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発酵ってそもそも、何ぞや?

2017-08-19 18:08:52 | お話
🌸🌸発酵ってそもそも、何ぞや?🌸🌸


「突然ですが質問です。

塩を振った煮大豆と、お味噌。

毎日、食べたいのはどちらですか?」

と聞かれたら、

ほとんどの人が

「もちろん味噌!」

と答えるはず。

しかしだ。

考えてみれば、煮大豆も味噌も、実は原料はほぼ一緒。

なのに、なぜ味噌には毎日食べても全然飽きない複雑な風味と香りがあるのか。

そのひみつは、微生物。

目に見えない生き物が、食べ物を美味しく変化させる。

麹菌という特殊なカビが大豆にくっつくと旨味甘とコクたっぷりの味噌になり、

ブドウに酵母(イースト)がくっつくと香り高いワインに、

牛乳に乳酸菌という細菌がくっつくと酸っぱくて爽やかなヨーグルトができる。

このように、微生物の人間に役立つ働きをしてくれることを「発酵」と言います。


微生物=生物の第三のカテゴリー

動物・植物・微生物。

この3つのカテゴリーが、生物の古典的な分類の3つ。

動き回ってエサを食べる生き物と、動かずに光合成して生きる生き物と、目に見えない生物。

発酵は、第3のカテゴリーである微生物たちが主役になって引き起こされる現象です。

さてこの微生物、実は地球上で最も繁栄している生き物。

空気中にも土のなかにも、皮膚の表面にも何億、何兆と住んでいる。

植物のように光合成するもの、動物のように動き回って他の生物を食べるもの、

光も酸素もない地底や深海、氷河、や火山でもへっちゃらな摩訶不思議なものもいます。

北から南、空から海底まで地球の隅々まで無数の微生物が住んでいる。

その中に、ごく稀に「人間によくなつき、良いことをしてくれる微生物」がいます。

そいつらを「発酵菌」と呼びます。

この発酵菌は、次の3つのカテゴリーに分かれます。


今のように豊かな食材や食べ物を保存する冷蔵庫がなかった時代、

発酵は厳しい冬は夏の腐敗を生き延びるために大事な技術でした。

食における発酵の機能を定義すると、この3つ。

先ほどのお味噌を例にとると、

①腐らない、煮大豆は1週間で腐るが、お味噌は何ヶ月も腐らない。

②栄養満点、お味噌には良質のタンパク質やアミノ酸やビタミン類がいっぱい。

③おいしい、お味噌汁は毎日飲んでも飽きないほどおいしい!

と言うことになります。

このように、食べ物が時間とともに変化していく様子を注意深く観察しているうちに、

腐らずに、むしろ香りや味が増したり、保存性が高まるレアケースを選別し、

それを、いつでも誰でも再現可能のメソッドに磨き上げていった、のが発酵という「文化」の原点。

そんな先人たちの知恵の結晶である「発酵」を最も一般的に定義すると、

人間に有用な微生物が働いている過程

であると言えるでしょう。

あわせて発酵とコインの裏表になっている「腐敗」は、

人間に有害な微生物が働いている過程

と定義することができます。

ざっくり言うとだな。

人間に役立てば発酵、役に立たなければ腐敗

ということになります。

つまり発酵というのは、普遍的かつ唯物論的な概念のようでいて、本質は「人間中心の唯心論的概念」であると言えるでしょう。

…えっ、ムズカしい表現するなって?

要は、

「愛が恋人たちのなかにしか存在しないように、

発酵もまた食いしん坊の人間の中にしか存在しない」

ってことさ。

生命工学的に定義すると、発酵は生物間における普遍的な科学現象。

ですが、

序章で述べたように「人の好み」という側面から見ると、

とたんに発酵は哲学的・文化人類学的様相を得ることになる。

本編では、科学と哲学、客観と主観、微生物世界と人間のあいだを行ったり来たりしながら、

「発酵とは何か?」が掘り下げられていきます。

どうぞ、よろしく。


(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)


