JR九州②
(唐池会長はどのような経緯で国鉄に入社されたのですか)
🔹私は、あまり鉄道が好きじゃなかったんですけど(笑)、
大学の柔道部の10年上の先輩が国鉄に勤めていまして、
その先輩に誘われたのがきっかけです。
4年生の最後の試合が7月半ばだったんで、
当時は就職活動のことなんか考えてもいませんでした。
稽古のために、いろんな企業を回っていたんですけど、
ちょうど北海道に遠征合宿していた時に、
先輩が我われ柔道部員に餃子300人前を差し入れしてくれたんです。
餃子はあっという間になくなったんですけど、
それがトレードマネーだったんですね(笑)。
餃子300人前と私の身柄とが引き換えになって、
「おまえ、何も就職活動していないなら、国鉄へ来い」と。
1976年の夏でした。
それで私は何も考えず、就職活動もしないまま、
とにかく試験を受けて、何となく合格して、翌年4月に入社したんです。
(ご縁があったんですね)
🔹私が入社する10年ほど前は、国鉄に入るには難関な試験をクリアしなければなりませんでした。
ところが、その頃は赤字の連続で、職場は乱れ、
ギスギスした労使関係で組織の体を成していなかったんですね。
そういう中で、時の国鉄総裁が
「頭でっかちなエリートはいらない。
運動部の経験者を取ろう」
と採用方針を変えまして、私はその枠に入ったんです。
(しかし、唐池会長は京都大学法学部ですから、どちらも兼ね備えていたわけでしょう)
🔹いやいや、その頃の私の脳みそは筋肉でできていると言っていいほど、柔道ばかりやっていました。
私がこのように知的になったのはね(笑)、
40代になって本を読み始めてからです。
年間100冊から120冊は読みました。
(読書に目覚められたのは何かきっかけが?)
🔹特にないんですけど、もともと中学・高校時代は文学少年でした。
だから本を読むのは好きなんですよ。
大学時代は柔道に明け暮れ、
社会人になってからの17、18年は現場の仕事に追われていたので、
読書から遠ざかっていたものの、
40代を境に、司馬遼太郎や池波正太郎、藤沢周平、浅田次郎といった作家の小説を片っ端から読むようになりました。
中でも私は池波正太郎の大ファンでしてね。
『鬼平犯科帳』全24巻、『剣客商売』全16巻、『真田太平記』全12巻は40代の時に一度読み、
昨年1年間で再び全部読破したほどです。
(読書を通じて学ばれたことは何ですか)
🔹それは何と言ってもリーダーシップですね。
『鬼平犯科帳』はその指南書だと思います。
組織の一人ひとりに声を掛けて、褒めて、労っている鬼平の姿が描かれているんですけど、
私はそこに感動しました。
やはりリーダーっていうのは組織の中の一人ひとりを、いかにその気にさせるかです。
(実際に入社されてからはいかがでしたか)
🔹私が入社して11年目に、国鉄は破綻してJRに分社化したんですけど、
入社2年目の1978年10月に国鉄始まって以来の大合理化のダイヤ改正がありましてね。
私はその年の1月に東京北鉄道管理局の営業部総務課に配属され、
ダイヤ改正までの約8カ月、国鉄当局側の団体交渉員を務めました。
東京駅の地下の団交室には100人も200人も労働組合員がいるんですよ。
そこに課長でも係長でもない入社2年目の平職員が1人責任を持って出なきゃいけない。
部屋中、タバコの煙だらけ。
皆ものすごくピリピリしていて、
こちらが少し言い間違えたり、変なことをすると、
すぐ糾弾され、吊るし上げを食う。
だから、ものすごくしんどかったし、逆に面白かったし、
今から思うと、私の基礎をつくってくれた時代でしたね。
(ああ、その厳しい状況が基礎をくつってくれたと)
🔹その後、隅田川駅や貨物局での勤務を経て、
6年目に福島県棚倉にある国鉄バスの営業所長に赴任しました。
職員数100名くらいの営業所なんですが、
職場は荒廃していまして、管理者と職員は対立して口も利かないんです。
私は赴任した翌日から、職員が待機している詰所に毎朝行って、挨拶回りを始めました。
最初は全然挨拶が返ってこない。
無視される。
睨まれる。
ところが、これを2週間続けたら、
1人、2人と挨拶が返ってくるになり、
1ヵ月半ほどで全員が気持ちよく挨拶するようになったんです。
(職員の心が変わったのですね)
🔹ずっと憎しみ合いたいと思っている人間はいませんからね。
どんなに対立していても、できるだけ仲良くなりたいと思っているんです。
挨拶ひとつ継続することで、荒廃した職場を和気藹々とした職場に変え、
いくつもの合理化事案をまとめることができました。
(そういう仕事に当たる際に、心掛けていたことはありますか)
🔹まずね、最初に話した「誠実」ですよ。
これは当時の上司に教わったことですが、
どんなに敵対関係にあっても一旦約束したことは絶対に守る。
嘘をつかない。
ごまかさない。
相手を信頼する。
そうすると、今度は相手がこちらを信頼してくる。
「あいつが言うなら大丈夫だ」と。
こうなれば交渉はうまく運ぶんですね。
逆に嘘をついたり、ごまかしたり、
その場凌ぎのことを言ったりすると、
いつまでも信頼してくれません。
それから、やはり心を通わせるためには2メートル以内に近づくことが大事です。
電話じゃダメ。
2メートル以内の距離に近づいて、フェイス・トゥ・フェイスで話をする。
これが1番いい。
こういう人間関係の機微を学ぶことができました。
(つづく)
(「致知」9月号 唐池恒二さんより)
