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初女さんの宿題

2017-03-22 13:02:39 | お話
🌸🌸初女さんの宿題🌸🌸


1枚のはがき✉️が届いた。

佐藤初女先生🌸が、じっと👀こちらを見つめていた。

「しばらくぶりです🎵」

と声をかけ、しばし先生🌸の顔を見つめながら、

言葉🍀にならない会話を交わした。🎵

2016年2月1日、初女先生🌸は肉体を脱いで☁️☁️、遠い空に旅立って行かれた。☀️

あれから1年、初女先生🌸の写真展📷が銀座🏢で開かれるという案内のはがき✉️だった。

岸佳子さんという女性のカメラマン📷👀が撮った写真が展示された。

岸さんとは、川越で初女先生🌸の講演会があったときにお会いしたことがある。😄

岸さんも川越🌸にお住まいで、
また会いましょうとご挨拶🌸をしながら、そのまま時間🕑だけが過ぎていった。

会場は、銀座1丁目にある森岡書店🏠📖。

「1冊の本を売る書店」

としてマスコミ📺でも紹介🌸されているので、店名を聞いたことのある人もいるだろうと思う。

私も、名前🍀だけは知っていたが、どんな書店📖なのかイメージが湧かなかった。

実際に行ってみると、

「なるほど☁️☁️」と思うユニーク☀️な発想で運営🌸されている書店だった。

ギャラリー🎨と書店📖を組み合わせたようなスタイルで、

今回なら、初女先生🌸の写真展をしながら、
初女さんの「いのちをむすぶ」という書籍📖だけを置いて販売🍀すると言うもので、

1週間ごとに企画📝が変わる。

料理本📖🍜だったら、本を並べた横に、その本で紹介されている料理🍲を展示したりするそうだ。

町の書店がドンドンと潰れて😵いっている中で、

新しいスタイル⚡️の書店📖として、チャレンジしていく姿勢🍀には感銘💕を受ける。


初女先生🌸も、採算💰が合うとか合わないとか、

そんなことは考えずに行動✊してきた人だった。

彼女🌸の場合は、チャレンジ✊という力みは、まったくなかった。

私欲をもたず、

人のため💕を思い活動する初女先生🌸に、多くの人が心を揺り動かされ、応援🍀をしてきた。

岩木山麓🗻にある「森のイスキア」も、初女さんの活動に共鳴した、ある人の寄付🌸によって作られたものだ。

「ここにあるもの、全部、いただきものなの。🎵

お茶碗🍵もいただきもの」

いつかイスキア🏠をお訪ねしたとき、初女先生🌸が、そんなお話🎵をしてくださったことがあった。

古いオルガン🎵も、テーブルも、初女先生🌸にお世話になった人、初女先生を慕う人💓たちが

「どうぞ使ってください💕」

と寄贈💚したものだという。

人柄や活動に共鳴💕する人たちが、自分たちのできることで協力🌸しながら、

動きを作っていく📶というかたちを、初女先生🌸は教えてくれた。

決して簡単ではないことはよくわかる。

しかし、これからの時代🍀は、

きっと初女さん🌸のように、まわりが応援🍀したくなるような人が増えてくるのではと、先生に会うたびに希望をもらった。✊


森岡書店📖も、経営者の思いや新しい発想に心動かされた人たちの応援🌸によって成り立っていく

という流れを作ろうとしているのかもしれない。💕

初女さんの蒔いた種💓の1つが、
ここで発芽💚しようとしているのかもしれない。


森岡書店📖に入ると、正面に大きなパネルが飾ってあった。

はがき✉️にあった写真だ。

90歳くらいの初女先生🌸が、こちらをじっと👀見つめている。

笑顔を作っているわけではない、自然な表情🌸だ。

彼女の顔を見ながら、初女先生🌸と出会ったときのこと、
先生にまつわるエピソード🎵が思い出された。🍀


初女先生🌸と言えば、おむすび🍙だ。

先生のもとへは、悩んで🌀苦しんで、もう生きることにも疲れって😵しまった人が、たくさん訪ねてきた。🌊🌊

先生は、すべての人を黙って受け入れて🌸きた。

あれこれ話をして聞かせることはしない。

ただ、おむすび🍙を作って、それを

「どうぞ、お食べなさい💕」

と出すだけだ。

先生は、そばでじっと👀見守って🌸いる。

そうこうしてるうちに、悩み🌀を少しずつ打ち明けて☀️くれるようになる。

