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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

笹酒祭り

2018-01-23 | 日記
年賀状を出せなかったお友達に寒中見舞いを出そうと思って改めてその時期を調べてみた。寒中と言うのは小寒と大寒の間だ。今年の小寒は1月5日でこの日が寒の入り、そして1月20日が大寒、大寒の終りは2月3日の節分(翌2月4日が立春)という事が分った。確かにここ数日の寒さは格別で庭の水鉢の氷が一日中溶けない日もあり、最低気温がー4℃というのが数回有った。ビユービヴューと音をたてて強い風の吹く日も度々で体調管理がなかなか難しい。(東京都心に積雪23cm、4年ぶり、とテレビニュースが報じていたっけな。)

それでも合間をみて散歩に出かけた日もあって、満開の蝋梅の木を見た時は、その見事さと香りに酔って大満足した。
歩くと色んな発見があるので楽しい。私の足よ、どうかいつまでも歩けるようにいておくれ。寒くても日々の歩きを頑張るからね。


  1月23日(火)
今日は南都七大寺 の一つ「大安寺」で光仁会(癌封じささ酒祭り)が行われる日。出かける事にした、2人共それぞれ初めての寺ではなかったが、ささ酒祭りは知らなかった。
光仁会(こうにんえ)は光仁天皇(709~782)の御忌法要だそうである。
その発端は奈良時代、光仁天皇(天智天皇の孫)が王子の頃にしばしば大安寺に詣で、竹林で「林間酒を温める」風流を楽しまれたそうで、次の天皇・桓武天皇が光仁天皇の一周忌法要をこのお寺で行われたという故事[続日本紀(しょくにほんぎ)]にちなんでいるようである。
62歳で帝位につかれ73才まで在位されたという、当時としては驚きの長寿を全うされ、天下太平の祈願と共に人々の悪病退散の祈りをされたというのである。それで現代では癌などの悪病を封じて元気に暮らそうと行われるお祭りらしい。
          (画像はクリックすると拡大する)

高齢者にとっては誰もが「癌封じささ酒祭り」にあやかって是非とも健康で長生きしたいと願うものである。
近鉄奈良駅から臨時バスが出ていて大安寺門前まで行けた。午前9時5分には門前に到着、山門を入ってすぐの「拝観ささ酒受付」テントで拝観料500円を支払うと青竹の杯をも選べるようになっていた。

手水所で清めてから本堂に参拝、お賽銭を入れて縁を移動すると、お坊様が錫杖で背中をさすって”おまじない”をして下さった。何かしら有難い気分になった。本堂の中では法話が聞けたかも知れなかったが、よく解らず2人はそのまま境内に下りた。癌封じの御祈祷を受ける人も居られるようだった。

境内にはささ酒のお持ち帰りが販売されていたが、さて、青竹の杯で頂くささ酒は何処か?とキョロキョロしていると、笹娘と呼ばれる和服姿のお嬢さん達が1m程の太い青竹の筒を手にずらりと並んでスタンバイしていられる所があった。その華やかな雰囲気に思わずニコニコ顔になって杯を取り出して受けた。
ささ水もあって、お酒の飲めない人達が頂くそうである。私は両方頂いたよ。“お代わり”も許されて、ささ酒を2回受ける人も居て微笑ましい・・・・・
たき火の傍らに立てかけられ温められたお酒も水も美味しかった。笑顔と「ありがとう。」の言葉があちこちで飛び交っていた。
        
                      

竹の工芸品やお菓子やお寿司etc.いろんな手作り品々を見て回っていると、くず湯の接待があってココでも皆んな笑顔になっていた。

午前10時、県外遠くからも沢山の人がやって来られるようで、広い境内はかなり混雑してきた。午前8時から始まって午後4時迄続くこの催し、さぞかし大変な事だろうが、ご奉仕する人も喜んで、昔も今もこれが庶民の楽しみなんだよな。すっかり奈良新春の風物詩となって、後々の世まで長く引き継がれるのだろうなぁ~。。。。。

      
わさび葉寿司とお饅頭を買って、青竹の器は記念に持ち帰ったよ。今年も元気で過ごせるような明るい気持ちになった嬉しい日であった。





初詣

2018-01-02 | 日記
2018年、のどかに新年が明けた。受験生の居る遠い家族の帰省は無く二人だけの元旦おせちを祝う。今日の午後には太志君が遠路一人でやって来る予定。
佐保川近くで初日の出を待った。日の出時刻は午前7時4分だが、見上げていた山の上に出た瞬間は7時22分。どうか今年も健康で過ごせます様に。

