彼の希望で久しぶりに遠出を決めて、浜松の新鮮な海の幸と三保の松原に魅かれ、静岡行ツアー(10月22~23日)に参加した。
昨年、日本三大松原の1つ佐賀県唐津市の「虹の松原」に行った時しっかり認識したのだが、「三保の松原」は富士山を見る度に頭の中で見ていただけなんだ、と。福井県の「気比の松原」(けひのまつばら)は名前の読み方さえ間違っていた私である。(笑)
三保の松原は謡曲「羽衣」の舞台で、伝説の天女の衣が掛けられていたという「羽衣の松」が在るというから楽しみにしていた。現在の松は3代目だそうで、初代の松は富士宝永山噴火(1707年)の際に海に沈んだと言われているとか。富士山の宝永火口を見たのは3年前、あの景色を思い出すと300余年前が一瞬に短縮されて想像を絶する噴火と松が消えた瞬間を想像してみたよ。(笑)
ストーリーは天女が水浴びをするのに松に掛けておいた羽衣を三保浦の漁夫・白龍(ハクリョオ)が見つけて、返す返さないのやり取りの後、天女が天上の舞楽を奏することを約束し、最後は天上に帰っていく。薄衣の美しい羽衣の袖と裳裾をたなびかせながら富士山を超えて澄んだ青空へ消えていく、なんと美しい情景か!
私が謡曲「羽衣」を一生懸命練習して仕舞「羽衣」のお稽古に励んでいたのは50年以上も昔の事、そして能「羽衣」を鑑賞したのもその頃だった。
10月23日(火)
22日は浜松の鰻に満足し、昔懐かしいお菓子・うなぎパイ工場を見学し、牧之原の広大な茶畑に驚き、「グリンピア 牧之原」で食べた〝ななや濃厚抹茶ジェラード"の美味しさに感激した。お茶処で覚えた文言、「お茶はゆっくり飲む お茶は朝あわてて一杯だけ飲んで出発するのはいけない おちついて少なくとも二杯飲んで出発せよ」の奥深さ、心のゆとりを持つ事の大切さをこの歳になってしみじみと感じている次第である。
23日朝6時30分、ホテルの直ぐ近く清水灯台(三保灯台)の前に広がる海岸へ散歩に出た。早や釣りを楽しんでいる人の姿があった。スズキを獲られたらしい。海から昇る朝日を浴びて海釣りを楽しむのがその人のその日の活力になっているのかも知れないなぁ~。
雄大な海岸線が素晴らしかった。私は珍しい模様の石(地元では「ハチマキ石」と呼ばれているそうだ)を3つ見つけて、嬉しかった。
ついでながら清水灯台は日本初の鉄筋コンクリート造灯台として明治45年3月1日に点灯したそうである。そして頂部の風見鶏は鶏ではなく羽衣伝説にちなんで羽衣の天女になっているそうだ。18m先の小さな天女は肉眼では確認できなかったよ。残念だった・・・(笑)
(画像はクリックすると拡大する)
バス移動で三保の松原の入り口に立ったのは午前9時55分、目の前の看板にこんな写真があった。プロにしか撮れない見事な景色である。実にきれいだなぁ~・・・・・
私はここにひらひら風になびく美しい羽衣をまとって天に昇っていく天女を重ねて、しばし羽衣伝説を楽しんだ。(笑)
松並木は松の根っこを傷めない様に木道になっている。道路を隔てて向かい側にある御穂神社の参道でもあり「神の道」と呼ばれているらしい。500m程行って木道の終わった先に大きな「羽衣の松」が堂々と枝を広げて佇んでいた。(下段写真右から2番目)ほんに羽衣がかかっているのをイメージ出来そうだった。(笑)
そして傍に、「羽衣」能から羽衣伝説に魅せられ、これを舞踊化したという外国人、フランスのバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリス(1916~1951)の碑が建っていた。能面・小面(こおもて)をじっと見つめるエレーヌの浮き彫り彫刻がはめ込まれ、夫マルセル・ジュグラリス氏が彼女に贈った詩が刻まれている。
エレーヌは三保の松原に憧れつつもこの地を踏む機会を得ず35歳の若さで亡くなったそうだ。夫マルセル・ジュグラリス氏が彼女の遺髪と「羽衣」を演じた時の衣装を持って来日。碑の下には遺言によって彼女の遺髪が埋められているらしい。6行の詩も胸を打つ。【三保の浦 波渡る風 語るなり パリにて「羽衣」に いのちささげしわが妻のこと 風きけば わが日々のすぎさりゆくも 心安けし】
富士山の今年の初冠雪をテレビで知ったのは早く(9月26日)、一昨日21日には雪化粧した富士山の映像を見た。
今日は曇りで霞んでいたが、かろうじて富士山を見ることが出来て幸いした。頂上を覆っていた雲が外れた一瞬にシャッターを押した画像、大したものではないが、自己満足ながら思い出に残しておきたい。
清水港ミニクルーズの後、楽しみにしていた田子の浦での“生シラス丼”は、朝捕れのシラスで鮮度はまあまあ有難かったが、小さ過ぎたのが残念だった。江の島で食した捕れたてのピチピチぷりぷり生シラス丼が忘れられない私、でもツアーで贅沢は言えないよな、鮮度に感謝して頂いた。
伝説は語り継がれていく内に塗り替えられる部分もあるだろうが、たまたま宝永火口や謡曲の「羽衣」を見知っていただけに、東遊び(あづまあそび)の駿河舞の地謡が聞こえてくる様な気持ちで楽しめた夢物語。この石を見ると駿河の青い海と緑の松原と富士山が一緒に見えるあの海岸を思い出すだろう。
(おしまい)
昨年、日本三大松原の1つ佐賀県唐津市の「虹の松原」に行った時しっかり認識したのだが、「三保の松原」は富士山を見る度に頭の中で見ていただけなんだ、と。福井県の「気比の松原」(けひのまつばら)は名前の読み方さえ間違っていた私である。(笑)
三保の松原は謡曲「羽衣」の舞台で、伝説の天女の衣が掛けられていたという「羽衣の松」が在るというから楽しみにしていた。現在の松は3代目だそうで、初代の松は富士宝永山噴火(1707年)の際に海に沈んだと言われているとか。富士山の宝永火口を見たのは3年前、あの景色を思い出すと300余年前が一瞬に短縮されて想像を絶する噴火と松が消えた瞬間を想像してみたよ。(笑)
ストーリーは天女が水浴びをするのに松に掛けておいた羽衣を三保浦の漁夫・白龍(ハクリョオ)が見つけて、返す返さないのやり取りの後、天女が天上の舞楽を奏することを約束し、最後は天上に帰っていく。薄衣の美しい羽衣の袖と裳裾をたなびかせながら富士山を超えて澄んだ青空へ消えていく、なんと美しい情景か!
