🌸🌸初女さんの宿題🌸🌸
1枚のはがき✉️が届いた。
佐藤初女先生🌸が、じっと👀こちらを見つめていた。
「しばらくぶりです🎵」
と声をかけ、しばし先生🌸の顔を見つめながら、
言葉🍀にならない会話を交わした。🎵
2016年2月1日、初女先生🌸は肉体を脱いで☁️☁️、遠い空に旅立って行かれた。☀️
あれから1年、初女先生🌸の写真展📷が銀座🏢で開かれるという案内のはがき✉️だった。
岸佳子さんという女性のカメラマン📷👀が撮った写真が展示された。
岸さんとは、川越で初女先生🌸の講演会があったときにお会いしたことがある。😄
岸さんも川越🌸にお住まいで、
また会いましょうとご挨拶🌸をしながら、そのまま時間🕑だけが過ぎていった。
会場は、銀座1丁目にある森岡書店🏠📖。
「1冊の本を売る書店」
としてマスコミ📺でも紹介🌸されているので、店名を聞いたことのある人もいるだろうと思う。
私も、名前🍀だけは知っていたが、どんな書店📖なのかイメージが湧かなかった。
実際に行ってみると、
「なるほど☁️☁️」と思うユニーク☀️な発想で運営🌸されている書店だった。
ギャラリー🎨と書店📖を組み合わせたようなスタイルで、
今回なら、初女先生🌸の写真展をしながら、
初女さんの「いのちをむすぶ」という書籍📖だけを置いて販売🍀すると言うもので、
1週間ごとに企画📝が変わる。
料理本📖🍜だったら、本を並べた横に、その本で紹介されている料理🍲を展示したりするそうだ。
町の書店がドンドンと潰れて😵いっている中で、
新しいスタイル⚡️の書店📖として、チャレンジしていく姿勢🍀には感銘💕を受ける。
初女先生🌸も、採算💰が合うとか合わないとか、
そんなことは考えずに行動✊してきた人だった。
彼女🌸の場合は、チャレンジ✊という力みは、まったくなかった。
私欲をもたず、
人のため💕を思い活動する初女先生🌸に、多くの人が心を揺り動かされ、応援🍀をしてきた。
岩木山麓🗻にある「森のイスキア」も、初女さんの活動に共鳴した、ある人の寄付🌸によって作られたものだ。
「ここにあるもの、全部、いただきものなの。🎵
お茶碗🍵もいただきもの」
いつかイスキア🏠をお訪ねしたとき、初女先生🌸が、そんなお話🎵をしてくださったことがあった。
古いオルガン🎵も、テーブルも、初女先生🌸にお世話になった人、初女先生を慕う人💓たちが
「どうぞ使ってください💕」
と寄贈💚したものだという。
人柄や活動に共鳴💕する人たちが、自分たちのできることで協力🌸しながら、
動きを作っていく📶というかたちを、初女先生🌸は教えてくれた。
決して簡単ではないことはよくわかる。
しかし、これからの時代🍀は、
きっと初女さん🌸のように、まわりが応援🍀したくなるような人が増えてくるのではと、先生に会うたびに希望をもらった。✊
森岡書店📖も、経営者の思いや新しい発想に心動かされた人たちの応援🌸によって成り立っていく
という流れを作ろうとしているのかもしれない。💕
初女さんの蒔いた種💓の1つが、
ここで発芽💚しようとしているのかもしれない。
森岡書店📖に入ると、正面に大きなパネルが飾ってあった。
はがき✉️にあった写真だ。
90歳くらいの初女先生🌸が、こちらをじっと👀見つめている。
笑顔を作っているわけではない、自然な表情🌸だ。
彼女の顔を見ながら、初女先生🌸と出会ったときのこと、
先生にまつわるエピソード🎵が思い出された。🍀
初女先生🌸と言えば、おむすび🍙だ。
先生のもとへは、悩んで🌀苦しんで、もう生きることにも疲れって😵しまった人が、たくさん訪ねてきた。🌊🌊
先生は、すべての人を黙って受け入れて🌸きた。
あれこれ話をして聞かせることはしない。
ただ、おむすび🍙を作って、それを
「どうぞ、お食べなさい💕」
と出すだけだ。
先生は、そばでじっと👀見守って🌸いる。
そうこうしてるうちに、悩み🌀を少しずつ打ち明けて☀️くれるようになる。
おむすび🍙を口に運びながら、自分のことを話し始める。🎵
先生は、だまって聞いて👂いるだけ。