甲州ワイン②

2017-08-19 10:00:00 | お話
②甲州ワイン


さぁさぁ。

ここから、話が面白くなってくるんだぜ。

僕のご近所のワイナリー、山梨市の旭洋酒(ソレイユワイン)の鈴木剛・順子夫婦をガイドに、

「日本的ワイン」の本質に迫っていくことにしよう。

旭洋酒の歴史は、山梨のワイン文化が辿った歴史だ。

戦前にブドウ農家が共同で設立したワイン醸造所を、2002年に県外で醸造学を学んだ鈴木夫婦が引き継いだ。

つまり、文明開花以降のクラッシックを、新生代の醸造家がモダンに生まれ変わらせた。

旭洋酒は日本的ワイのルーツを紐解き、同時に、未来を見渡すのにぴったりの存在なのさ。


かつての旭洋酒は、ブドウ農家が共同で出資して運営する

「ブロックワイナリー」と呼ばれる醸造所だった。

食用で売るには適さない半端なブドウをワインに変えて活用するのが主な目的だったらしい。

明治〜戦後しばらくまでは、山梨でワインといえば農家が兼用でつくる「葡萄酒」のことだった。


この頃のワインはだいぶおおらかな方法で醸されていた。

ブドウを圧搾機で搾った汁に大盛りの砂糖入れ、

ぶくぶく発酵した頃を見計らって「もう飲めそうだな」と思ったらビンに詰める、

という超絶素朴な醸造法であり、

これはつまり「農家のどぶろく的ワイン」と言ってしまっていい、のんびりさだ。


おおらかさを理解してもらうために、

現在において一般的なワイン醸造を、ざっと説明しよう。

工程としては、

①適切なタイミングでブドウを摘む。

〈白ワイン〉

②圧力でブドウ汁(白)を搾る。

③搾ったブドウ汁の上澄みを抜き取る。

④ブドウ汁(白)を発酵。

⑤ブドウ汁の澱を取り除いて濾過。

⑥適切な期間タンクのなかで熟成させて味を整える。

⑦ワインの濁りを取り除き、瓶詰めのち出荷、またはさらに熟成。


〈赤ワイン〉

②果皮と種を一緒にブドウ汁を発酵。

③適切な圧力でブドウ汁を搾る。

④ブドウ汁(赤)を発酵。

(⑤⑥⑦の工程は、白ワインと同じ)


前日のどぶろく的葡萄酒と比べると、かなーり複雑かつ精密の醸造法であることが、おわかりだろうか

(特にブドウの皮と一緒に発酵させる赤ワインは複雑な工程を必要とする)。


ポイントは「適切」にという表現。

醸造家は、自分がデザインしたいワインの味をイメージしながら、

ブドウの収穫タイミングや搾り方や酵の選定や発酵・熟成の温度や期間を細かく調整していく。

この細かなテクニックの積み上げでワインの仕上がりが変わってくる。

もちろん基本はブドウ自体のクオリティーなのだが、

ブドウの潜在能力を最大に引き出すのが醸造家の腕なのだね。


このような複雑精密な醸造法は、フランスやイタリアなどのワイン大国で数百年かけて洗練されたものだ。

最高のブドウを栽培し、最高のテクニックで醸造し、最高の価格で売る。

最高×最高×最高のトリプル原理により、

ワインは国際市場において単なる酒であることを超え、

美術品のような地位を獲得した。

バブル期に日本の金持ちたちは、ゴッホやシャガールの絵画を買うように、

ボルドーやブルゴーニュの高級ワインをオークションで競り落としたが、

これは「最高の美術品を買う」という意味では同じような行為だった。

ていうか、1本100万円のワインとか、マトモな神経で飲めねーよ。


さて。

「美術品としてのワイン」がもたらされる前までは、

日本=山梨のワインは
「農家のどぶろく」だったのであるよ。

とりあえず発酵して酒になっていればOK!

ブドウの質をごまかすために大量の砂糖入れる
(ブドウの糖度が低いと酵母がうまく働けない)。

当然、甘ったるい飲みくちになり、高級ワインのような味の深みもコクもない。

これが昭和までの日本のワインの実態だ。


僕が山梨に来て1番びっくりしたのが、

自分の知っているオシャレなワイン文化とは、かけ離れた

「地酒としての葡萄酒文化」

だったのだね。

夕方、ステテコ姿のおじちゃんが、ナイター見ながら、ちゃぶ台でワインを飲む。

ビンは日本酒用の一升瓶。

そいつを湯飲みにドクドク注いで、

マグロの刺身とか漬物に合わせてゴクゴク飲む。

その光景を前にして、

「何だこれは!」

「こんなものワインと呼んでいいのか?」

「もっと世界基準に沿った本格派のワインをつくった方がいいのではないか?」

となったのが、

高度経済成長期以降のこと。

そう、日本がお金持ちになって

「美術品としてのワイン」を嗜むようになった時期と符号する。

かくして、80年代以降、山梨の先進的ワインメーカーは、これまでのどぶろく的葡萄酒を捨て、

世界で通用する本格ワインへの道を歩み始めることになった。


(興味ある人には、つづく)

(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)

散歩中の風景