(唐池会長はどのような経緯で国鉄に入社されたのですか)
🔹私は、あまり鉄道が好きじゃなかったんですけど(笑)、
大学の柔道部の10年上の先輩が国鉄に勤めていまして、
その先輩に誘われたのがきっかけです。
4年生の最後の試合が7月半ばだったんで、
当時は就職活動のことなんか考えてもいませんでした。
稽古のために、いろんな企業を回っていたんですけど、
ちょうど北海道に遠征合宿していた時に、
先輩が我われ柔道部員に餃子300人前を差し入れしてくれたんです。
餃子はあっという間になくなったんですけど、
それがトレードマネーだったんですね(笑)。
餃子300人前と私の身柄とが引き換えになって、
「おまえ、何も就職活動していないなら、国鉄へ来い」と。
1976年の夏でした。
それで私は何も考えず、就職活動もしないまま、
とにかく試験を受けて、何となく合格して、翌年4月に入社したんです。
(ご縁があったんですね)
🔹私が入社する10年ほど前は、国鉄に入るには難関な試験をクリアしなければなりませんでした。
ところが、その頃は赤字の連続で、職場は乱れ、
ギスギスした労使関係で組織の体を成していなかったんですね。
そういう中で、時の国鉄総裁が
「頭でっかちなエリートはいらない。
運動部の経験者を取ろう」
と採用方針を変えまして、私はその枠に入ったんです。
(しかし、唐池会長は京都大学法学部ですから、どちらも兼ね備えていたわけでしょう)
🔹いやいや、その頃の私の脳みそは筋肉でできていると言っていいほど、柔道ばかりやっていました。
私がこのように知的になったのはね(笑)、
40代になって本を読み始めてからです。
年間100冊から120冊は読みました。
(読書に目覚められたのは何かきっかけが?)
🔹特にないんですけど、もともと中学・高校時代は文学少年でした。
だから本を読むのは好きなんですよ。
大学時代は柔道に明け暮れ、
社会人になってからの17、18年は現場の仕事に追われていたので、
読書から遠ざかっていたものの、
40代を境に、司馬遼太郎や池波正太郎、藤沢周平、浅田次郎といった作家の小説を片っ端から読むようになりました。
中でも私は池波正太郎の大ファンでしてね。
『鬼平犯科帳』全24巻、『剣客商売』全16巻、『真田太平記』全12巻は40代の時に一度読み、
昨年1年間で再び全部読破したほどです。
(読書を通じて学ばれたことは何ですか)
🔹それは何と言ってもリーダーシップですね。
『鬼平犯科帳』はその指南書だと思います。
組織の一人ひとりに声を掛けて、褒めて、労っている鬼平の姿が描かれているんですけど、
私はそこに感動しました。
やはりリーダーっていうのは組織の中の一人ひとりを、いかにその気にさせるかです。
(実際に入社されてからはいかがでしたか)
🔹私が入社して11年目に、国鉄は破綻してJRに分社化したんですけど、
入社2年目の1978年10月に国鉄始まって以来の大合理化のダイヤ改正がありましてね。
私はその年の1月に東京北鉄道管理局の営業部総務課に配属され、
ダイヤ改正までの約8カ月、国鉄当局側の団体交渉員を務めました。
東京駅の地下の団交室には100人も200人も労働組合員がいるんですよ。
そこに課長でも係長でもない入社2年目の平職員が1人責任を持って出なきゃいけない。
部屋中、タバコの煙だらけ。
皆ものすごくピリピリしていて、
こちらが少し言い間違えたり、変なことをすると、
すぐ糾弾され、吊るし上げを食う。
だから、ものすごくしんどかったし、逆に面白かったし、
今から思うと、私の基礎をつくってくれた時代でしたね。
(ああ、その厳しい状況が基礎をくつってくれたと)
🔹その後、隅田川駅や貨物局での勤務を経て、
6年目に福島県棚倉にある国鉄バスの営業所長に赴任しました。
職員数100名くらいの営業所なんですが、
職場は荒廃していまして、管理者と職員は対立して口も利かないんです。
私は赴任した翌日から、職員が待機している詰所に毎朝行って、挨拶回りを始めました。
最初は全然挨拶が返ってこない。
無視される。
睨まれる。
ところが、これを2週間続けたら、
1人、2人と挨拶が返ってくるになり、
1ヵ月半ほどで全員が気持ちよく挨拶するようになったんです。
(職員の心が変わったのですね)
🔹ずっと憎しみ合いたいと思っている人間はいませんからね。
どんなに対立していても、できるだけ仲良くなりたいと思っているんです。
挨拶ひとつ継続することで、荒廃した職場を和気藹々とした職場に変え、
いくつもの合理化事案をまとめることができました。
(そういう仕事に当たる際に、心掛けていたことはありますか)
🔹まずね、最初に話した「誠実」ですよ。
これは当時の上司に教わったことですが、
どんなに敵対関係にあっても一旦約束したことは絶対に守る。
嘘をつかない。
ごまかさない。
相手を信頼する。
そうすると、今度は相手がこちらを信頼してくる。
「あいつが言うなら大丈夫だ」と。
こうなれば交渉はうまく運ぶんですね。
逆に嘘をついたり、ごまかしたり、
その場凌ぎのことを言ったりすると、
いつまでも信頼してくれません。
それから、やはり心を通わせるためには2メートル以内に近づくことが大事です。
電話じゃダメ。
2メートル以内の距離に近づいて、フェイス・トゥ・フェイスで話をする。
これが1番いい。
こういう人間関係の機微を学ぶことができました。
(つづく)
(「致知」9月号 唐池恒二さんより)