①甲州ワイン
(全五回)
文明開花からまもなく1877年(明治10年)。
高野正誠と土屋竜憲という2人の青年が山梨からフランスへと渡り、
ワイン醸造を学んだところから日本のワインの歴史が始まった。
ワインは日本人の口に合う洋酒だったらしく、
ビールと並んで最初に日本で根付いた洋酒文化となった。
そして2人の青年の故郷である甲府盆地は日本における最初で最大の国産ワインの蔵醸造地となった。
理由はもちろん、原料となるブドウの栽培地だったからだ。
さて、ここから、いよいよワインの話を始めよう。
ワインはブドウからつくる「果実酒」だ。
果実酒の醸造は、果実の栽培地のすぐ近くでないといけない。
なぜなら、果汁が新鮮なうちに仕込まないと、美味しい酒ができないからだ。
一方、麦でつくるビール、米でつくる日本酒のような「穀物酒」は、
原料の穀物の保存性が高いので、
麦畑は田んぼから離れていても醸造ができる。
実際に小規模の量で仕込めるビールは都市部にたくさん小さなメーカーがある。
ところが、ワイはそうはいかない。
フランスのボルドーやブルゴーニュ、イタリアのピエモンテ、スペインのリオハなど
「ワインの名産地」と呼ばれているところは、必ず「ブドウの名産地」でもある。
同じように日本で唯一のブドウ栽培だった山梨がワインの名産地になるのは必然だった。
それはなぜか。
ワインの質=ぶどうの質だからだ。
一般的に酒の出来上がりは「原料の質」と「醸造技術」のかけ合わせで決まる。
日本酒の場合は、原料の質と醸造技術が五分五分くらいのバランスで酒質が決まる。
最新技術を取り入れてつくっている蔵はもっとも醸造の割合が高い。
醸造工程が複雑なぶん、人間が工夫できる余地がたくさんあるのだね。
対して、ワインは原料8:醸造2 くらいだろう。
醸造家にとっては「ほぼ原料のブドウで決まるね」と断言するぐらい、圧倒的にブドウの質が酒の出来に関与する。
つまり人間が関与する余地が少ないということだ。
つまるところ「ワイン醸造=農業」とすら言える。
美味しいワインを生み出すブドウをどのように育てるのか。
そこにワイン醸造の本質がある。
ということはだ。
腕利きのワイン醸造家は「自分でブドウを育てる」のであるよ。
日本酒の醸造家は必ずしも自分で米を栽培する必要はないが、
ワイン醸造家がブドウを触らないのは通常考えられない。
ワインの醸造を始める前に、日々ブドウの様子を見てワインの出来を高めていく。
だからワイン醸造家はブドウの栽培地に住む「ブドウ農家」としての顔を持っている。
このように、ワインは原料のブドウの栽培地で生まれる。
それは別の言葉で表現すれば、ワインはブドウの生まれる風土から逃れられない、ということだ。
これがワインを評するときによく言われる「テロワール」の正体だ。
ワインの質=ブドウの質=土地の質、
つまり "テロワール" なのだね。
さて。では甲州ワインの独自性とは何なのだろうか。
その要素を大きく分けると、
【風土】半分ヨーロッパっぽくて、半分日本ぽい地形と気候
【ぶどう】シルクロードから渡ってきた甲州ブドウで仕込む
この2つの特徴に分かれる。
まず風土性(テロワール)から行こう。
僕の住む甲府盆地は、いわゆる日本の里山とひと味違った不思議な景観をしている。
坂道だらけで、あちこちに岩肌が露出している。
道は積み石で舗装され、背の低い果樹畑が延々と続く。
朝夜と昼間の寒暖差が大きく、夏暑く冬寒い。
山から盆地に風が吹き込み、空気は乾いている。
丘の上にワイナリーやワインレストランの瀟洒な建物そびえているのを見ると、
まるでフランスの田舎にいるような感じもする。
とはいえ、ほんとにヨーロッパっぽいかというと、基本はやはり日本なんだよね。
梅雨はそれなりにジメジメするし、冬にはぼた雪が降り積もり、豊かな河川がいくつも流れている。
水気がいっぱいあって、地面を焼き尽くすような凶悪な日照りもない。
スペイン中部の不毛の赤い大地にオリーブとブドウの樹がポツポツ生えるだけ…という厳しい世界とは違う。
この「半分ヨーロッパっぽくて、半分日本っぽい」という気候がブドウの生育とクオリティに絶妙な影響をもたらすのだね。
次にブドウについて。
