そうかこの前は11月3日の投稿だったんだ。。。
あれからお四国の歩き遍路(9回目:11月17日~19日)も無事に済んだ今、パソコンのウイルス感染か?調子がおかしくてこの日記もいつ停止になるかと・・・・・使えなくなるまでに一昨日の京都を書いておこう。
11月23日(火) 勤労感謝の日
熊野古道を本宮まで歩き終えた彼に先ずはおめでとう!古道の傍ら、その日の気分で『京都の寺社505を歩く』の本を携えて出かけていた日もあったなぁ~。けっして神社仏閣が好きなわけでもない彼が、人生に新しい発見を覚えたのかもしれない。私が運動に目覚めたように。「京都に行ってくるよ!」「 今日は京都のどの辺?」「本能寺辺り」「えっ!本能寺だったら私も行くわ!」学生時代から京都はかなり歩いているのに行ったことのない本能寺。
さて地下鉄:烏丸御池で降りて先ずは本能寺。あの有名な文言、明智光秀が「わが敵は本能寺にあり」と織田信長を襲撃した地所ではなく、「本能寺の変」で諸堂はすべて焼かれたので豊臣秀吉がこちらに移したそうである。境内には信長の廟があり、その横にある「火伏のイチョう」といういわれのある大きなイチョウの木は京都市指定の保存樹だそうだ。元の本能寺を訪ねてみると「本能寺跡」という石碑があった。
NHKドラマ「太閤記」に出てきた寺・豊臣秀次の家族らが祀られている瑞泉寺も505の寺社の1つで、桜の紅葉が美しい高瀬川の前にあった。それから新京極にある誓願寺。ココは以前謡曲の先生に謡跡めぐりで連れて来てもらったこともあり、私は謡曲の「誓願寺」がふと口ずさむ時があるくらい大好きな曲である。そしてその近くには和泉式部ゆかりの寺・誠心院があった。
この辺り街の繁華街の中にお寺が沢山あって、人々の生活と一体化しているかのように親しまれているのがお店の人の話で感じ取れた。いい雰囲気である。。。。。
面白かったのは蛸薬師堂(正式には永福寺)、石の薬師如来様の前に木製の蛸が置いてあって、お賽銭を入れて触ったよ。そして錦天満宮、ここは菅原道真公が祀られていて、勿論受験の神様と思うが、何にでもご利益があるような雰囲気があった。こちらのおみくじはお獅子が口でくわえて引いてくれるのである。この頃はめったに引かなくなった私だが、面白くて引く気になった。200円 吉也 そうそうそれから 染殿地蔵、小さなお堂が甘栗屋さんのお店の奥にあった。安産祈願のお堂で妊婦さんが腹帯を頂きにくる処、帯解寺のような処らしい。「私がお参りする必要の無いお堂やね」とつぶやくと、傍にいたお二人の女性もそう言って笑っていた。(笑)
お昼ごはんを食べたいなと店を探しながら歩いていると、コンビニの前にこんな立て札を見た。
そうかここが坂本龍馬らが命を落としたところなのか・・・・・お遍路で今、高知県を歩いているだけに胸にくるものがあった。必ず実家に戻ると告げていたテレビの大河ドラマ「龍馬伝」の一画面を思い出した。それに岩崎弥太郎の名も浮んできた。
今日の日記随分長くなってしまったが、ここまで来ると後2・3残すと気になるので書いてしまおう。
1つ解からないまま誰にも尋ねることなく読んだだけで通り過ごした矢田寺の立て看板。「かぼちゃ供養」、あれは一体何の行事かな?・・・・・
新京極と寺町京極めぐりを終え、次は六角堂・紫雲山頂法寺と空也堂に向かった。六角堂では今回も又このへそ石を撮ってしまった。かってココが京都の中心地であったことに依る命名らしい。
空也堂ではすぐ傍の住人でいられるおじさんが、「今頃空也堂へ来るねんやったら11月の第2日曜日に来なあかんがね!」と。? 成る程 空也踊りとはその日にあるのか・・・・・認識不足だったなぁ~・・・・来年出直そう。。。。。
お昼ごはん(天ぷら定食)も美味しかったし、いろんなお店も覗いて作務衣も買ったよ!大阪でもなく奈良でもなく、やっぱり京都を感じて楽しい一日であった。お疲れ様。
