🌍🌎天地とまじわる🌏🌎
「ああ、天地は至って大きく、万物は至って衆(おお)い。
而(しか)して人間は万物の中の1つとして天地間に存在しており、
その形はと言えば、天地に比して極めて微小である。
天地未生(みしょう)の時(創造以前)より、
時節が至って天地の滅却する後(既壊の時=終末)まで、
天地の前を見、天地の終わりを察してみれば、天地は実に広大であって究極がない。
而して、人間は(最大限で)100年の齢(よわい)を保って天地と生命を共にしている。
しかし、たとえ100年の寿命を保つにしところで、
長い天地の時に比べれば何程でもない寸刻の時間である。
しかしながら、たとえその形が小であっても、
天地に参(まじ)わって存在しているものがある。
たとえ時間においては、しばしばであるとしても、
至広至大の天地の無窮と相終始するものがあって存在している。
たとえば、孔子や孟子のごとく、伯夷(はくい)や叔斉(しゅくせい)のごとく、
世界の存在する限り、
その教訓が遺り、万世の末まで人道の手本をとどめてさえおけば、
たとえ体は数千年の昔に死んでしまっても、
その心は、数千年の後までなお生きている。
これを天地と共に参(まじわ)るといい、
天地と相終始する者があって存在しているというのである」
(浅見絅斎(けいさい))