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東京小旅行

2016-04-05 | 日記
桜満開!かねがねの願望「レインボウブリッジを歩いて渡る」を実現したく、この季節を選んだ。隅田川の桜見物を抱き合わせたのである。「はとバス」にもちょこっと乗ってみたい、そして「アメ横」も通ってみたい。こんな私のささやかな望みと浅草の雷門と東京タワーへも行きたいと言う彼のささやかな望みを盛り込んで計画は進んだ。
東京駅・丸の内で「はとバス」に乗り浅草見物と隅田川クルーズの後、日の出桟橋でツアーから外れてお台場に渡る。フジテレビ本社を見学し、レインボウブリッジ(海浜公園~芝浦ふ頭)を渡って浜松町で泊まった。
翌日は東京タワーに登り、上野に移動して満開の桜を楽しみ江戸の鰻を味わい、靖国神社参拝と皇居西側の千鳥ケ渕&皇居外苑・北の丸公園の桜を見て皇居二重橋に行く。最後に皇居前広場で天皇、皇后両陛下が皇居へお帰りになるのに遭遇。
なんとまぁ~我ながらスゴイスケジュールをこなした2日間であったが、東京小旅行は悔いなく終了した。思い出を出来るだけ簡単にメモっておこうと思う。

ちなみに、今年の皇居・乾通りの一般公開(3月25日から4月3日)には50万8010人が訪れたそうである。
そして4月3日、両陛下は奈良県を訪問されていて、神武天皇の没後2600年の式年祭に合わせて神武天皇陵をご訪問の後、橿原神宮を参拝されていたそうだ。4日には明日香村の高松塚古墳を視察され、帰京されたらしい。
皇居ご到着前に二重橋は点灯され、平素滅多に見る事の出来ない景色でとても印象的だった。いま読売新聞夕刊のお写真を見ながら、あの瞬間の車中のお2人のお姿を想像した。


  4月3日(日)
午前9時40分、「はとバス」は丸の内南口から出発し、浅草に向かった。浅草寺は昔も今も当然ながら人人人でいっぱい、しかも外人さんの何と多いのに驚いた。
山門である雷門(風神雷神門)にかかる真っ赤な大きな提灯には確かに「松下電器」と書かれていた。下から見上げて覗くと龍の彫り物も確認できた。現在の雷門と提灯は1960年(昭和35年)松下電器の故松下幸之助氏に依る寄進であるらしい。今回はそのような予備知識が有ってこその楽しみ方が出来た。門に向かって右の風神、左の雷神をも確り観たよ。(笑)

キョロキョロとお店を楽しみながら仲見世通りを経て宝蔵門(仁王門)に来た。こちらの赤提灯には「小舟町」(こぶなちょう)と書かれているが、それは日本橋小舟町の人達の寄進に依る物だからだそうだ。立派な門の上層部にはお経やお寺の宝物が収蔵されていると聞く。そして門の裏手には巨大な奉納草鞋が掛かっていた。

本堂(観音堂)の大提灯には「志ん橋」(しんばし)と書かれているので港区新橋の人達からの寄進らしい。これら3つの提灯の大きさは本堂のが一番大きく、次に雷門のであり宝蔵門のが一番小さいらしい。小さいと言ってもその大きさは高さ3.75m、幅2.7m、重さ450kgというから実に大きいよな。本堂の提灯は、高さが4.5m、幅3.5m、重さは約600kgもあるらしくさすがに巨大だ。単純な私の単純な疑問は解消した。(笑)
            
                                                         (画像はクリックすると拡大する)

浅草の水上バス発着所に集合する。隅田公園の桜は今日が盛りと見事に咲き誇っていた。
ちなみに、こちらの桜のそもそもの初めは江戸幕府の八代将軍徳川吉宗が植えたというから江戸時代からの桜の名所という事になるようだ。
曇り空で少々霞んでいたが、クルーズは隅田川両岸に咲く桜や立ち並ぶ高層ビルそしてそびえ立つスカイツリーなどを眺めながら感動の40分間であった。2014年12月5日に昇ったライトアップのスカイツリーとは趣の違うただの白色ツリーだがなかなかスマートでそれなりに格好いいよね。隅田川に架かる14の橋夫々の形も楽しめた。
今日の隅田川ラインコースはお花見の為、浅草を出てから言問橋(ことといばし)→桜橋へと迂回し、言問橋→吾妻橋→駒形橋→厩橋(うまやばし)→蔵前橋→総武線の陸橋→両国橋→新大橋→清洲橋→隅田大橋→永代橋→中央大橋→佃橋→勝鬨橋(かちどきばし)→浜離宮→日の出桟橋迄であった。
        