そんな時間が、1時間も2時間も続く。🕐🕑
先生は、ほとんど言葉🍀を発していないのに、
当人は徐々に元気🍀になっていく。
お腹は空いてないはずだったのに、大きなおむすび🍙を2個も、ペロリと食べてしまう。💕
そうなると、しめたもので、😊
自分で答え☀️を出して、生きる意欲🌸を取り戻すのだ。✊🎵
ある女性🌸は、悩みが飽和状態😵になって、完全に無気力😱となり、自ら命を断つ⚡️決心をしていた。
死ぬ前に、いろいろと話に聞いていた初女先生🌸に会いたくて弘前を訪ねた。
先生は、ほかの人と同じように静かに彼女🌸を受け入れた。
しかし、彼女はまったく心💓を開くことなく一晩🌌が過ぎ、
翌朝、もう帰ります🎵と、帰り支度を始めた。
初女さんはおむすび🍙を作り、彼女に持たせた。💕
「お昼ご飯に食べればいいかなと思ってもたせたの🎵」
と、初女先生🌸はおっしゃっていた。
その彼女は、バッグ👜におむすび🍙を入れて、来たときと同じような暗い表情😱で帰っていった。
帰りの新幹線🚄の中で、彼女はバッグの中からおむすび🍙を出した。
せっかく作ってもらったおむすび🍙だから、今生の思い出🌸に食べておこうと思ったのだろうか。
バッグ👜に入れたときには気がつかなかったが、
初女先生🌸は、おむすび🍙をラップやアルミホイルで包むようなことはしない。🎵
タオルで丁寧に💓くるんでくれているのだ。
彼女はそれに感動💓した。
子供の頃、母🌸が、そうやっておむすび🍙をくるんでもたせてくれたことが思い出された。☁️☁️
タオルを開くと、のりの匂い🎵が漂ってきた。
自然に涙😢がこぼれてきた。
のりでていねいに包まれた丸いおむすび🍙。
ひと口、口👄に入れた。
のりと塩とご飯の味が広がっていく。💫
涙😂が、さらにあふれてきた。
自分のことを、こんなにも思ってくれている人がいるんだ。☀️
彼女の心💓の中に、希望🍀が湧き上がって⤴️⤴️きた。
こんなにも思っている人がいるのに、
自分は死んで😇しまっていいのだろうか。✊
自分もあんなふうに人を愛する❤️ことができたら、どんなにか、すばらしいだろう。😄💕
おむすび🍙を食べながら、
涙を流しながら、😭
さまざまな思い☁️☁️が浮かんできた。
おむすび🍙を食べ終わったあと、自分の中😄にエネルギー⚡️があふれてくるのを感じた。💕
「生きよう。✊
生きて🍀、少しでも人の役に立とう💕」
と、決心💓している自分がいた。
その後、彼女🌸は、生きること、死ぬことをみんなで考えようという会を設立🍀し、
自分と同じように、絶望😱して死💀を選ぼうとする人に、
生きる🍀ことの大切さ💕を伝える活動していると言う。😄🎵
初女先生🌸のおむすびの威力💣を思い知らされるエピソード☀️だ。
私も、重度のうつ病😨を患っている知り合いを2人、森のイスキア🏡へ連れて行ったことがあった。😄
初女先生🌸が姿を現すと、彼らの目からは涙が💧こぼれてきた。😭
そして、ひとしきり話を聞いてもらったあと、おむすび🍙をごちそうになった。
初女先生🌸は、おいしそうにおむすび🍙を食べている2人を、うれしそう💕に見ていた。👀✨
ただそれだけのことだった。
翌朝、2人の表情🌸は、来るときとは別人🔄のようになっていた。
この日☀️をきっかけに、1人は完全に復活🍀した。
もう1人は、1度は良くなったが、
しばらくしてから、再び悪化して、
自ら命を断って⚡️しまった。😵
明暗🌞🌚は別れてしまったが、
森のイスキア🏡で食べた初女先生🌸のおむすび🍙は、彼らにとっての一生の財産💰になったはずだ。
作家の田口ランディさんか、初女先生🌸を追悼する文書📝の中に、
「きっと、初女さん🌸に出会った一人ひとりが、宿題📝をもらっているに違いない」
と、書いている。🎵
その通りだと思う。💕
初女先生🌸は、
「あなたにとっての課題はね…」
とは決して言わない。😊
だれに対しても、だまってそばにいてくれるだけ。☀️
私たちは、初女先生🌸の行動を見ながら、
自分で自分の課題🍀を見つけ、テーマを探し出す。☀️
私にとっての宿題は何だったのだろう?
