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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

太秦映画村へ

2017-03-31 | 日記
昨年初めて花を付けた実生のピンク椿がぼつぼつ咲きだして、一番咲きの一輪が落ちた。まだまだ綺麗なので、水鉢にそっと浮かせてみた。今日全開しそうな花がコレ。真っ白い金魚椿も2・3日の内に咲き始めそうで、我が家の椿季節がやって来た。
昨日は、一人で遠路やって来た大志君と京都駅で落ち合う。

 3月30日(木)
9時48分ニコニコ顔で再会、嵯峨野線に乗り換え東映太秦映画村に行く。
江戸の町オープンセットを見て廻ったり、中村座での大江戸大道芸「南京玉すだれ」を見たり、おもしろ学習館・寺子屋で幕末の歴史を学んだり、気が付くとなんと4時間ちかく遊んでいたよ!

特に思い出になったのは扮装写真館で時代劇扮装で写真を撮った事〔大志君は新撰組の勇者、私は十二単を着て大気に入り、お殿様の彼は眼鏡をはずしなさい、と言われてちょっと不服だったみたい(笑)〕。
ちゃんばら辻指南も楽しかったね。おもしろ迷路館は不思議な仕掛けがいっぱいで、貴重な体験が出来て良かった!そしてグルメコーナーで食した「ふわとろゆば丼」の味はもう一度食べたくなる様な味で美味しかった。(笑)
        (画像はクリックすると拡大する)
                  

その後、二条城(世界遺産)に行く。観光客のなんと多い事!今日は外人さんの方が多い感じ(笑)
豪華な装飾の唐門、立派な二の丸御殿、この建物を造らせた江戸幕府の将軍様はやっぱりスゴイ権力者だったんだと訪れる度にため息をついてしまう。太志君は鴬張りの廊下が大変気に入った様子。

檜皮葺の車寄(くるまよせ)に隣接する遠侍(とおざむらい)二の間の虎と豹の襖絵は一度観ると忘れられないし、大広間の見事に迫力ある老松の襖絵も然りである。
大広間一の間・二の間は慶応3年(1867)、15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を発表した部屋というから、何かしら緊張が走る部屋だよなぁ~。
          

写真撮影が禁止なので、思い出したくなったら ★★★京都MUSEUM紀行。第十回【元離宮二条城】★★★を開こうと思う。

休憩所に立ち寄り一旦一服してから京都駅に戻った。伊勢丹で夕食を済ませた後、ライトアップの京都タワーに登り夜の京都市街や大阪の「あべのハルカス」の高いビルを探したりして夜景を楽しんだ。
疲れたけれど3人で遊んだ思い出はいつまでも残りそう。。。。。。。     

                                                   おつかれさま。









郡山城 天守台オープンの日

2017-03-26 | 日記
東京 靖国神社で桜(ソメイヨシノ)が開花したと聞いたのは去る21日(火)のこと。多くの人が地元の桜の木に注目し始めたのではないだろうか。勿論私も家の近くの桜の枝を見た。もう少し先のようだ。
昨日のこと 、小川の岸に密集して頭を出している土筆を見つけ、いそいそとビニール袋を手に土筆取りに出かけた。栄養のない乾燥がちの所でスマートな物ばかりだったが、不足を言わないで摘んだ。面倒がらずに一生懸命ハカマ取りもした。そして今、水に漬けているところ。彼曰く「土筆ばあさんしてんのか」ですって。

  3月26日(日)
郡山城天守台の修復工事が終わり今日は完成式典の日、天守台の上には紅白幕が張られ和太鼓数基が置かれていて、天守台の周りは立ち入り禁止になっていた。一般人の立ち入り禁止が解かれるのは午後1時、そうとは知らずやって来た人達は皆んな口々に「知らんかった。何処かに書いてあったんか?」とぶつぶつぶつ。第57回目のお城まつりが今日から4月9日まで開催されるのだが、観客あってのおめでたい式典でありたい意図が伺える。当然だよな。