甲州ワインの独自性を最も端的にあらわしているのは、
1300年前に大陸から伝わった「甲州ブドウ」を使って仕込んだ白ワインだ。
もちろんヨーロッパやアメリカから輸入したブドウ種を使ったワインもたくさんあるのだが、
甲州ワインと言えばとにかく「甲州ブドウを醸した白ワイン」なのであり、
甲州ブドウの存在こそ、この土地のワイン醸造家にとっての誇りなのだ。
この甲州ブドウ。
一言でいえば、あまり人の手が入ってない素朴なブドウだ。
フランスやイタリアでは「ワイン用にチューンナップされたブドウ」を使って、
ワインを仕込むことがほとんど。
輸入ワインのボトルに書いてある
「カベルネ・ソーヴィニヨン」
とか
「シャルドネ」というのは、
「ワイン用にチューンナップされたブドウ」の名前だ。
対して甲州ブドウは、別にワイン用にチューンナップされていない。
ついでに果物屋さんで1房 2〜3,000円で売られているような、
めちゃ甘くて皮まで食べられるデザート用ブドウでもない。
ヨーロッパが数百年かけてワインやデザートにあうように優良品種のブドウの選抜と改良を繰り返していたあいだ、
甲州ブドウは、ずっと野山の片隅でぼんやりしていた。
つまり「甲州ワイン」は、古代世界の名残を残すタイムカプセルのようなブドウなのであるよ。
ワイン醸造向きの凝縮された甘みや渋みもなく、
デザート向きの高級感のある口当たりもなく、
ワイン用をとしては大粒、デザートにするには小粒。
超ど田舎から上京して
「あんら論、これが現代社会ってもんだっぺか〜」
とびっくりしている田舎娘のようなブドウと言えばいいのいいだろうか。
でね。
よく漫画とかドラマで
「ダサい田舎娘が腕利きプロデューサーに見出されて個性的かつ魅力的な女優になる」
みたいな話あるじゃないですか。
現代における甲州ワインってのは、まさに
「最先端を知る醸造家にプロデュースされる田舎娘」
みたいなもんなんだね。
(興味ある人には、つづく)
(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)
(全五回)
文明開花からまもなく1877年(明治10年)。
高野正誠と土屋竜憲という2人の青年が山梨からフランスへと渡り、
ワイン醸造を学んだところから日本のワインの歴史が始まった。
ワインは日本人の口に合う洋酒だったらしく、
ビールと並んで最初に日本で根付いた洋酒文化となった。
そして2人の青年の故郷である甲府盆地は日本における最初で最大の国産ワインの蔵醸造地となった。
理由はもちろん、原料となるブドウの栽培地だったからだ。
さて、ここから、いよいよワインの話を始めよう。
ワインはブドウからつくる「果実酒」だ。
果実酒の醸造は、果実の栽培地のすぐ近くでないといけない。
なぜなら、果汁が新鮮なうちに仕込まないと、美味しい酒ができないからだ。
一方、麦でつくるビール、米でつくる日本酒のような「穀物酒」は、
原料の穀物の保存性が高いので、
麦畑は田んぼから離れていても醸造ができる。
実際に小規模の量で仕込めるビールは都市部にたくさん小さなメーカーがある。
ところが、ワイはそうはいかない。
フランスのボルドーやブルゴーニュ、イタリアのピエモンテ、スペインのリオハなど
「ワインの名産地」と呼ばれているところは、必ず「ブドウの名産地」でもある。
同じように日本で唯一のブドウ栽培だった山梨がワインの名産地になるのは必然だった。
それはなぜか。
ワインの質=ぶどうの質だからだ。
一般的に酒の出来上がりは「原料の質」と「醸造技術」のかけ合わせで決まる。
日本酒の場合は、原料の質と醸造技術が五分五分くらいのバランスで酒質が決まる。
最新技術を取り入れてつくっている蔵はもっとも醸造の割合が高い。
醸造工程が複雑なぶん、人間が工夫できる余地がたくさんあるのだね。
対して、ワインは原料8:醸造2 くらいだろう。
醸造家にとっては「ほぼ原料のブドウで決まるね」と断言するぐらい、圧倒的にブドウの質が酒の出来に関与する。
つまり人間が関与する余地が少ないということだ。
つまるところ「ワイン醸造=農業」とすら言える。
美味しいワインを生み出すブドウをどのように育てるのか。
