東院庭園
2020-11-25 | 日記
11月25日(水)
晴天続きで歩くならこの時期に平城宮跡東院庭園へと思い、奈良での所要を兼ねて出かけた。
近鉄奈良駅から「ぐるっとバス」大宮通りルートに乗り、昔のそごう百貨店(1989年)前で降りた。ココはその後イトーヨーカドー(2003年)になり、今はミ・ナーラ(2018年)になっていた。
「朱雀門ひろば」まで行くべきかと思ったが地理的にこちらの方が近いと見当をつけた訳だが、ビックリするほど近かった。バス停の名は「宮跡庭園」(みやあとていえん)だと、今マップを見て分かったばかり。(笑)
東院南門の土塀がすぐ目の前に飛び込んできた。そして枯れススキが一面に広がる向こうに朱雀門そして復元工事中の南門(2017~2022年春)の素屋根や大極殿の屋根を見て、古都奈良を再認識した。南門の完成は未だ2年先だが昨年の特別拝観の折に見た内部の感動が蘇る。
(画像はクリックすると拡大する)
さて、庭園は1967年(S.47年)に発掘調査され、1993年から5年かけて復元整備され、平成10年(2003年)に一般公開となった。そして平成22年に特別名勝に指定されたそうだ。発掘された庭園遺構の上に奈良時代の庭園をそのまま再現されている。
一般公開となった時に訪れた庭園の記憶がおぼろになっていたが、宮殿庭園の優雅さが漂っている。池の水は綺麗に澄んで、曲水も静かに流れていた。
建物の舞台に繋がる平橋は渡れなかったが、反り橋を渡って庭を一周する事ができた。
水の流れを見ていると、古典で習った「曲水の宴」を想像した。盃が自分の前に流れて来る迄に詩歌を詠み、盃の酒を飲み干し次へ流す遊びは平安時代の貴族にたいそう流行ったそうだが、既に奈良時代この池泉庭園(ちせんていえん)で宴会や儀式を催されていたという第46代孝謙天皇〔 重祚(ちょうそ)して第48代称徳天皇 〕が、その先駆けだったのかも知れないナ。
【孝謙天皇は聖武天皇の皇女であり、女帝である。在位は749~758年と764~770年間。母は光明皇后。】
平城宮跡の東南に出っ張る東宮、中心部から離れているので訪れる人は比較的少ないようで、出会った人は極く僅か、惜しいなぁ~・・・
帰りは西大寺駅まで30分余り歩いて疲れたけれど、充分に満足出来た東院庭園だった。
晴天続きで歩くならこの時期に平城宮跡東院庭園へと思い、奈良での所要を兼ねて出かけた。
近鉄奈良駅から「ぐるっとバス」大宮通りルートに乗り、昔のそごう百貨店(1989年)前で降りた。ココはその後イトーヨーカドー(2003年)になり、今はミ・ナーラ(2018年)になっていた。
「朱雀門ひろば」まで行くべきかと思ったが地理的にこちらの方が近いと見当をつけた訳だが、ビックリするほど近かった。バス停の名は「宮跡庭園」(みやあとていえん)だと、今マップを見て分かったばかり。(笑)
東院南門の土塀がすぐ目の前に飛び込んできた。そして枯れススキが一面に広がる向こうに朱雀門そして復元工事中の南門(2017~2022年春)の素屋根や大極殿の屋根を見て、古都奈良を再認識した。南門の完成は未だ2年先だが昨年の特別拝観の折に見た内部の感動が蘇る。
(画像はクリックすると拡大する)
さて、庭園は1967年(S.47年)に発掘調査され、1993年から5年かけて復元整備され、平成10年(2003年)に一般公開となった。そして平成22年に特別名勝に指定されたそうだ。発掘された庭園遺構の上に奈良時代の庭園をそのまま再現されている。
一般公開となった時に訪れた庭園の記憶がおぼろになっていたが、宮殿庭園の優雅さが漂っている。池の水は綺麗に澄んで、曲水も静かに流れていた。
建物の舞台に繋がる平橋は渡れなかったが、反り橋を渡って庭を一周する事ができた。
水の流れを見ていると、古典で習った「曲水の宴」を想像した。盃が自分の前に流れて来る迄に詩歌を詠み、盃の酒を飲み干し次へ流す遊びは平安時代の貴族にたいそう流行ったそうだが、既に奈良時代この池泉庭園(ちせんていえん)で宴会や儀式を催されていたという第46代孝謙天皇〔 重祚(ちょうそ)して第48代称徳天皇 〕が、その先駆けだったのかも知れないナ。
【孝謙天皇は聖武天皇の皇女であり、女帝である。在位は749~758年と764~770年間。母は光明皇后。】
平城宮跡の東南に出っ張る東宮、中心部から離れているので訪れる人は比較的少ないようで、出会った人は極く僅か、惜しいなぁ~・・・
帰りは西大寺駅まで30分余り歩いて疲れたけれど、充分に満足出来た東院庭園だった。