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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

金環日食

2012-05-21 | 日記
観た観た金環日食!感動の瞬間。
朝6時前、彼が「良い天気だナ」と言って姿を消したかと思うと何かゴソゴソとしている様子。
今日の午前7時半ごろ金環日食が観えると言うので「すすガラス」を作りたかったようだがうまくいかず、あげくの果てにマジックを塗ったガラスを手にして庭から空を見ていた。「太陽が欠けているよ。まだ部分日食だけど、もうすぐ金環日食になるよ。」と私を呼んでくれた。
「えっ!何で見ているの?目がダメになるよ。危ないよ。」と言いながらも私だって興味津々。一瞬でいいから金環をこの目で観てみたい。日食グラスは売り切れと聞いていたので、観ることは既に諦めていた。
彼も今日の天気は曇 弱雨と思っていたらしく慌てたようだ。そして昔人間は小学校の理科の時間で習った知識を思い出したのだった。(笑)

透かすこと3~5秒間を何度か、右上部から欠けていた太陽が三日月のように細くきれいになった時、ついに金のリングになった時、左下部が欠けていく時それぞれの瞬間を確認することができた。
辺りが薄暗くなって、「今だ!」と見上げると綺麗なリングが観えて日食最高の感動!7時28分?29分か?「成った成った金環だよ!」思わす叫んでいたね。素晴らしい !奇跡の瞬間であった。

「あそこ “木漏れ日”が面白いよ。」と言う彼の声に、私は急いでカメラを取りに自分の部屋に走った。
ホント!だ。あちらこちらに沢山の三日月が写り面白い絵になっていた。へぇ~!!!不思議だね。
          ←和歌山串本町 午前7時28分(テレビ)
      (画像はクリックすると拡大する)


興奮が収まってテレビのスイッチを入れるとGood timing!
左下に宇都宮市 8時6分の部分日食状況が放映されるている画面に、天皇皇后両陛下とエリザベス女王が映っていた。日本時間にして3日前の 5月18日、イギリスのエリザベス女王即位60周年を祝うウインザー城での午餐会の一コマである。

夜、娘から届いたメールに孫の学校給食のメニュー画像が添付されていた。面白い!
思わず1つ1つ見入った。子ども達の歓声が聞こえてきそう。子供に金環日食を強く印象づけたことだろう。大人たちの子供たちを思う温かい気持ちが伝わってくるなぁ~。

今日の午後の集まりでは、やはり金環日食の話でもりあがった。結局私の周りでは日食グラスで見た人は居ず、ネガフィルムを重ねて観た人、サングラスを重ねて観た人etc.要注意ながらいろいろな工夫が有ったようた。昔は日食グラスなんてなかったよね・・・・・

これは夜遅く彼のカメラからでてきた画像、しつこい様だけど思い出に残しておこう。次は2030年の6月1日北海道で観ることが出来るそうだが、今の年齢に18をプラスすると私は何歳?残る人生にもう二度と体験することの出来ない素晴らしい凄い物を観た感動に、幸せの余韻がずっと続いた一日だった。
来月6月6日には太陽の表面を金星が通って行くのが見えるそうであるが、金星の大きさは太陽には小さな黒い点というから私の目で見るのは不可能な話だけれど。。。。。

睡蓮

2012-05-19 | 日記
咲いた!咲いた!赤い睡蓮が1つ咲いた。
昨日のこと一旦しぼんで今日また開いた。メダカの棲み処に入れる為に一昨年買ったものである。昨年は楽しみにしていたのに咲かなかった。

散歩中にふと立ち止まってじっと見つめていた他人様の庭。いろんな種類の睡蓮があった。あまりの美しさに見とれてしまっていた私に「中へどうぞ!」と声をかけて下さった。花の咲かせ方を尋ねていろいろ話しているうちに、「この肥料あげるよ。二鉢分だね。」とビニール袋に入れて下さった。
「ありがとうございます。咲いたらきっとご報告しますね。」と言ったあの日からほぼ1年。

睡蓮鉢にはアサザが入っているので、さてどこに移してきれいな水を入れようかと思案した。物置の中の盥を引っぱり出した。
3つ目の蕾はいつ開くかな?そして別のもう一鉢の睡蓮にも蕾がついているから、しばらくは楽しみが続きそう。。。。。
                     (画像はクリックすると拡大する)


上段右、5月17日に撮り置いていたセッコクランもお仲間に入れておこう。
これは「四国歩き遍路」の思い出の花の子ども、クスノキの切株の穴にミズゴケを入れて育てた花、よくぞ咲いてくれました!ありがとう!
現役時代には時間に追われて花の世話などとんでもない話であったのに、人間って不思議だね。こんな小さい花に元気をもらって過ごせる日々に感謝。

