回のお米づくり」で生きてきました。

それに失敗したら、もう生きていけなくなってしまうのです。

ですから綿密に計画を立て、力を合わせて作り、

収穫後も計画的に考えながら食べる必要がありました。

その年の収穫は良好でも、翌年は不作になるかもしれません。

ですからそれに備えて最低でも再来年の種籾まで確保する必要がありました。

日本中はずっと2年先、3年先まで見据えながら生きてきたのです。


また、知恵の伝承も行われてきました。

「あの山にこういう雪が残っていたら翌年の気候はこうなるから、こんな農業をしなさい」

と、米作りと連動した言い伝えが、いろんな地域ごとに残っていますよね。

これを伝えるのは長老の役目です。

そうやって過去に学んできたものを現在に受け継ぎ、それを生かし、

さらに次の世代へと伝えていくということをずっとやってきたのです。

また、田植えというのは、いっぺんに植えなければ、稲の生育が変わってしまうので、

地域全体が一体となって協力して行う必要がありました。

ですから昔は、農業が忙しい時期になると、小学校も中学校も「田植え休み」「稲刈り休み」となりました。

地域ごとには「結(ゆい)」などの組織が作られながら、

地域(ゆい)全体で取り組める協力体制が整えられていったのです。

その中でお互いを信頼し合う関係性や社会性も培われていきました。

知恵を出す長老、力を出して労働する壮年から青年にかけての世代、

そして未来を担うために勉強する子供たち。

各世代ごとがそうやって、それぞれの役割分担を持ちながら、すべてがきれいにつながっていました。

つまり米作りは、

「過去から現在、未来へと続く時間の流れとしての縦軸」

と、

「お互いが協力し合う、道徳的な社会という横軸」

を作り上げていく、そんな力があったのです。

日本人は米作りを通して、

その力を獲得して、

それが長い年月をかけて日本の文化として醸成されていったのでした。


(「みやざき中央新聞」H29.3.13 渡邉さんより)