初女先生🌸が亡くなったあとに、初女先生の心💓に響く言葉🍀を集めた
「いのちをむすぶ」
という本📖が出版🌸された。
中で使われている写真は岸さんが撮ったものだ。
それを改めて読み直してみた。🎵
同書の38ページに、
「めんどくさい」というタイトルで、こんな言葉🍀がある。
「めんどくさいという言葉🍀が嫌いです。😊
めんどくさいと思うことは、
日に何度でもありますが、
手を抜くことは、心を抜くことだから、
ひとつひとつ、正しく、ていねいにやりたいの。💕
せっかく神さま☀️からいただいた手足を使わずに、
簡単便利に流れていくと、😊
知らず知らずのうちに、老い👵がすすんでいきますよ」
初女先生🌸と会うたびに、「めんどくさい」と思わないようにしよう、
何事もていねいに💕やろうと、心💓に言い聞かせてきた。
しかし、しばらくたつと、どうしても、
「めんどくさい」という気持ち💕に負けてしまい、
雑な仕事をしてしまう自分🍀がいる。
この宿題🍀は、とてもハードル🎵が高いけれども、
少しでも「めんどくさい」を減らしていかないと。💕
初女先生🌸のていねいさは半端ではなかった。
イスキア🏡を訪ねてくる人のために、暗いうちに起きて下準備🌸をする。
電話📞や手紙✉️、ファックス📠での相談事🌸にもていねいに答えているので、夜🌌も遅くなる。
いったい、いつ寝ている💤のだろうと思うような日課🌸でも、
何の不平、不満も言わずに、眠そうな顔も見せずに、
淡々と、やるべきことをこなしていく。😊💕
人が見ていないところで大変な努力✊をしていた。
同書46ページには、こんな言葉🍀があった。
「奉仕🌸とは、
自分のいいと思うことをするのではなく、
相手が望んでいることを感じて💓、
さりげなく差し出します。🎵
人の心に響く💕のは無意識にやったこと。
道端に置いて通り過ぎるように。
振り向きもしないで☁️☁️」
人に認められたい✊とか、いいところを見せたい☀️とか。
何かをやるときには、そう考えてしまう自分🍀がいる。
「さりげなく差し出す☁️」
「道端に置いてて通り過ぎる☁️」
なんて深い言葉🍀なんだろう。
これも、大きな宿題だ。
もう一つ。
「お役目🌸」とタイトルがつけられた言葉。
「私たちは人に仕える🌸ために生まれて🍀きました。
"何のために生きるのか"
"どうして生きる生まれてきたのか"
と、頭を悩ませるより、
人さまのお役に立つ🌸ように動いてください。😄☀️
元気🍀に挨拶🎵するだけでも、
じゅうぶん人を喜ばせる💕ことができますよ」
そして「死」について。
「死への準備、
この年になると、死😇についてよく訊かれますが、
あれこれ考えたところで、明日☀️のことはだれにもわかりません。
だから私は、死への準備はなんにもしていないの。☁️☁️
ただ、今を生きて🍀いるのです」
「最後に望むこと、
最期の日に何を望むか、
それはきっと特別🌸なことではなく、
その人がこれまで繰り返してきた日常🌸の中にある気がします🎵」
初女先生🌸の一生🍀のうち、このわずかな部分しか知らないけれども、
それでも何度かお会いした者として、
先生🌸の生き方🍀から感じた「宿題」を少しずつこなしていかないといけない。
そんなことを感じながら、初女先生🌸の写真を見ていた。
心が温かく💕なってきた。
初女先生🌸、ありがとうございました。😊💕
(「月刊ハイゲンキ」4月号 小原田泰久さんより)
1枚のはがき✉️が届いた。
佐藤初女先生🌸が、じっと👀こちらを見つめていた。
「しばらくぶりです🎵」
と声をかけ、しばし先生🌸の顔を見つめながら、
言葉🍀にならない会話を交わした。🎵
2016年2月1日、初女先生🌸は肉体を脱いで☁️☁️、遠い空に旅立って行かれた。☀️
あれから1年、初女先生🌸の写真展📷が銀座🏢で開かれるという案内のはがき✉️だった。