柳澤神社(徳川5代将軍綱吉の側用人・柳沢吉保公を祀る)で行われていた日本剣道となぎなた形奉納を垣間見る事ができた。そして9時30分からはお坊様と関係者の方々だけの数珠くり法要が行われたが、今日の数珠くりはサラサラと撫ぜて廻られただけ。天守台の上での式典が終わってから和太鼓の演奏があった。
ちなみに、こちらの数珠は全長162m、重さ648kg、数珠玉の直径は15cmで1080個繋がっているそうだ。大和郡山市が市政50周年を迎えた平成16年に新調されたそうで、見るからに立派で綺麗な数珠が石垣の周りに掛けられていた。
              
                              (画像はクリックすると拡大する)

桜は未だ咲いていなくても、人の数は次第に増えてきて11時頃には城跡の内外はいっぱいの人で埋まってお祭りの賑わいだった。天守台に設置された展望デッキ(標高約80m)からの眺望を是非楽しみたいと思って出かけてきた私なので、演奏を聞いてから午後1時までは市街で過ごし再び戻って来た。天守台に続く長い列が出来ていた。
順番が来て石段を登って行く途中、”猿まわし”のイベントが始まり高い所から見物することになった。柳澤神社の社を背景に猿さんが神様のお使いの様に格が上がっていたよ。(笑)
                 

さてさて直ぐ目の前に見える県立郡山高校冠山学舎、こちらが南になるようで既に方向感覚が狂っている私、困ったなぁ~。先ず若草山を確認してホッとする。双眼鏡があれば薬師寺や東大寺や興福寺等も見えるはずだよな。表示板を見ながら矢田丘陵、松尾山、法隆寺、二上山雄岳、葛城山、金剛山の遠景を追ってみた。スマホがあれば無料でダウンロードできる「ココシル大和郡山城下町」アプリで倍楽しめるはずだが、スマホを持っていない時代遅れ人の悲しさ・・・・・娘が来たらお願いする事にしよう。そして双眼鏡持参でゆっくり確認しようと思う。

天守台上には築造当時の礎石をそのまま残している箇所があって見学できる。梵字を刻んだ石も有る。秀吉の時代、大急ぎの築城で石が足りず墓石や石仏が転用石として沢山使われたそうで、石垣の表面で約1000基が確認されているとのこと。また円形で色分された箇所は天守の礎石の位置を示しているらしい。400年昔に天守閣が存在した証となった金箔瓦の写真も見られる。
        
        
地上に降りて天守台の北側に廻り『逆さ地蔵』を覗く。手を合わせている方も居られたっけ。地蔵が約200基も確認されているというから、数珠くり法要は永遠の必須行事であらねばならないだろうなぁ~。
工事は平成13年10月から始まりお花見に来ても近寄れなかったけれど、以前の天守台に登る階段が懐かしい。土や緑の草が恋しいなぁ~。否、私が恋しいのは半世紀以上も前の姿なのである。                            
     
                  
剣道の奉納の様子も見たし、天守台からぐるりと360度の大体の景色も楽しんだし、展示されている金魚も見たし、草餅も食べたし、ぼつぼつ帰ろうと思って竹林門から柳沢文庫の庭園を通って追手門から出てくると、私の目は"どじょうすくい"の文字を捕らえた。覗いてみると小さいドジョウがウヨウヨ泳いでいた。気持ち悪いといえば悪いが、じっと顔を見ると可愛い。大きさは我が家の3年越しのドジョウの3分の1ぐらいかな。金魚すくいはあちこちにあるが、これは珍しいので200円也を差し出して水槽の前に座り込んだ。(笑)

ポイを受け取り「いっしょに帰ろうよ。」と言いながら追っかけた。ヌルヌルしているからスルスル逃げていく。そおぉ~と水平に持ち上げるのがコツらしい。おっ!一匹かかった!「やったぁ~!」私の声にお兄さんがビックリされた。「紙が破けてないので、未だいけますよ。」ヌルヌルスルスルするけれど、ドジョウは大人しい性格のようで、跳ね方が静かで紙が長持ちするのかも知れない。
次の瞬間、奇跡が起こり二匹同時にかかった!ビックリ仰天して感激していると、通りかかりの若者や子供達も挑戦し始め、露店はにわかに活気が出てきた。
             