伊勢本街道ー6

2012-05-11 | 日記
5月6日茨城県つくば市に竜巻!日本中がびっくりした。私の住む所では5日の夕方突然の激しい雷雨!怖い程の稲妻が走り雷鳴が轟いた。そして一昨日は気温26度まで上昇し大変暑かった。なのに今日はまた大変寒く、午後には?とちょっと心配しながら、萌える新緑に誘われて上街道・天理駅から大和朝倉駅まで歩いてきた。例のてくてくまっぷ・伊本ー5には距離にして12713mとなっている。

天理駅9時30分、商店街アーケードを通って先ずは市座神社(いちざじんじゃを目指した。昔の市の名残の建物らしい細い柱と屋根だけの古めかしいアーケードがあって、神社はそのすぐ目の前に在った。境内には「太神宮」と刻んだ大小の灯篭や「妙見社」と刻んだ灯篭など沢山の灯篭と穴2つが空いた大きな1枚岩の青石???があった。(ココの地名は丹波市というらしい。)
           
       (画像はクリックすると拡大する)

こぎれいな町中をずっと進んで、次は藤棚の下にあるという芭蕉の句碑を目指した。自転車を引いたお年寄りに聞くと「あぁ 藤の木棚ですね。」と言って教えて下さった。
句碑には「草臥(くたび)れて宿かる比(ころ)や藤の花」と刻まれていた。夕暮れ時歩き疲れた芭蕉の目に藤の花がふと目に入ったのだろうか・・・・・
1688年芭蕉45歳の句だそうで、高野、紀伊、大和を旅した旅行記『笈(おい)の小文(こぶみ)』(芭蕉の没後乙州という門人によって、芭蕉の創作作品を集めて編纂されたものらしい。)に載っているらしい。

R169号線を横切って道の左手にあるという石仏を探しながら歩いていた。とはいえ右手も見ているようで(笑)サクランボの赤い実の成る木を見つけた。個人のものではなさそうだ。「食べてみたい!美味しそうだわ。」彼が止めるのも聞かず2粒そっと口に入れた。柔らかくて甘くてとても美味しかった。一瞬蘇ったよ。サクランボさんありがとう。

その石仏は大きかった。お供えしているお花も綺麗で信仰が篤そう。銅鑼が吊るされていた。お地蔵さんに銅鑼とは初めて見たのでお賽銭を入れて鳴らしてみると、いい音がした!                           この銅鑼で心が通ったような爽やか気持ちになり、なんだか嬉しくなった。


馬口山古墳(ばくちやまこふん)を過ぎて天理市新泉町という所、大和神社(おおやまとじんじゃに来た。境内のベンチに腰掛け休憩をさせてもらって、持参のコーヒ&お菓子でティータイム。もう4キロあまり歩いてきたようだ。
すぐ近くに矢矧塚古墳(やはぎづかこふん)が在ったりで天理市のこの周辺にはお地蔵さんや古墳が多そう・・・・・
今日の私の楽しみの1つは「黒塚古墳」に立ち寄ることだった。古墳に特に興味があるわけではないのだが、「黒塚古墳」の名は発掘時から記憶に残っていたからである。

柳本町に来ているらしい。
又石仏を見た。そして五智堂という珍しいお堂が在った。国の重文だそうだ。地図には長岳寺の西約1kmの「飛び地境内」と説明されている。即ちココから約1km東にあの大地獄絵図で有名な長岳寺があるわけだ。写真うまく撮れなかったが、真ん中に大層太い柱があって上部に梵字の書いた額が掛かっていた。額の1枚を投稿しておこう。
「太神宮」と刻まれた常夜灯がここにもあったよ。太神宮とは伊勢神宮に関わりのあるものと勝手に解釈しているがそれでいいのかなぁ。。。。。
                 

ようやく黒塚古墳(くろづかこふん)に来た。
墳丘は公園になっていて、緑に包まれた静かな憩いの場になっている。
古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)のもので全長約130mの前方後円墳らしい。1998年発掘調査が行われた時点の竪穴式石室のようすが実物大の復元模型で天理市立黒塚古墳展示館で観ることができた。出土した神獣模様の鏡のレプリカ34面や刀剣・鉄製品なども説明付きで陳列されている。木棺に塗られていた朱色はベンガラと思いきや、水銀朱だと説明してくださって目から鱗だった。館内は写真撮影が許されているので石室の一部と鏡を大きく投稿しておこう。
発掘時そのままの石室模型といい精巧なレプリカ鏡といい実に素晴らしい!是非是非足を運んでこの展示館で太古のロマンに浸る価値は充分にありそうだ。
              


