🍀🍀無駄のない人生🍀🍀
人は、用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。
「真実は皮膜の間にある」
という近松門左衛門の言葉のように、
求めているところにはありません。
しかし、どこかにあります。
雑誌や衝動買いなど、
無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。
無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとらわれていますから、
兆しには気がつかないものです。
無駄はとても大事です。
無駄が多くならなければ、ダメです。
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、
なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。
私は、3万円だと思って買ったバックが、30万円だったことがありました。
ゼロを1つ見落としていたのです。
レジで値段を告げられて驚きましたが、
いい買い物をしたと思っています。
何十年来とそのバックを使っています。
そして、買ってしばらくしてから、
そのバッグの会社オーナーが私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、
あらお互いさまね、と思いました。
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、
1 +1 = 2の人生です。
無駄のある人生は、1 +1を10にも20にもすることができます。
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
時間も無駄にしています。
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、
どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、
分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。
つまらないものを買ってしまった。
ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄は、よくなる必然だと思っています。
(「103歳になってわかったこと」篠田桃紅さんより)
人は、用だけを済ませて生きていると、真実を見落としてしまいます。
「真実は皮膜の間にある」
という近松門左衛門の言葉のように、
求めているところにはありません。
しかし、どこかにあります。
雑誌や衝動買いなど、
無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。
無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
用を足しているときは、目的を遂行することに気をとらわれていますから、
兆しには気がつかないものです。
無駄はとても大事です。
無駄が多くならなければ、ダメです。
お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。
安いから買っておこうというのとも違います。
無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、
なんとなく買ってしまう行為です。
なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。
しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。
私は、3万円だと思って買ったバックが、30万円だったことがありました。
ゼロを1つ見落としていたのです。
レジで値段を告げられて驚きましたが、
いい買い物をしたと思っています。
何十年来とそのバックを使っています。
そして、買ってしばらくしてから、
そのバッグの会社オーナーが私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、
あらお互いさまね、と思いました。
時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、
1 +1 = 2の人生です。
無駄のある人生は、1 +1を10にも20にもすることができます。
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
時間も無駄にしています。
しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
最初から完成形の絵なんて描けませんから、
どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、
分けることはできません。
なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。
つまらないものを買ってしまった。
ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。
無駄は、よくなる必然だと思っています。
(「103歳になってわかったこと」篠田桃紅さんより)