3匹の内2匹は持ち帰りOKで私の手には先ほど金魚の売り場で買ったホテイアオイ(メダカの産卵用)とで、ビニール袋が2つぶら下がる結果になってしまった。(笑)
格好悪さを耐えて電車に乗る。私は、意地悪を言った彼にこのドジョウを見せて驚かせようと、ちょっと得意になっていたような気がする。退屈もせず、ひとり一日がかりでよく遊んだお城まつりの初日であった。   
                                                        お疲れ様。




下市町を歩くハイキング

2017-03-20 | 日記
一昨日、いつも通る道の片隅に早やレンゲ草が咲いていた。ソコは陽だまりになっているらしい。何だかとても楽し気でニコニコ笑っている様に見えた。一足早い春を知らせてくれた彼女たちの傍らにしゃがんで私もニコニコできた。摘み取るのは止めて「又ね」と声かけた。

  ㋂19日(日)
奈良県の三大梅林として広橋梅林が賀名生(あのう)と月ヶ瀬と一緒に名を連ねているのを知って是非行ってみたくなった。5000本もあると言うから先日の員弁(いなべ)より多いし、満開だというのでいそいそ出かけたのに大ボケをして、近鉄吉野線 下市口駅で目の前にあるバスに乗りそびれた。ホント"鈍"はいい加減にしたいもの。(笑)次のは2時間後というから断念する。

偶々近鉄ハイキングの実施日のようで、そちらにも梅の咲いている所があると聞いたので参加させてもらうことにした。
ここ下市町は吉野地方の入り口でかつて大峯山へ登る修験者たちの宿場町であり、江戸時代には薬草の集荷販売を営む町であったとか。日本初の商業手形である下市札が発行された商業地であったのだ。
吉野川に架かる大きな千石橋を渡って距離にして約1km、葛菓子製造で百年以上の歴史ある老舗・吉田屋の昔の工房でお菓子作りのいろいろな道具を見学させてもらった。ふと葛湯が大好きだった母を思い出したよ。
      (画像はクリックすると拡大する)

近くに蛭子神社が鎮座する。商いの神様として信仰篤く毎年2月12日には盛大な初市が開かれ、先ほど通ってきた千石橋から駅に近い郵便局あたりまで露店が並び、子ども神輿が練り歩くなど大変賑わうそうで、県下、商売繁盛の三大えびす祭りだとか.

ずっと秋野川に沿って歩くのだが、この辺りの川沿いの家は、川に柱とか支え棒を造り川の上に出っ張って建っている家が多いと活動中のボランティアさんから聞いた。よく見ればそうだったが、涼しいのかな?でも落ちたら怖いよ。
吉野杉で作ったお櫃や桶が並んでいるお店が一軒あった。昔は吉野杉製品も地元の産業の1つだったのだろう。
                      

下市観光文化センターに来ると、「下市まるごと薬膳フェアー」が開催されていて、販売や試食や体験などあった。薬草で栄えた歴史を忍ぶイベントかな。私は早速「薬膳シリアルバーつくり」コーナーに座らせてもらった。シリアルバーって一体どんな棒?と思いながら。(笑)
クコ、ナツメ、クルミが薬膳の食材の様で、☆かんたん☆美味しい☆体にやさしい棒は10分程で出来た!楽しかった。冷えて固まってから食する物だそうでビニール袋に入れて持たせて下さった。ホントに美味しかったらマシュマロを買って家でも是非作ってみたい。
  
更に歩いて中央公園に来る。高齢の方々がゲートボールとやら言うスポーツを楽しんでいられた。空気の良い広い公園で地域のお仲間と過ごされる、健康づくりの恰好の場所なのだろう。
2人はお花見を楽しもうと思って張り込んだお弁当をココで広げたが、少々寂しかった。(笑)

やっと梅畑にたどり着いたけれど、食用の梅で華やかさに乏しく、登り坂のしんどさの割に報われずコース半ばで引き返そうとしていると、「ココで止めたらもったいないですよ。もう少し上に行けば景色が変わります。折角ココまで来たんだからあの景色を見なさいよ。見晴らしがいいですよ。」果樹薬草畑を廻って戻って来られた方に勧められ、方向変換をして再び前進。山の斜面は綺麗に整備され、確かに見た事のない広大な果樹畑だった。梅の他に山椒や南天、花桃、甘茶等の薬草類,柿やさくらんぼ等が植えられているそうだ。特産品・名物の柿の葉寿司の柿の葉もこちらでまかなわれているらしい。
        