岸佳子さんという女性のカメラマン📷👀が撮った写真が展示された。
岸さんとは、川越で初女先生🌸の講演会があったときにお会いしたことがある。😄
岸さんも川越🌸にお住まいで、
また会いましょうとご挨拶🌸をしながら、そのまま時間🕑だけが過ぎていった。
会場は、銀座1丁目にある森岡書店🏠📖。
「1冊の本を売る書店」
としてマスコミ📺でも紹介🌸されているので、店名を聞いたことのある人もいるだろうと思う。
私も、名前🍀だけは知っていたが、どんな書店📖なのかイメージが湧かなかった。
実際に行ってみると、
「なるほど☁️☁️」と思うユニーク☀️な発想で運営🌸されている書店だった。
ギャラリー🎨と書店📖を組み合わせたようなスタイルで、
今回なら、初女先生🌸の写真展をしながら、
初女さんの「いのちをむすぶ」という書籍📖だけを置いて販売🍀すると言うもので、
1週間ごとに企画📝が変わる。
料理本📖🍜だったら、本を並べた横に、その本で紹介されている料理🍲を展示したりするそうだ。
町の書店がドンドンと潰れて😵いっている中で、
新しいスタイル⚡️の書店📖として、チャレンジしていく姿勢🍀には感銘💕を受ける。
初女先生🌸も、採算💰が合うとか合わないとか、
そんなことは考えずに行動✊してきた人だった。
彼女🌸の場合は、チャレンジ✊という力みは、まったくなかった。
私欲をもたず、
人のため💕を思い活動する初女先生🌸に、多くの人が心を揺り動かされ、応援🍀をしてきた。
岩木山麓🗻にある「森のイスキア」も、初女さんの活動に共鳴した、ある人の寄付🌸によって作られたものだ。
「ここにあるもの、全部、いただきものなの。🎵
お茶碗🍵もいただきもの」
いつかイスキア🏠をお訪ねしたとき、初女先生🌸が、そんなお話🎵をしてくださったことがあった。
古いオルガン🎵も、テーブルも、初女先生🌸にお世話になった人、初女先生を慕う人💓たちが
「どうぞ使ってください💕」
と寄贈💚したものだという。
人柄や活動に共鳴💕する人たちが、自分たちのできることで協力🌸しながら、
動きを作っていく📶というかたちを、初女先生🌸は教えてくれた。
決して簡単ではないことはよくわかる。
しかし、これからの時代🍀は、
きっと初女さん🌸のように、まわりが応援🍀したくなるような人が増えてくるのではと、先生に会うたびに希望をもらった。✊
森岡書店📖も、経営者の思いや新しい発想に心動かされた人たちの応援🌸によって成り立っていく
という流れを作ろうとしているのかもしれない。💕
初女さんの蒔いた種💓の1つが、
ここで発芽💚しようとしているのかもしれない。
森岡書店📖に入ると、正面に大きなパネルが飾ってあった。
はがき✉️にあった写真だ。
90歳くらいの初女先生🌸が、こちらをじっと👀見つめている。
笑顔を作っているわけではない、自然な表情🌸だ。
彼女の顔を見ながら、初女先生🌸と出会ったときのこと、
先生にまつわるエピソード🎵が思い出された。🍀
初女先生🌸と言えば、おむすび🍙だ。
先生のもとへは、悩んで🌀苦しんで、もう生きることにも疲れって😵しまった人が、たくさん訪ねてきた。🌊🌊
先生は、すべての人を黙って受け入れて🌸きた。
あれこれ話をして聞かせることはしない。
ただ、おむすび🍙を作って、それを
「どうぞ、お食べなさい💕」
と出すだけだ。
先生は、そばでじっと👀見守って🌸いる。
そうこうしてるうちに、悩み🌀を少しずつ打ち明けて☀️くれるようになる。
おむすび🍙を口に運びながら、自分のことを話し始める。🎵
先生は、だまって聞いて👂いるだけ。
そんな時間が、1時間も2時間も続く。🕐🕑
先生は、ほとんど言葉🍀を発していないのに、
当人は徐々に元気🍀になっていく。
お腹は空いてないはずだったのに、大きなおむすび🍙を2個も、ペロリと食べてしまう。💕