ここから私達2人はOKをもらってツアーから外れ、午後1時35分発のお台場ラインで海浜公園へ。レインボウブリッジをくぐるとフジテレビ本社ビルが真正面に見えてきて気分ワクワクしていると到着。満開の桜がとても綺麗で春を楽しむ人達でいっぱいだったが、皆んなの笑顔が辺りの雰囲気を幸せいっぱいにしていた。
フジテレビ本社、まずは25階の球体望遠室『はちたま』から東京湾を望むと綺麗な曲線美の吊り橋・レインボウブリッジが目に飛び込んできた。地上100mのココから見る姿が最高だよな。遠くの景色は無料のテレビ望遠鏡なるものを初めて触って楽しんだ。技術の進歩に驚く。次に24階の「めざましテレビ」スタジオ、7階の屋上庭園、ショップ&レストラン、5階の人気番組の小道具やセットを見学した。「サザエさん」のコーナーでは誰もがほっこりしていたなぁ~。
ビルの中をいろいろ見て聞いて楽しんだ後いよいよ本番の「レインボウブリッジを歩いて渡る」ことにした。膝には確りサポーターを巻き付け杖を片手にいざ出陣!
          

橋の上層は首都高速11号台場線、下層は遊歩道の有る一般道路そして臨海新交通システム『ゆりかもめ』が走っている。優しく優美な姿には想像しがたい力強いスゴイ橋(長さ798m、幅49m)なんだ。
東京湾の潮風は想いのほか冷たく強く吹き付ける。第三台場の砲台が見える事を期待してサウスコースを選んだが、結果的には見えずちょっとがっかりだった。
この砲台跡というのは1853年7月にアメリカのぺりー率いる黒船4隻が東京湾浦賀にやって来たというあの「黒船来航」に驚いた江戸幕府が外国船の攻撃から江戸を守る為に造ったものだそうで、台場は6つもあったという。鎖国状態の幕府の慌てふためいた驚きが目に見えるような話だ。今は第三と第六の2つの台場だけが残っていて第三台場が史蹟公園になっているのである。今見ることが出来る砲台はレプリカらしいので、レインボウブリッジ遊歩道入り口近くにあった入り口をパスした次第。
レインボウブリッジから見下ろした台場は、石垣で囲まれたひし形で緑に覆われ桜の木も見え、車も走らない静かなとても素敵な公園のようだった。

ごうごうと鳴り響く車の騒音と排気ガスは覚悟のうえで『ゆりかもめ』の往来を目で追う。目の前寸前で目線の高さで人を乗せて一瞬にして走り去るそれは先入観とはまるで違う乗り物であった。初めて乗ったのは確か16年前だったよな。田舎者の私のあの時の喜びが蘇る。(笑)
もちろん海側の景色が素晴らしい、青い海に浮かぶ大小様々な船そして向こうに見えるお台場の景色や見上げるばかりの巨大なアンカレイジの骨組みをといろいろな楽しみは歩きの疲れを忘れさせてくれた。それにふと見ると偶々東京タワーを見通せたのはサウスコースに居ながらラッキーだったなぁ~。
芝浦ふ頭から歩いて来られる人に出会うとお互いどちらからともなく会釈してにこやかにご挨拶、同じ興味を共有している物好きな人が居る事が嬉しく感じる瞬間であった。(笑)
遊歩道の距離は1.7km、普通なら20分ぐらいのところ、私たちは40分もかかったけれどいろいろ楽しみながら無事渡りきれた達成感に私は大満足であった。

        
上段写真の左端は海浜公園側からのサウスコース第三台場を左前方にした遊歩道、二番目は海面より126mの塔高の天辺、三番目は芝浦埠頭から見上げた橋の下、4番目は遊歩道を自転車で渡る場合にはこのように台車を装着する事になっているらしい。

夜は新橋通りでゆっくり海鮮料理を楽しんだ。
そしてホテルに戻る途中の事、偶然にもビルの合間にライトアップされた赤い東京タワーが垣間見えて、なんと愛おしい東京タワーであったことよ。。。。。。。。。


  4月4日(月)
午前10時東京タワーに着く。パリのエッフェル塔より高いはずだが、私の目には逆の様な錯覚が起きるのはどうしてかな?夜景で見る東京タワーはいつも可愛く見えるその印象が強いからだろうか。それともセーヌ川クルーズの直前にキラキラ光るエッフェル塔を見上げたあの感動が忘れられないからだろうか・・・・・エッフェルト塔は301m、送信塔を含めて321mだそうだが、東京タワーは333mなんだよね。