山を降りて「問屋橋」を渡ると振る舞い酒を頂ける藤村酒店・「老松」の蔵元に到着。
試飲をさせて頂き「老松」のお味を知った。焼酎を飲む人が多くなってきた現代、時代と共にお酒の味も変わっていくようだ。今日は梅の産地に来たので、梅酒をお土産にした。
                               
お店を後に歩いていると、下市口駅行のバスが、スーと目の前で停まり、一瞬驚いたがこのタイミングで乗車を決めた。その為、コースの「札の辻ステーション」と「つるべすし弥助」に立ち寄ることなく2人の歩きは終わった。(笑)ちなみに「つるべすし弥助」とは創業800年以上の老舗料理店で歌舞伎【義経千本桜すし屋の段】の舞台になった店だそうだ。ふぅ~ん・・・歌舞伎ファンには是非立ち寄りたいお店であろう。

今日は私達にとって"三りんぼう"。(笑)そして私にとっては14日にあったジム主催の広橋梅林ハイキングにも時刻表の読み間違いで電車に乗れず、広橋梅林には縁のない年のようだった。来年まで足腰を鍛えながら待つことにしよう。元気で頑張らなくっちゃ!









員弁梅林と軽便鉄道

2017-03-13 | 日記
軽便鉄道って?
明治~昭和にかけて造られた小さなサイズの鉄道(線路の幅が76.2cm)で、現在旅客営業をしているのは四日市あすなろう鉄道、黒部渓谷鉄道、三岐(さんぎ)鉄道北勢(ほくせい)線だけらしい。ちなみに日本の普通路線のレール巾は106.7cm、新幹線は143.5cmだそうだ。普通の鉄道より最高速度は遅く輸送力も小さいが、敷設にお金がかからなかったので通勤・通学などに便利な生活路線として昔は地方のあちこち300ケ所で走っていたそうである。。

そんな軽便鉄道沿線ウォークといなべ梅林観光ツアーに、昨日参加してきた。

  3月12日(日)
西大寺発午前7時30分、39人を乗せてバスは午前11時いなべ梅林に着いた。ココは東海エリア最大級の規模で梅は約100種類4500本あるらしい。残念ながら未だ五分咲き状況でちょっと寂しいお花見であったが、それはそれは沢山の人出で、帰りには公園に通じる1本道が公園に向かう数珠繋ぎの車で2キロほど詰まっていた。公園は広くても駐車場が狭く1本道しか無い、一体どうなる?
          (画像はクリックすると拡大する)

中でも綺麗な梅の木を探し、その下で頂いたお弁当、それなりにお花見気分を少しばかり楽しんだかな。遠くに見える鈴鹿山脈が私達の寂しい気持ちを慰めてくれた。
思い出に苗木を1本と思っていたのに4列あるトイレ待ちはなんと30分以上、大変な込み様で大急ぎでバスに戻った。皆んな愚痴を言っても始まらないのを知っている。写真を残し満開の公園を想像しておこう。

「歩き」は午後1時30分、いなべ市役所の前から開始。
市街を抜けると「ねじり橋」と「めがね橋」の表示があって、先ずは「ねじり橋」に来る。楚原駅の近くに位置するらしい。案内のボランティアさんがいろいろ説明して下さった。用水路と橋が斜めに交差していて、アーチの下部に"ひねり"を入れて積まれているコンクリートブロック製の橋は芸術的で素敵だった。。
一方、200m位離れて明智川に架かる「めがね橋」は3連でこれまた綺麗なアーチであった。
大正3年(1924)に西桑名駅~楚原駅、そして大正5年に楚原駅~阿下喜(あげき)駅が造られたそうだが、その後者の時代から現代に至って活躍している橋だから大変貴重な橋である。平成21年度土木学会推奨土木遺産に認定されているらしい。
明智川は、野焼きが済んだばかりのようで、今日はめったに見られない"めがね橋"の景色に遭遇した。
      

明智川を越えると巨大な幟が立つ八幡神社の鳥居があった。鳥居を抜けて三岐線の線路を越えると境内に入る。鳥居と神社の間に鉄道が走っているなんて、ミニ車両ならではの今では考えられない敷設である。
社殿の前には通神と書かれた球体と至誠と書かれた砲弾のモニュメントが置かれていたが、球体は地雷と同じ様な機雷らしくこの2つは日露戦争に関係のある奉献品らしい・・・・・
          