あれからお四国の歩き遍路(9回目:11月17日~19日)も無事に済んだ今、パソコンのウイルス感染か?調子がおかしくてこの日記もいつ停止になるかと・・・・・使えなくなるまでに一昨日の京都を書いておこう。
11月23日(火) 勤労感謝の日
熊野古道を本宮まで歩き終えた彼に先ずはおめでとう!古道の傍ら、その日の気分で『京都の寺社505を歩く』の本を携えて出かけていた日もあったなぁ~。けっして神社仏閣が好きなわけでもない彼が、人生に新しい発見を覚えたのかもしれない。私が運動に目覚めたように。「京都に行ってくるよ!」「 今日は京都のどの辺?」「本能寺辺り」「えっ!本能寺だったら私も行くわ!」学生時代から京都はかなり歩いているのに行ったことのない本能寺。
さて地下鉄:烏丸御池で降りて先ずは本能寺。あの有名な文言、明智光秀が「わが敵は本能寺にあり」と織田信長を襲撃した地所ではなく、「本能寺の変」で諸堂はすべて焼かれたので豊臣秀吉がこちらに移したそうである。境内には信長の廟があり、その横にある「火伏のイチョう」といういわれのある大きなイチョウの木は京都市指定の保存樹だそうだ。元の本能寺を訪ねてみると「本能寺跡」という石碑があった。
NHKドラマ「太閤記」に出てきた寺・豊臣秀次の家族らが祀られている瑞泉寺も505の寺社の1つで、桜の紅葉が美しい高瀬川の前にあった。それから新京極にある誓願寺。ココは以前謡曲の先生に謡跡めぐりで連れて来てもらったこともあり、私は謡曲の「誓願寺」がふと口ずさむ時があるくらい大好きな曲である。そしてその近くには和泉式部ゆかりの寺・誠心院があった。
この辺り街の繁華街の中にお寺が沢山あって、人々の生活と一体化しているかのように親しまれているのがお店の人の話で感じ取れた。いい雰囲気である。。。。。
面白かったのは蛸薬師堂(正式には永福寺)、石の薬師如来様の前に木製の蛸が置いてあって、お賽銭を入れて触ったよ。そして錦天満宮、ここは菅原道真公が祀られていて、勿論受験の神様と思うが、何にでもご利益があるような雰囲気があった。こちらのおみくじはお獅子が口でくわえて引いてくれるのである。この頃はめったに引かなくなった私だが、面白くて引く気になった。200円 吉也 そうそうそれから 染殿地蔵、小さなお堂が甘栗屋さんのお店の奥にあった。安産祈願のお堂で妊婦さんが腹帯を頂きにくる処、帯解寺のような処らしい。「私がお参りする必要の無いお堂やね」とつぶやくと、傍にいたお二人の女性もそう言って笑っていた。(笑)
お昼ごはんを食べたいなと店を探しながら歩いていると、コンビニの前にこんな立て札を見た。
そうかここが坂本龍馬らが命を落としたところなのか・・・・・お遍路で今、高知県を歩いているだけに胸にくるものがあった。必ず実家に戻ると告げていたテレビの大河ドラマ「龍馬伝」の一画面を思い出した。それに岩崎弥太郎の名も浮んできた。
今日の日記随分長くなってしまったが、ここまで来ると後2・3残すと気になるので書いてしまおう。
1つ解からないまま誰にも尋ねることなく読んだだけで通り過ごした矢田寺の立て看板。「かぼちゃ供養」、あれは一体何の行事かな?・・・・・
新京極と寺町京極めぐりを終え、次は六角堂・紫雲山頂法寺と空也堂に向かった。六角堂では今回も又このへそ石を撮ってしまった。かってココが京都の中心地であったことに依る命名らしい。
空也堂ではすぐ傍の住人でいられるおじさんが、「今頃空也堂へ来るねんやったら11月の第2日曜日に来なあかんがね!」と。? 成る程 空也踊りとはその日にあるのか・・・・・認識不足だったなぁ~・・・・来年出直そう。。。。。
お昼ごはん(天ぷら定食)も美味しかったし、いろんなお店も覗いて作務衣も買ったよ!大阪でもなく奈良でもなく、やっぱり京都を感じて楽しい一日であった。お疲れ様。