大展望台(150m)から見る景色と特別展望台(250m)のそれとは明らかに違ったが、大展望台から眺めたスカイツリーが霧に包まれ、まるで雲間に浮かんでいるかのような見え方に感動した。レインボウブリッジも昨日歩いただけに、親近感を覚えこれ又嬉しかった。!彼に付き合った積もりのはずが、大はしゃぎしていたのは私であった。(笑)

東京駅のコインロッカーで身軽になって、再び山手線に乗って御徒町(おかちまち)で下車した。
「アメ横」を歩いた。上野駅まで続く400店舗もあるらしいこの商店街は活気に満ち満ちて、人人人で普通のスピードでは進めない。今日の私達には手荷物厳禁なので買い物は控えて上の駅にたどり着く。

上野恩賜公園(うえのおんしんこうえん)山王台広場に立つ西郷隆盛像を見て学んだ。
王政復古に貢献し、明治維新の基礎を築き、戦争をせずに江戸城の開城を実現させた〝西郷どん”の功績を忘れ、西南の役で軍を率いて反政府運動を起こしたのが強く脳裏に残っていたので、彼の銅像がどうして東京にあるのか不思議であった。『敬天愛人』の説明版を読んで「そうだったのか・・・」と改めて歴史を学び、いかに立派な人物であったのかが解った。
木戸孝允や勝海舟の名も蘇ってきたのは何十年ぶりだろう。(笑)

その後、徳川将軍家の菩提寺であったという寛永寺清水観音堂や徳川家康を東照大権現として祀る東照宮、不忍池の弁天堂etc.を満開の桜を楽しみながら回った。梅川亭で食したふっくら蒸された江戸の鰻に彼は満足した様でよかった。不忍池で遊ぶゆりかもめも桜の景色をじっと見つめていたよ。広い広い園内を埋め尽くす見事な桜にも堪能して、次は靖国神社に移動。

総理大臣の靖国神社参拝問題で時々テレビでお目にかかる神社を実際に一目見たかったのである。
第一の大鳥居から入り大村益次郎の銅像を横目に第二鳥居をくぐって、菊花の紋章が取り付けられている神門をくぐると境内は満開の桜の園、一瞬の風に舞う桜吹雪に心が躍る。そして中門鳥居の前に来て「そうそうこの景色だよな」と納得した。そんな不謹慎な私であったが、お国の為に若き命を落としていった人達の遺言が掲示されているのを読んで胸がいっぱいになった。親・兄弟・妻・子どもへのお別れの言葉に涙がこぼれそうになった。この人ごみの中には故人を忍んでお詣りに来ている人も居るんだ・・・そう思うと私も心静かに改めて謹んで手を合わせた。
(靖国神社に桜の標本木が有るそうで、来年からは東京の開花宣言を聞くとあの綺麗な桜を思い出すようになるだろう。)

            
  
道路を挟んで反対側は皇居西側の千鳥ケ渕で桜の名所である。淵にかぶさって咲く満開の桜はこれ又最高に美しい眺めであった。淵の写真の奥の方に東京タワーが小さく写っているのを発見。そうだったのか・・・あの時あの場所で自分の目で見たかったなぁ~。
移動する人の波に乗って隣接の北の丸公園へ移動。入り口は旧江戸城田安門の外門・高麗門(こうらいもん)である。土橋の桜も見事であった。お堀を覗くと一足早く風に散った桜の花びらが水面を覆っていた。やがて皆んな一緒に花筏となって流れて行くんだね。高麗門をくぐると内門の櫓門(やぐらもん)があって、北の丸公園に入れる。

                

タクシーで皇居二重橋へ向かう。

既に夕方、薄暗くなりかけていたので二重橋の近くまでは行けなかった。皇居前広場で警備員の人に「もうすぐ天皇陛下がここを通られますよ。よろしかったらお迎えにお手ふりしませんか。」と声をかけられ、その気になった。辺りが真っ暗になった頃車のヘッドライトが見え、数台の車が広場に入ってきた。車内灯を灯して下さっていた車が両陛下のお車のようで、お顔は見えずとも影で輪郭が解った。奈良からのお帰りである。さぞお疲れのはず、ホッとされただろうなぁ~と思った。
ついでながら皇居二重橋とは、広場から見える眼鏡橋のことと思っていたが、本当はその「皇居正門石橋」を渡って正門をくぐった奥にもう1つ同じお濠に架かる「皇居正門鉄橋」のことだそうだ。東京見物に来た人が皆この眼鏡橋を見て満足して帰るなら、夢を壊さずコレを二重橋にしておきたいよなぁ~。。。。。。。(笑)千代田区観光協会提供のお写真をもらっておこう。


お車が正門石橋に差しかかった時、私達の東京旅行も終わった。今回の東京観光に思いを残す事なく夜の街を東京駅まで歩いて帰路についた。帰宅したのは丁度12時、お疲れ様。