おむすび🍙を口に運びながら、自分のことを話し始める。🎵

先生は、だまって聞いて👂いるだけ。

そんな時間が、1時間も2時間も続く。🕐🕑

先生は、ほとんど言葉🍀を発していないのに、

当人は徐々に元気🍀になっていく。

お腹は空いてないはずだったのに、大きなおむすび🍙を2個も、ペロリと食べてしまう。💕

そうなると、しめたもので、😊

自分で答え☀️を出して、生きる意欲🌸を取り戻すのだ。✊🎵


ある女性🌸は、悩みが飽和状態😵になって、完全に無気力😱となり、自ら命を断つ⚡️決心をしていた。

死ぬ前に、いろいろと話に聞いていた初女先生🌸に会いたくて弘前を訪ねた。

先生は、ほかの人と同じように静かに彼女🌸を受け入れた。

しかし、彼女はまったく心💓を開くことなく一晩🌌が過ぎ、

翌朝、もう帰ります🎵と、帰り支度を始めた。

初女さんはおむすび🍙を作り、彼女に持たせた。💕

「お昼ご飯に食べればいいかなと思ってもたせたの🎵」

と、初女先生🌸はおっしゃっていた。

その彼女は、バッグ👜におむすび🍙を入れて、来たときと同じような暗い表情😱で帰っていった。

帰りの新幹線🚄の中で、彼女はバッグの中からおむすび🍙を出した。

せっかく作ってもらったおむすび🍙だから、今生の思い出🌸に食べておこうと思ったのだろうか。

バッグ👜に入れたときには気がつかなかったが、

初女先生🌸は、おむすび🍙をラップやアルミホイルで包むようなことはしない。🎵

タオルで丁寧に💓くるんでくれているのだ。

彼女はそれに感動💓した。

子供の頃、母🌸が、そうやっておむすび🍙をくるんでもたせてくれたことが思い出された。☁️☁️

タオルを開くと、のりの匂い🎵が漂ってきた。

自然に涙😢がこぼれてきた。

のりでていねいに包まれた丸いおむすび🍙。

ひと口、口👄に入れた。

のりと塩とご飯の味が広がっていく。💫

涙😂が、さらにあふれてきた。


自分のことを、こんなにも思ってくれている人がいるんだ。☀️

彼女の心💓の中に、希望🍀が湧き上がって⤴️⤴️きた。

こんなにも思っている人がいるのに、
自分は死んで😇しまっていいのだろうか。✊

自分もあんなふうに人を愛する❤️ことができたら、どんなにか、すばらしいだろう。😄💕

おむすび🍙を食べながら、

涙を流しながら、😭

さまざまな思い☁️☁️が浮かんできた。

おむすび🍙を食べ終わったあと、自分の中😄にエネルギー⚡️があふれてくるのを感じた。💕


「生きよう。✊

生きて🍀、少しでも人の役に立とう💕」

と、決心💓している自分がいた。

その後、彼女🌸は、生きること、死ぬことをみんなで考えようという会を設立🍀し、

自分と同じように、絶望😱して死💀を選ぼうとする人に、

生きる🍀ことの大切さ💕を伝える活動していると言う。😄🎵

初女先生🌸のおむすびの威力💣を思い知らされるエピソード☀️だ。


私も、重度のうつ病😨を患っている知り合いを2人、森のイスキア🏡へ連れて行ったことがあった。😄

初女先生🌸が姿を現すと、彼らの目からは涙が💧こぼれてきた。😭

そして、ひとしきり話を聞いてもらったあと、おむすび🍙をごちそうになった。

初女先生🌸は、おいしそうにおむすび🍙を食べている2人を、うれしそう💕に見ていた。👀✨

ただそれだけのことだった。

翌朝、2人の表情🌸は、来るときとは別人🔄のようになっていた。

この日☀️をきっかけに、1人は完全に復活🍀した。

もう1人は、1度は良くなったが、
しばらくしてから、再び悪化して、

自ら命を断って⚡️しまった。😵

明暗🌞🌚は別れてしまったが、
森のイスキア🏡で食べた初女先生🌸のおむすび🍙は、彼らにとっての一生の財産💰になったはずだ。


作家の田口ランディさんか、初女先生🌸を追悼する文書📝の中に、

「きっと、初女さん🌸に出会った一人ひとりが、宿題📝をもらっているに違いない」

と、書いている。🎵

その通りだと思う。💕

初女先生🌸は、

「あなたにとっての課題はね…」

とは決して言わない。😊

だれに対しても、だまってそばにいてくれるだけ。☀️

私たちは、初女先生🌸の行動を見ながら、

自分で自分の課題🍀を見つけ、テーマを探し出す。☀️

私にとっての宿題は何だったのだろう?


