hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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(^_^)私はとっても普通の人です。

梅梅(みんみん)

2017-03-27 23:16:15 | 日記
今日のランチは、
金沢橋場町の「梅梅(みんみん)」


北京ダックを頂きます。(2人前から)
前菜

とりわけ



ゆず麺

杏仁豆腐

夜の準備でしょうか

ご馳走でした。(^_^)

天地とまじわる

2017-03-27 11:31:52 | お話
🌍🌎天地とまじわる🌏🌎


「ああ、天地は至って大きく、万物は至って衆(おお)い。

而(しか)して人間は万物の中の1つとして天地間に存在しており、

その形はと言えば、天地に比して極めて微小である。

天地未生(みしょう)の時(創造以前)より、

時節が至って天地の滅却する後(既壊の時=終末)まで、

天地の前を見、天地の終わりを察してみれば、天地は実に広大であって究極がない。

而して、人間は(最大限で)100年の齢(よわい)を保って天地と生命を共にしている。

しかし、たとえ100年の寿命を保つにしところで、

長い天地の時に比べれば何程でもない寸刻の時間である。


しかしながら、たとえその形が小であっても、

天地に参(まじ)わって存在しているものがある。

たとえ時間においては、しばしばであるとしても、

至広至大の天地の無窮と相終始するものがあって存在している。

たとえば、孔子や孟子のごとく、伯夷(はくい)や叔斉(しゅくせい)のごとく、

世界の存在する限り、

その教訓が遺り、万世の末まで人道の手本をとどめてさえおけば、

たとえ体は数千年の昔に死んでしまっても、

その心は、数千年の後までなお生きている。

これを天地と共に参(まじわ)るといい、

天地と相終始する者があって存在しているというのである」


(浅見絅斎(けいさい))