歩くこと7キロ、彼が「あれが三輪山だ」と指さして教えてくれた。ここは桜井市箸中という所。R169号のガードをくぐり箸墓古墳(はしはかこふんに来た。3世紀半ば過ぎの前方後円古墳だそうで規模的には黒塚古墳よりもはるかに大きかった。ここは宮内庁の管轄下で墳丘へは入れない。第7代天皇の皇女の墓とする宮内庁の考えとは違い卑弥呼の墓という説もあるそうで、そうなると邪馬台国がこの辺りだったということになるんだよね。考古学者さん達には発掘できない悲しさ有れどロマンは永遠に続きそう。それでいいんだよね。歴史解明の必要性も然る事乍ら魂は安らかに眠らせておいて欲しいよナ。。。。
あぁ そうか・・・三輪山北西にひろがるこの辺一帯が纒向(まきむく)遺跡といわれる集落なんだ。


三輪さん事大神神社(おおみわじんじゃの大きな鳥居の前に来た。お腹はペコペコ、丁度目の前に「とろろめし」の看板が目に入った。迷わずのれんをくぐった。久しぶりに食する大和黒皮丸芋を使った“麦とろろ”、美味しかった。残りの3キロあまりを頑張ろうと思う元気を取り戻し再出発!

三輪の街は昔から“三輪そうめん”で有名であるが、歴史を感じる大和格子の家が残っていて風情があった。
次のお楽しみの重文「金屋の石仏」(かなやのせきぶつ)も近い。1軒の家の角にある道標「はせ いせ たうのみね」を見て左折。しばらく行くと磯城瑞離宮跡(しきみずがきのみやあと)の前を通った。第10代崇神天皇(すじんてんのう)の皇居跡と案内板に書いていた。いろいろあるんだなぁと思いながら気持ちは石仏に飛んでいた。
         

祠の中に二体、高さ2.2mで幅80cmらしい。浮彫の平べたい仏様で向かって左が弥勒菩薩、右が薬師如来だそうだ。仏様に一生懸命で右側の赤茶色の石は見損ねてしまったよ。(笑)
そして100m程離れた所に海柘榴市観音(つばいちかんのん)堂があるというので行ってみた。難しい読み方!立札の説明に有るように昔この辺は海柘榴市場があり、にぎわっていたという。今は「山の辺の道」散策の人達がこの立札を読んで楽しんで歩かれているのだろう。。。。。
            


残り約2km。玉列神社(たまつらじんじゃ)に寄ることにした。ここは一昨年2010年のこと、「巨勢山(こせやま)のつらつら椿 つらつらに見つつ偲はな 巨勢の春野を」の歌に誘われて巨勢寺跡を尋ねて御所市に行った帰り道、ぶらりと立ち寄った神社であった。3月のあの日の境内はきれいに咲いた色とりどりの椿や水仙で埋まっていたなぁ~。

隣接の慈恩寺(じおんじ)の境内に、雷が落ちたという大きな空洞のある樹齢800年のケヤキは傾きながらもその堂々たる姿で歴史を物語っていた。傍に置かれたお地蔵さんには「右たかだ 左いせ」と刻まれていて、不思議だったのでお坊様に尋ねてみると「あぁそれはネ、 下の道・昔の上ツ道にあったようですよ。」と教えて下さった。成程!上ツ道を歩いている私達には嬉しい発見である。今日の伊勢本街道歩きの最後に気を良くして朝倉駅に向かった。
           
  左:玉列神社 右:慈恩寺

雨も降らず、暑くもなく寒くもなく、いろいろ楽しめて良かった良かった。。。。。
お疲れ様。

ザリガニ

2012-05-04 | 日記
「ただ今!」嬉しそうな孫の声。バケツの中にはザリガニ2匹とメダカとタニシが動いていた。帰省した娘と孫二人を連れて彼は残された小動物の居場所を探していたらしい。
昨年は“するめ”を餌にして大きなザリガニを釣り上げていた場所は、アスファルトで埋められてしまった。きっと今年も楽しみにして帰ってくるだろうのにガッカリするだろうと心配していたが、かろうじて孫たちの望みが叶って、私もホッとした。
 私「こんな小さいザリガニ いったい どうして捕ったの?」
 大志と優奈「網ですくったんだよ。」
メダカと同じ位の小さなザリガニの赤ちゃん!何処にいるか分るかな?

高層ビルの谷間に住む孫には息の通った貴重な遊び、大好きな“じいちゃん”との思い出が心の隅に永久に残ることだろう。

実は2・3日前金魚を入れた石臼の水もきれいになっていたのでついでに投稿しておこう。
        (画像はクリックすると拡大する)

先日私が亡き母に贈ったピンクのカーネーション、今日は私が贈られた赤いカーネーション。5月はやっぱりこの花を選ぶんだよね。花屋さんの表に掛かっていたあの言葉、確か「お花は心のメッセージ」だったかな・・・・・