私が謡曲「羽衣」を一生懸命練習して仕舞「羽衣」のお稽古に励んでいたのは50年以上も昔の事、そして能「羽衣」を鑑賞したのもその頃だった。
10月23日(火)
22日は浜松の鰻に満足し、昔懐かしいお菓子・うなぎパイ工場を見学し、牧之原の広大な茶畑に驚き、「グリンピア 牧之原」で食べた〝ななや濃厚抹茶ジェラード"の美味しさに感激した。お茶処で覚えた文言、「お茶はゆっくり飲む お茶は朝あわてて一杯だけ飲んで出発するのはいけない おちついて少なくとも二杯飲んで出発せよ」の奥深さ、心のゆとりを持つ事の大切さをこの歳になってしみじみと感じている次第である。
23日朝6時30分、ホテルの直ぐ近く清水灯台(三保灯台)の前に広がる海岸へ散歩に出た。早や釣りを楽しんでいる人の姿があった。スズキを獲られたらしい。海から昇る朝日を浴びて海釣りを楽しむのがその人のその日の活力になっているのかも知れないなぁ~。
雄大な海岸線が素晴らしかった。私は珍しい模様の石(地元では「ハチマキ石」と呼ばれているそうだ)を3つ見つけて、嬉しかった。
ついでながら清水灯台は日本初の鉄筋コンクリート造灯台として明治45年3月1日に点灯したそうである。そして頂部の風見鶏は鶏ではなく羽衣伝説にちなんで羽衣の天女になっているそうだ。18m先の小さな天女は肉眼では確認できなかったよ。残念だった・・・(笑)
(画像はクリックすると拡大する)
バス移動で三保の松原の入り口に立ったのは午前9時55分、目の前の看板にこんな写真があった。プロにしか撮れない見事な景色である。実にきれいだなぁ~・・・・・
私はここにひらひら風になびく美しい羽衣をまとって天に昇っていく天女を重ねて、しばし羽衣伝説を楽しんだ。(笑)
松並木は松の根っこを傷めない様に木道になっている。道路を隔てて向かい側にある御穂神社の参道でもあり「神の道」と呼ばれているらしい。500m程行って木道の終わった先に大きな「羽衣の松」が堂々と枝を広げて佇んでいた。(下段写真右から2番目)ほんに羽衣がかかっているのをイメージ出来そうだった。(笑)
そして傍に、「羽衣」能から羽衣伝説に魅せられ、これを舞踊化したという外国人、フランスのバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリス(1916~1951)の碑が建っていた。能面・小面(こおもて)をじっと見つめるエレーヌの浮き彫り彫刻がはめ込まれ、夫マルセル・ジュグラリス氏が彼女に贈った詩が刻まれている。
エレーヌは三保の松原に憧れつつもこの地を踏む機会を得ず35歳の若さで亡くなったそうだ。夫マルセル・ジュグラリス氏が彼女の遺髪と「羽衣」を演じた時の衣装を持って来日。碑の下には遺言によって彼女の遺髪が埋められているらしい。6行の詩も胸を打つ。【三保の浦 波渡る風 語るなり パリにて「羽衣」に いのちささげしわが妻のこと 風きけば わが日々のすぎさりゆくも 心安けし】
富士山の今年の初冠雪をテレビで知ったのは早く(9月26日)、一昨日21日には雪化粧した富士山の映像を見た。
今日は曇りで霞んでいたが、かろうじて富士山を見ることが出来て幸いした。頂上を覆っていた雲が外れた一瞬にシャッターを押した画像、大したものではないが、自己満足ながら思い出に残しておきたい。
清水港ミニクルーズの後、楽しみにしていた田子の浦での“生シラス丼”は、朝捕れのシラスで鮮度はまあまあ有難かったが、小さ過ぎたのが残念だった。江の島で食した捕れたてのピチピチぷりぷり生シラス丼が忘れられない私、でもツアーで贅沢は言えないよな、鮮度に感謝して頂いた。
伝説は語り継がれていく内に塗り替えられる部分もあるだろうが、たまたま宝永火口や謡曲の「羽衣」を見知っていただけに、東遊び(あづまあそび)の駿河舞の地謡が聞こえてくる様な気持ちで楽しめた夢物語。この石を見ると駿河の青い海と緑の松原と富士山が一緒に見えるあの海岸を思い出すだろう。
(おしまい)