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パートの星①

2017-08-06 15:10:24 | お話
パートの星①


(勝俣さんは、いちやまマート城山店のメイト(パート)さんとして勤務して来られる中で、

例えば1日でりんご1,300個販売するなど、ものすごい売り上げを上げてこられたそうですね)

🔸ありがとうございます。

でも、そういった成果は、私だけの力ではなくて、店長さんや周りの方々の協力があってこそだと思っています。

それに私は社長にすごく感謝していて、うちの会社はメイトさんでも一所懸命努力して頑張れば、

きちんと評価してくださるんですよ。

実際、頑張ってした仕事が認められて、もっと仕事が任されるようになると、嬉しいじゃないですか。

そうやって努力していけば、もっとよい道が開けるかもしれないと思って、

自分なりに、ずっと頑張ってやっていきました。

ただ、私はこちらに勤めて30年くらいが経つんですけど、

60歳を前にメイト係長を降りることになって、

いまは若い世代に仕事を教えながら、主に仕事の補助をしています。

その当時は、まだまだやれるって自分では思っていたんですけど、

やっぱり時代の流れなのかなと。

それに、そうやって納得できたのは、自分がほんとに一所懸命やってくることができたからだと思うんです。

そうやって思えるくらい仕事をしてこられたっていうのは、本当にありがたいですね。

(それだけ精いっぱい仕事に打ち込んでこられたわけですね)

🔸ええ。それと、これは私が入ってすぐのことですけど、

他のメイトさんで納得できないような仕事をしている方がいたんです。

それがどうしても気になって、ある時、当時の係長に

「仕事は好きで頑張りたいけど、何だか辞めたい気分なんです」

って相談に行ったことがあるんですよ。

そしたら課長が、

「人間というのは、努力をしていれば必ずいいことがあるよ」

って、そう言われました。

それから30年近くが経ちますけど、

この言葉は、いまだに心から離れなくて、

常に私の支えになってくれました。

きっと、この言葉が私の心の奥底にあったからこそ、

何があっても、もうちょっとだけ頑張ってみようって踏ん張ることができたんだと思います。


(勝俣さんはどういうきっかけでお店に入られたのですか)

🔸もともとは地元の製造業の会社で12年間働いていたんですけど、

3人目の子供が生まれた時に、これ以上実家で子供たちの面倒を見てもらうのは無理だっていうことになって、

泣く泣く辞めたんです。

それから1年は家で子育てをしたんですけど、

やっぱり自分は仕事が好きだから、家でじっとしていられないんですよ。

ちょうどその頃に、近所のいちやまマートが「木曜市」を始めるため、その要員募集の広告を出していたんです。

これだと思って、すぐにお祖母ちゃんに相談して、

4時間だけという約束で、勤めに出られることになりました。

それが半年くらいして、1日になり、2日、3日という形で増えていくうちに、

私、社員のサブを任されるようになったんです。

(社員のサブ、というと?)

🔸私のいた青果部は課長の社員が1人で、あとは全員メイトさんでした。

だから、課長がお休みの時は、代わりに私が責任を持ってやるように、だんだんとなっていったんです。

何でそうなったのかなと思うと、

やっぱり仕事って仕事だけじゃなくて、

人間関係を円滑にすることも必要じゃないですか。

だから、私は皆は嫌だなって思うような仕事を率先してやったんです。

例えば、当時は蘇生(そせい)といって、冷たい水を張った大きな水槽に葉物の野菜を浸けて持ち上げるという仕事がありました。

これって、すごく重労働で、それまで女性は誰もやったことがなかったんですけど、

それを敢えて私がやったんです。

確かに重かったですけど、コツを掴めば女性だって難なくできるなっていう感じでしたね。

他にもいろいろありましたけど、

あとは、何でもこう、チャレンジしたいと手を挙げて、実際にやらせてもらうことですね。

最初のうちはうまくいかなくても、

何度もやっていけば慣れてくるし、自ずと自信もついてくるものです。


(つづく)

(「致知」9月号 勝俣千恵子さんより)