そこにワイン醸造の本質がある。
ということはだ。
腕利きのワイン醸造家は「自分でブドウを育てる」のであるよ。
日本酒の醸造家は必ずしも自分で米を栽培する必要はないが、
ワイン醸造家がブドウを触らないのは通常考えられない。
ワインの醸造を始める前に、日々ブドウの様子を見てワインの出来を高めていく。
だからワイン醸造家はブドウの栽培地に住む「ブドウ農家」としての顔を持っている。
このように、ワインは原料のブドウの栽培地で生まれる。
それは別の言葉で表現すれば、ワインはブドウの生まれる風土から逃れられない、ということだ。
これがワインを評するときによく言われる「テロワール」の正体だ。
ワインの質=ブドウの質=土地の質、
つまり "テロワール" なのだね。
さて。では甲州ワインの独自性とは何なのだろうか。
その要素を大きく分けると、
【風土】半分ヨーロッパっぽくて、半分日本ぽい地形と気候
【ぶどう】シルクロードから渡ってきた甲州ブドウで仕込む
この2つの特徴に分かれる。
まず風土性(テロワール)から行こう。
僕の住む甲府盆地は、いわゆる日本の里山とひと味違った不思議な景観をしている。
坂道だらけで、あちこちに岩肌が露出している。
道は積み石で舗装され、背の低い果樹畑が延々と続く。
朝夜と昼間の寒暖差が大きく、夏暑く冬寒い。
山から盆地に風が吹き込み、空気は乾いている。
丘の上にワイナリーやワインレストランの瀟洒な建物そびえているのを見ると、
まるでフランスの田舎にいるような感じもする。
とはいえ、ほんとにヨーロッパっぽいかというと、基本はやはり日本なんだよね。
梅雨はそれなりにジメジメするし、冬にはぼた雪が降り積もり、豊かな河川がいくつも流れている。
水気がいっぱいあって、地面を焼き尽くすような凶悪な日照りもない。
スペイン中部の不毛の赤い大地にオリーブとブドウの樹がポツポツ生えるだけ…という厳しい世界とは違う。
この「半分ヨーロッパっぽくて、半分日本っぽい」という気候がブドウの生育とクオリティに絶妙な影響をもたらすのだね。
次にブドウについて。
甲州ワインの独自性を最も端的にあらわしているのは、
1300年前に大陸から伝わった「甲州ブドウ」を使って仕込んだ白ワインだ。
もちろんヨーロッパやアメリカから輸入したブドウ種を使ったワインもたくさんあるのだが、
甲州ワインと言えばとにかく「甲州ブドウを醸した白ワイン」なのであり、
甲州ブドウの存在こそ、この土地のワイン醸造家にとっての誇りなのだ。
この甲州ブドウ。
一言でいえば、あまり人の手が入ってない素朴なブドウだ。
フランスやイタリアでは「ワイン用にチューンナップされたブドウ」を使って、
ワインを仕込むことがほとんど。
輸入ワインのボトルに書いてある
「カベルネ・ソーヴィニヨン」
とか
「シャルドネ」というのは、
「ワイン用にチューンナップされたブドウ」の名前だ。
対して甲州ブドウは、別にワイン用にチューンナップされていない。
ついでに果物屋さんで1房 2〜3,000円で売られているような、
めちゃ甘くて皮まで食べられるデザート用ブドウでもない。
ヨーロッパが数百年かけてワインやデザートにあうように優良品種のブドウの選抜と改良を繰り返していたあいだ、
甲州ブドウは、ずっと野山の片隅でぼんやりしていた。
つまり「甲州ワイン」は、古代世界の名残を残すタイムカプセルのようなブドウなのであるよ。
ワイン醸造向きの凝縮された甘みや渋みもなく、
デザート向きの高級感のある口当たりもなく、
ワイン用をとしては大粒、デザートにするには小粒。
超ど田舎から上京して
「あんら論、これが現代社会ってもんだっぺか〜」
とびっくりしている田舎娘のようなブドウと言えばいいのいいだろうか。
でね。
よく漫画とかドラマで
「ダサい田舎娘が腕利きプロデューサーに見出されて個性的かつ魅力的な女優になる」
みたいな話あるじゃないですか。
現代における甲州ワインってのは、まさに
「最先端を知る醸造家にプロデュースされる田舎娘」
みたいなもんなんだね。
(興味ある人には、つづく)
(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)