そうなると、しめたもので、😊
自分で答え☀️を出して、生きる意欲🌸を取り戻すのだ。✊🎵
ある女性🌸は、悩みが飽和状態😵になって、完全に無気力😱となり、自ら命を断つ⚡️決心をしていた。
死ぬ前に、いろいろと話に聞いていた初女先生🌸に会いたくて弘前を訪ねた。
先生は、ほかの人と同じように静かに彼女🌸を受け入れた。
しかし、彼女はまったく心💓を開くことなく一晩🌌が過ぎ、
翌朝、もう帰ります🎵と、帰り支度を始めた。
初女さんはおむすび🍙を作り、彼女に持たせた。💕
「お昼ご飯に食べればいいかなと思ってもたせたの🎵」
と、初女先生🌸はおっしゃっていた。
その彼女は、バッグ👜におむすび🍙を入れて、来たときと同じような暗い表情😱で帰っていった。
帰りの新幹線🚄の中で、彼女はバッグの中からおむすび🍙を出した。
せっかく作ってもらったおむすび🍙だから、今生の思い出🌸に食べておこうと思ったのだろうか。
バッグ👜に入れたときには気がつかなかったが、
初女先生🌸は、おむすび🍙をラップやアルミホイルで包むようなことはしない。🎵
タオルで丁寧に💓くるんでくれているのだ。
彼女はそれに感動💓した。
子供の頃、母🌸が、そうやっておむすび🍙をくるんでもたせてくれたことが思い出された。☁️☁️
タオルを開くと、のりの匂い🎵が漂ってきた。
自然に涙😢がこぼれてきた。
のりでていねいに包まれた丸いおむすび🍙。
ひと口、口👄に入れた。
のりと塩とご飯の味が広がっていく。💫
涙😂が、さらにあふれてきた。
自分のことを、こんなにも思ってくれている人がいるんだ。☀️
彼女の心💓の中に、希望🍀が湧き上がって⤴️⤴️きた。
こんなにも思っている人がいるのに、
自分は死んで😇しまっていいのだろうか。✊
自分もあんなふうに人を愛する❤️ことができたら、どんなにか、すばらしいだろう。😄💕
おむすび🍙を食べながら、
涙を流しながら、😭
さまざまな思い☁️☁️が浮かんできた。
おむすび🍙を食べ終わったあと、自分の中😄にエネルギー⚡️があふれてくるのを感じた。💕
「生きよう。✊
生きて🍀、少しでも人の役に立とう💕」
と、決心💓している自分がいた。
その後、彼女🌸は、生きること、死ぬことをみんなで考えようという会を設立🍀し、
自分と同じように、絶望😱して死💀を選ぼうとする人に、
生きる🍀ことの大切さ💕を伝える活動していると言う。😄🎵
初女先生🌸のおむすびの威力💣を思い知らされるエピソード☀️だ。
私も、重度のうつ病😨を患っている知り合いを2人、森のイスキア🏡へ連れて行ったことがあった。😄
初女先生🌸が姿を現すと、彼らの目からは涙が💧こぼれてきた。😭
そして、ひとしきり話を聞いてもらったあと、おむすび🍙をごちそうになった。
初女先生🌸は、おいしそうにおむすび🍙を食べている2人を、うれしそう💕に見ていた。👀✨
ただそれだけのことだった。
翌朝、2人の表情🌸は、来るときとは別人🔄のようになっていた。
この日☀️をきっかけに、1人は完全に復活🍀した。
もう1人は、1度は良くなったが、
しばらくしてから、再び悪化して、
自ら命を断って⚡️しまった。😵
明暗🌞🌚は別れてしまったが、
森のイスキア🏡で食べた初女先生🌸のおむすび🍙は、彼らにとっての一生の財産💰になったはずだ。
作家の田口ランディさんか、初女先生🌸を追悼する文書📝の中に、
「きっと、初女さん🌸に出会った一人ひとりが、宿題📝をもらっているに違いない」
と、書いている。🎵
その通りだと思う。💕
初女先生🌸は、
「あなたにとっての課題はね…」
とは決して言わない。😊
だれに対しても、だまってそばにいてくれるだけ。☀️
私たちは、初女先生🌸の行動を見ながら、
自分で自分の課題🍀を見つけ、テーマを探し出す。☀️
私にとっての宿題は何だったのだろう?