電車の音がして黄色とオレンジの可愛らしい車体が目の前を通り過ぎて行った。皆んな歓声を挙げて見送った。

員弁川(いなべ川)の岸辺は消防車横付で野焼きの真っ最中、へぇ~ 大掛かりな作業なんだなぁ~と初めて見る公的な野焼き風景にちょっと感動を覚えた。色んな手入れがあってこそ川はきれいに保たれるんだよな。                                    
                      

間もなく笑福寺に着いた。急な石段を登りながら期待していたが、鐘楼以外お寺らしき建物は何もなかった。
持参したコーヒーとお菓子で一休みし、歩きを再開する。時計を見ると午後3時5分であった。
踏切に来てナローゲージの巾を実際に自分の足で体感してみたく、短い脚でまたいでみた。こんな感じ!
すぐ近くに麻生駅があった。駅名は「そうだ」と読むそうだ。
ゴールの阿下喜駅まで後4キロと聞く。足が「後2キロ位なら大丈夫だけど・・・電車に乗ろうよ!」、心が「いつか廃線になるかもよ。乗っておこうよ!」と語り掛けてきた。迷っている内に切符を持った彼の手が伸びてきて乗る事になってしまった。(笑)
   

午後3時23分発。コンパクトな車内に腰掛け先頭窓からカーブの線路景色を眺めると嬉しくなって、半分は自分の意思で半分は強制的だったが、結果的にはこれで良かったかもと思えた。
5分程で阿下喜駅に着いた。単線なのでこの列車は折り返し西桑名駅に向かう。
ちなみに路線の駅名は西桑名⇔馬道 西別所⇔蓮華寺 在良⇔星川 七和⇔穴太⇔東員⇔大泉⇔楚原⇔麻生⇔阿下喜だそうだ。読み方が又むずかしい。
          

さて、皆んなが到着される予定時刻まで50分ある。軽便博物館前には昭和6年製モニ226号電車が保存展示されていて、180mの15インチゲージ鉄道「北勢軽便鉄道阿下喜線」と呼ぶ路線が敷かれ、無料体験スペースが設けられていた。
大々の年寄りがちょっと恥ずかしかったが折角なので勇気を出して、ミニ電車や軌道自転車に乗せてもらった。嵯峨野の保津川橋梁で乗った軌道自転車は漕ぐ必要がなかったけれど、これぞ私の想像していた軌道自転車らしい。カーブ部分でちょっとドキッとしたが、楽しかった。かつて北勢町麻生田にあった駅で2004年(平成16年)に廃駅となったらしい六石(ろっこく)駅の立て看板・駅標も作られていて面白い。製作者の気持ちが込められているんだよな。伝わってきたよ。
遊び終えて思うに、歳を重ねると子どもに戻るとはこういう事かな?とプライドを無くした自分を慰めている次第。
       

モニ226号の車内に入っても良い事が解り入らせてもらった。木製の床、座りながら手が届く長~い吊革、お向かいの人と小声で会話が出来そうな狭い空間である。にこやかな笑顔でモニ226号の歴史を丁寧に説明して貰えるのは最高の"おもてなし"で嬉しい。
    【モニ226号車、この車両は北勢線の前進である「北勢鉄道」の電化時に新造された電車で、
     北勢鉄道で活躍した後、同じくナローゲージの近鉄内部・八王子線に転籍。1983年に廃車後、
     四日市スポーツランドという施設で保存されていたものを移設し、製造当時の方法で修復作業
     を行い、外観復元された木製ボディの電車です。】
           ←阿下喜駅

博物館は地元有志の方々のボランティアで第1・3日曜日に開館されているとの事、今日はツアー客の為の特別開館でラッキーだった。珍しいねじり橋も見たし、壮大な野焼き風景も見たし、貴重な軽便鉄道にも乗れたし良かった。完歩した彼も満足できたようで良かった。
それに員弁に着くまでにバスの車窓から見た伊吹山(トップの画像)、真っ白い雪が太陽に照らされ輝いていたのも忘れられないだろうなぁ~。