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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

唐古遺跡へ

2017-09-29 | 日記
市販のエサと新鮮なキュウリorナスビの交換日課が続いて、鈴虫のソロは未だ続く。庭の”あざみ”も春から夏を越しているのに蕾が次から次へと生まれ未だ元気!あざみの季節は一体どうなっているのだろう・・・・・
今はコスモスの季節、風になびく優しい花に誘われて「唐古遺跡」に行ってみたくなった。先日、彼が同伴してくれた。

  9月24日(日)
正式には「唐古・鍵遺跡」と言って弥生時代の大規模な環濠集落遺跡で、平成11年に国史跡に指定されたらしい。炭化した米や多数の木製農耕具が出土して農耕集落であった一方、青銅器鋳造炉の工房跡地が見つかり、大変重要な遺跡らしい。
私は難しい歴史についての知識は二の次で、兼ねてより聞いていた楼閣(1994年に復元された高さ12.5mの高床式の建物)とコスモス畑を見たかったのである。

昭和期から発掘調査が繰り返され、出土品の諸々は「田原本青垣生涯学習センター」内に併設されている「唐古・鍵考古学ミュージアム」で展示されているそうだ。
江戸時代に造られたという唐古池のほとりに二階建ての楼閣が建てられていた。出土した土器片3つから描かれていた絵を再現して造られた楼閣。説明版に依ると、その屋根は茅葺で渦巻飾り(藤蔓)が取り付けられ、上層階の欄干には木製の鳥が置かれていた。壁については、外面は網代壁(木や竹、草など自然の植物を細く薄く加工して縦横に編んで作った壁)で内面は板壁なのだそうだ。梯子は丸太を削って造られていて、刻み梯子と言うらしい。ズームで撮ってみた、ふぅ~ん・・・

            

目下、史跡公園内に「遺構展示情報館」の建設工事中で、来年3月には道の駅「レスティ唐古・鍵」や休憩所等もオープンするとの事。楼閣も老朽化が進んでいるので、直径50cmの柱等骨組みを残して全面的な修理がなされるようである。

結果的には今年はコスモス畑は無くて少々残念であったが、弥生時代の建物を垣間見た思いで満足した。来年春には再度訪れてみたいと思う。


ついでながら、ここ2・3日の早朝散歩で見た日の出直前の空に感動して撮り置いていた画像を残しておこう。
立ち止まってじっと眺めていたら25日、日の出は午前6時5分であった。
グランドキャニオンで見た朝陽と同じ太陽、ココにはここの雰囲気があるんだよな。
              

葛の花

2017-09-16 | 日記
9月15日(金)
気温20℃、日の暮れるのが早くなり夜が明けるのが随分遅くなって、鈴虫の鳴き声も静かになってきた。
朝の散歩で見つけた葛の花。こんなにも目の前近くでじっくりと眺めたのは初めてで、種まで見た。嬉しくてもっとしっかり観たいと思い摘んで帰った。かすかな香りがあって虫に好かれるようで、虫食いの無い葉を探すのに時間がかかった。(テントウムシの様な形をした5mm位のけむじゃらの虫が付いてきたが、消えてもらった。)
葛粉の原料になる根の部分も見たいが、勢いよく繁茂する植物のこと、到底私の手に負える物ではないようだ。
      
                        

葛と言えば吉野葛が有名で、お干菓子もあるし葛餅が頭に浮かぶ。それに、私個人的にはあまり好まない”くず湯”もあるよな。

突然、葛粉が残っているかも・・・と思い出し、急に”くず湯”を作ってみたくなった。
「コーヒ茶碗に葛20g程と砂糖小匙2杯を入れ、少量のぬるま湯で溶かしてから熱湯を注ぎつつ透明になるまでよく混ぜる」と袋に書いてある。熱湯の量が少なめで少々固めになったが、美味しい"くず湯"(?)ができた。スプーンですくって食べると満足な食感で、これぞ風邪をひいて食欲の無い時に食べる自家製”くず湯”である。(笑)

       
                       今朝の散歩が思わぬ感動と食欲を目覚めさせてくれた日であった。                 
  


順慶まつり

2017-09-10 | 日記

  9月10日(日)
今日は大和郡山の筒井町で筒井順慶の遺徳を忍ぶ『順慶まつり』が開催されると聞いて、元気を出して見物に行った。第17回目になるらしい。
午前10時30分、開会式を待つ人達で筒井城跡はいっぱいだった。
火縄銃の発砲で開始となり、来賓祝辞の挨拶があって、続いて出陣式が行われた。僧形の筒井順慶と鎧姿の島左近、松蔵右近(共に筒井氏の家臣)が杯を交わし、飲み干した盃を地面で打ち割ってから武者行列の総勢が城跡を出てお練りに向かわれた。

筒井順慶は1580年、織田信長によって大和国支配を託され筒井城を建てたが、目まぐるしい戦国時代のこと、「本能寺の変」で信長が明智光秀によって討たれた後は豊臣秀吉に従うようになったという。歴史はいろいろ語られ、知る人ぞ知るいろんな逸話があるなか、今日の来賓の方のお話で、明智光秀と豊臣秀吉の戦いを傍観していたとして”日和見”の語源となった「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」の史実を知った。1584年36歳の若さでこの世を去った順慶はけっしてそのような卑怯者ではなく、強くて賢い武将であったと力説されていたのは、筒井順慶を誇りに思う市民の声の様だ。

         
                     

一方、今日は光専寺に安置されている木造の筒井順慶座像が公開され、無料で拝顔させていただけた。お写真もOKだったのでここに投稿させてもらおう。
城址では色んな模擬店が並び、ゲームや大和獅子太鼓演奏等のイベントがあったようだが、私は疲れない内にと家路に向かった。途中でお練りの行列に出合えたのはラッキーだった。

      

             
                            歩く人も見物する人も皆んな笑顔の楽しいお祭りであった。          

夕顔の種 見つけた!

2017-09-06 | 日記
何時しか蝉の声が止み、朝夕急に寒くなった。そして連日賑やかな鈴虫の合唱が続く。稲穂も頭を垂れ始めいよいよ秋の訪れだ。
昨日、寂しいけれど亀君を寒くなる迄に無事に川に戻す事を決心した。1ケ月間、人間世界でのホームステイだったね。毎日楽しませてくれてありがとう。元気に泳いで行く後姿を見送りながら、これで冬ごもりの準備もゆっくり出来るよなと・・・・・
散歩に出たら又会いたい、と言ったら「名前をつけとくといいよ。」と彼に言われて大笑い。(笑)


  9月6日(水)
庭の朝顔と夕顔、実によく咲いた。なのに種が出来ないのが不思議で仕方なかったのであるが、ふと見上げると薄紫色したぷっくり実が1つ葉っぱの陰から顔を覗かせていた。これが白色夕顔の種らしい。瓢箪のようにも見える。100花近くも咲いたのに種がたった1つとはこれ如何に?とにかく嬉しい。それにしても朝顔は100花以上咲いたのに種が1つも無い。もうそろそろ片づけたいと思っているのに・・・・・
今年気づいた事は朝顔と夕顔を一緒に植えると、入り混じって朝夕楽しめる事が分かった。(笑)


相変わらず外出叶わず、花に慰められて送る日々、家の近くをぶらぶら歩いてここ一週間に楽しんだ花の画像でも残しておこうかな、名も知らない花も有ったっけ。
          

                    

遠くへ行きたいなぁ~。。。。。。。。。。