初女先生🌸が亡くなったあとに、初女先生の心💓に響く言葉🍀を集めた

「いのちをむすぶ」

という本📖が出版🌸された。

中で使われている写真は岸さんが撮ったものだ。

それを改めて読み直してみた。🎵

同書の38ページに、

「めんどくさい」というタイトルで、こんな言葉🍀がある。

「めんどくさいという言葉🍀が嫌いです。😊

めんどくさいと思うことは、

日に何度でもありますが、

手を抜くことは、心を抜くことだから、

ひとつひとつ、正しく、ていねいにやりたいの。💕

せっかく神さま☀️からいただいた手足を使わずに、

簡単便利に流れていくと、😊

知らず知らずのうちに、老い👵がすすんでいきますよ」

初女先生🌸と会うたびに、「めんどくさい」と思わないようにしよう、

何事もていねいに💕やろうと、心💓に言い聞かせてきた。

しかし、しばらくたつと、どうしても、
「めんどくさい」という気持ち💕に負けてしまい、

雑な仕事をしてしまう自分🍀がいる。

この宿題🍀は、とてもハードル🎵が高いけれども、
少しでも「めんどくさい」を減らしていかないと。💕


初女先生🌸のていねいさは半端ではなかった。

イスキア🏡を訪ねてくる人のために、暗いうちに起きて下準備🌸をする。

電話📞や手紙✉️、ファックス📠での相談事🌸にもていねいに答えているので、夜🌌も遅くなる。

いったい、いつ寝ている💤のだろうと思うような日課🌸でも、

何の不平、不満も言わずに、眠そうな顔も見せずに、

淡々と、やるべきことをこなしていく。😊💕

人が見ていないところで大変な努力✊をしていた。


同書46ページには、こんな言葉🍀があった。

「奉仕🌸とは、

自分のいいと思うことをするのではなく、

相手が望んでいることを感じて💓、

さりげなく差し出します。🎵

人の心に響く💕のは無意識にやったこと。

道端に置いて通り過ぎるように。

振り向きもしないで☁️☁️」


人に認められたい✊とか、いいところを見せたい☀️とか。

何かをやるときには、そう考えてしまう自分🍀がいる。

「さりげなく差し出す☁️」

「道端に置いてて通り過ぎる☁️」

なんて深い言葉🍀なんだろう。

これも、大きな宿題だ。

もう一つ。

「お役目🌸」とタイトルがつけられた言葉。


「私たちは人に仕える🌸ために生まれて🍀きました。

"何のために生きるのか"

"どうして生きる生まれてきたのか"

と、頭を悩ませるより、

人さまのお役に立つ🌸ように動いてください。😄☀️

元気🍀に挨拶🎵するだけでも、

じゅうぶん人を喜ばせる💕ことができますよ」


そして「死」について。

「死への準備、

この年になると、死😇についてよく訊かれますが、

あれこれ考えたところで、明日☀️のことはだれにもわかりません。

だから私は、死への準備はなんにもしていないの。☁️☁️

ただ、今を生きて🍀いるのです」


「最後に望むこと、

最期の日に何を望むか、

それはきっと特別🌸なことではなく、

その人がこれまで繰り返してきた日常🌸の中にある気がします🎵」


初女先生🌸の一生🍀のうち、このわずかな部分しか知らないけれども、

それでも何度かお会いした者として、

先生🌸の生き方🍀から感じた「宿題」を少しずつこなしていかないといけない。

そんなことを感じながら、初女先生🌸の写真を見ていた。

心が温かく💕なってきた。

初女先生🌸、ありがとうございました。😊💕


(「月刊ハイゲンキ」4月号 小原田泰久さんより)