初女先生🌸が亡くなったあとに、初女先生の心💓に響く言葉🍀を集めた
「いのちをむすぶ」
という本📖が出版🌸された。
中で使われている写真は岸さんが撮ったものだ。
それを改めて読み直してみた。🎵
同書の38ページに、
「めんどくさい」というタイトルで、こんな言葉🍀がある。
「めんどくさいという言葉🍀が嫌いです。😊
めんどくさいと思うことは、
日に何度でもありますが、
手を抜くことは、心を抜くことだから、
ひとつひとつ、正しく、ていねいにやりたいの。💕
せっかく神さま☀️からいただいた手足を使わずに、
簡単便利に流れていくと、😊
知らず知らずのうちに、老い👵がすすんでいきますよ」
初女先生🌸と会うたびに、「めんどくさい」と思わないようにしよう、
何事もていねいに💕やろうと、心💓に言い聞かせてきた。
しかし、しばらくたつと、どうしても、
「めんどくさい」という気持ち💕に負けてしまい、
雑な仕事をしてしまう自分🍀がいる。
この宿題🍀は、とてもハードル🎵が高いけれども、
少しでも「めんどくさい」を減らしていかないと。💕
初女先生🌸のていねいさは半端ではなかった。
イスキア🏡を訪ねてくる人のために、暗いうちに起きて下準備🌸をする。
電話📞や手紙✉️、ファックス📠での相談事🌸にもていねいに答えているので、夜🌌も遅くなる。
いったい、いつ寝ている💤のだろうと思うような日課🌸でも、
何の不平、不満も言わずに、眠そうな顔も見せずに、
淡々と、やるべきことをこなしていく。😊💕
人が見ていないところで大変な努力✊をしていた。
同書46ページには、こんな言葉🍀があった。
「奉仕🌸とは、
自分のいいと思うことをするのではなく、
相手が望んでいることを感じて💓、
さりげなく差し出します。🎵
人の心に響く💕のは無意識にやったこと。
道端に置いて通り過ぎるように。
振り向きもしないで☁️☁️」
人に認められたい✊とか、いいところを見せたい☀️とか。
何かをやるときには、そう考えてしまう自分🍀がいる。
「さりげなく差し出す☁️」
「道端に置いてて通り過ぎる☁️」
なんて深い言葉🍀なんだろう。
これも、大きな宿題だ。
もう一つ。
「お役目🌸」とタイトルがつけられた言葉。
「私たちは人に仕える🌸ために生まれて🍀きました。
"何のために生きるのか"
"どうして生きる生まれてきたのか"
と、頭を悩ませるより、
人さまのお役に立つ🌸ように動いてください。😄☀️
元気🍀に挨拶🎵するだけでも、
じゅうぶん人を喜ばせる💕ことができますよ」
そして「死」について。
「死への準備、
この年になると、死😇についてよく訊かれますが、
あれこれ考えたところで、明日☀️のことはだれにもわかりません。
だから私は、死への準備はなんにもしていないの。☁️☁️
ただ、今を生きて🍀いるのです」
「最後に望むこと、
最期の日に何を望むか、
それはきっと特別🌸なことではなく、
その人がこれまで繰り返してきた日常🌸の中にある気がします🎵」
初女先生🌸の一生🍀のうち、このわずかな部分しか知らないけれども、
それでも何度かお会いした者として、
先生🌸の生き方🍀から感じた「宿題」を少しずつこなしていかないといけない。
そんなことを感じながら、初女先生🌸の写真を見ていた。
心が温かく💕なってきた。
初女先生🌸、ありがとうございました。😊💕
(「月刊ハイゲンキ」4月号 小原田泰久さんより)