二人で下鴨神社と上賀茂神社へ初詣に行くことにした。京都市左京区に在る下鴨神社は正式には加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と言うらしい。本殿には東殿に上賀茂神社のご祭神・加茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)のお母さんである玉依姫命を、西殿には玉依姫命のお父さんである加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られているそうだが、御簾が掛けられ本殿全体を目にする事は出来ない様になっている。
創建には諸説があって、天平の頃に上賀茂神社から分置されたという説もあるらしい。
         (画像はクリックすると拡大する)                

  1月1日(月)
20年ぶりに訪れた下鴨神社の糺の森(ただすのもり)は様子が違っていた。昨年「糺の森マンション」が建ち、分譲中らしい。御影通りからの住棟景観に全く違和感はなく、神聖な場所に在るこんな素晴らしい高級マンションに住める人を想像するだけで幸せ気分になる。

さて、神社本殿の入り口には長蛇の列ができていて、幣殿前に在る「言社」(ことしゃ)《干支の守り神が祀られている7つの小さい社》で自分の干支のお社にお参りするのである。
厳かな雰囲気が漂う摂社や末社が沢山あって、あまりよく解らないまま人の流れに続いて参拝した。その後「御手洗池」(みたらしのいけ)に来ると、おみくじを水に浸す人の姿が沢山あった。「御手洗社」の前にもお参りの人が列を作っていた。
この「御手洗社」は井戸の上に建っていて「井上社」(いのうえしゃ)とも呼ばれ、病気や怪我などいろいろな災難除けの神様らしい。土用の丑の日には”足つけ神事”や立秋の前夜には”夏越神事”が行われるとか。みんな無病息災を願って参拝されるのだろう。
          

水みくじの『吉』に気分良くして、上賀茂神社(京都市北区)に向かった。距離にして約3.6kmらしいが混雑する今日はバスで20分程かかった。
下鴨神社では長い参道を歩いたが、こちらは一の鳥居の前に立つと目の前が明るく開けた感じがして心が軽くなった。

春には見事に華麗な姿を見せる「御所桜」や「斎王桜」は冬でも堂々とした姿でじっくりエネルギーを蓄えゆっくり春の準備をしているように見えた。紅しだれ「斎王桜」はこのように“コモ巻”で大事にされて冬を越しているのを知った。
二の鳥居前の神馬舎には神馬が出舎。白く美しい姿は神々しく、名前は「神山(こうやま)号」で13才のサラブレッドらしい。
年の初めに白馬を見ると、一年の邪気が祓われると聞く。今日はエサ(?)やりをさせてもらえるようで、大人も子供も並んで順番を待っている。薄く輪切りされた人参が2枚入った小皿を差し出すと上手に食べてくれるのである。勿論私も並んだよ。
向かい側で「厄除けだいこん」炊きが行われていて、こちらも頂いた。初詣でこのような体験は初めてで、すっかり嬉しくなっていた私である。(笑)
           

そうそう上賀茂神社の正式名は加茂分雷神社。初の社殿造営は天武天皇の御代678年(飛鳥時代)で、現在の建物は1863年江戸時代末期に造替されたものらしい。檜皮葺の三間流れ造りの本殿と権殿(ごんでん)《社殿を新しく造営する際にご神体を遷す仮殿》は1953年(昭和28年)国宝になっているので、もう新しく造替は出来ないのだろう。平成27年10月15日に第42回目の式年遷宮の最後の行事・正遷宮(本殿の修理中、権殿に祀られていたご神体を本殿に遷す)が斎行されたらしい。
私はこちらの本殿に参拝するのは初めてで、ちょっと緊張して心が引き締まるのを感じた。


境内を流れる川の水の何と綺麗なこと!明神川と御物忌(おものい)川が神社の敷地に流入しているそうだ。
本殿・権殿の他に沢山ある社殿の中で印象に残ったのは、愛の神さま玉依姫命を祀る片岡社の前で若いカップルがお姫様の絵が描かれた可愛い絵馬を持って仲良く参拝の順番を待っている光景であった。微笑ましい彼らに幸有れと思わず祈る気持ちが起きた。
絵馬の形はハート型と思いそうな葵の葉の形で、お姫様に重ねて書かれている句は紫式部がこのお社にお参りして我が恋の成就を願って詠んだものだという。
 ---ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし (新古今和歌集:三巻 夏歌)---
    

御神酒も頂き、八咫烏みくじの「吉」、そしてきれいな水の流れに心癒され、とても嬉しい初詣となった。頑張ってくれた我が脚にもありがとう。最後は名物の焼き餅を買って京都駅行のバスで帰路についた。

電車を降りてゆっくり歩きながら空を見上げてビックリした。なんと大きな真ん丸お月様!思わず立ち止まってじっと見つめた。ウサギがお餅つきをしていると信じていた幼児に戻っている自分に気づいて苦笑する。
うぅ~ん、そうだったのか・・・今夜は満月、それも2018年で最も大きくなるスーパームーンだったのだ!
2018年1月1日、なんてラッキーな最高の日だったよな。合掌。