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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

三保の松原

2018-10-30 | 日記
彼の希望で久しぶりに遠出を決めて、浜松の新鮮な海の幸と三保の松原に魅かれ、静岡行ツアー(10月22~23日)に参加した。
昨年、日本三大松原の1つ佐賀県唐津市の「虹の松原」に行った時しっかり認識したのだが、「三保の松原」は富士山を見る度に頭の中で見ていただけなんだ、と。福井県の「気比の松原」(けひのまつばら)は名前の読み方さえ間違っていた私である。(笑)

三保の松原は謡曲「羽衣」の舞台で、伝説の天女の衣が掛けられていたという「羽衣の松」が在るというから楽しみにしていた。現在の松は3代目だそうで、初代の松は富士宝永山噴火(1707年)の際に海に沈んだと言われているとか。富士山の宝永火口を見たのは3年前、あの景色を思い出すと300余年前が一瞬に短縮されて想像を絶する噴火と松が消えた瞬間を想像してみたよ。(笑)

ストーリーは天女が水浴びをするのに松に掛けておいた羽衣を三保浦の漁夫・白龍(ハクリョオ)が見つけて、返す返さないのやり取りの後、天女が天上の舞楽を奏することを約束し、最後は天上に帰っていく。薄衣の美しい羽衣の袖と裳裾をたなびかせながら富士山を超えて澄んだ青空へ消えていく、なんと美しい情景か!
私が謡曲「羽衣」を一生懸命練習して仕舞「羽衣」のお稽古に励んでいたのは50年以上も昔の事、そして能「羽衣」を鑑賞したのもその頃だった。



  10月23日(火)
22日は浜松の鰻に満足し、昔懐かしいお菓子・うなぎパイ工場を見学し、牧之原の広大な茶畑に驚き、「グリンピア 牧之原」で食べた〝ななや濃厚抹茶ジェラード"の美味しさに感激した。お茶処で覚えた文言、「お茶はゆっくり飲む お茶は朝あわてて一杯だけ飲んで出発するのはいけない おちついて少なくとも二杯飲んで出発せよ」の奥深さ、心のゆとりを持つ事の大切さをこの歳になってしみじみと感じている次第である。

23日朝6時30分、ホテルの直ぐ近く清水灯台(三保灯台)の前に広がる海岸へ散歩に出た。早や釣りを楽しんでいる人の姿があった。スズキを獲られたらしい。海から昇る朝日を浴びて海釣りを楽しむのがその人のその日の活力になっているのかも知れないなぁ~。
雄大な海岸線が素晴らしかった。私は珍しい模様の石(地元では「ハチマキ石」と呼ばれているそうだ)を3つ見つけて、嬉しかった。
ついでながら清水灯台は日本初の鉄筋コンクリート造灯台として明治45年3月1日に点灯したそうである。そして頂部の風見鶏は鶏ではなく羽衣伝説にちなんで羽衣の天女になっているそうだ。18m先の小さな天女は肉眼では確認できなかったよ。残念だった・・・(笑)

              (画像はクリックすると拡大する)   

バス移動で三保の松原の入り口に立ったのは午前9時55分、目の前の看板にこんな写真があった。プロにしか撮れない見事な景色である。実にきれいだなぁ~・・・・・
私はここにひらひら風になびく美しい羽衣をまとって天に昇っていく天女を重ねて、しばし羽衣伝説を楽しんだ。(笑)
松並木は松の根っこを傷めない様に木道になっている。道路を隔てて向かい側にある御穂神社の参道でもあり「神の道」と呼ばれているらしい。500m程行って木道の終わった先に大きな「羽衣の松」が堂々と枝を広げて佇んでいた。(下段写真右から2番目)ほんに羽衣がかかっているのをイメージ出来そうだった。(笑)

          

そして傍に、「羽衣」能から羽衣伝説に魅せられ、これを舞踊化したという外国人、フランスのバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリス(1916~1951)の碑が建っていた。能面・小面(こおもて)をじっと見つめるエレーヌの浮き彫り彫刻がはめ込まれ、夫マルセル・ジュグラリス氏が彼女に贈った詩が刻まれている。
エレーヌは三保の松原に憧れつつもこの地を踏む機会を得ず35歳の若さで亡くなったそうだ。夫マルセル・ジュグラリス氏が彼女の遺髪と「羽衣」を演じた時の衣装を持って来日。碑の下には遺言によって彼女の遺髪が埋められているらしい。6行の詩も胸を打つ。【三保の浦 波渡る風 語るなり パリにて「羽衣」に いのちささげしわが妻のこと 風きけば わが日々のすぎさりゆくも 心安けし】

    

富士山の今年の初冠雪をテレビで知ったのは早く(9月26日)、一昨日21日には雪化粧した富士山の映像を見た。
今日は曇りで霞んでいたが、かろうじて富士山を見ることが出来て幸いした。頂上を覆っていた雲が外れた一瞬にシャッターを押した画像、大したものではないが、自己満足ながら思い出に残しておきたい。
清水港ミニクルーズの後、楽しみにしていた田子の浦での“生シラス丼”は、朝捕れのシラスで鮮度はまあまあ有難かったが、小さ過ぎたのが残念だった。江の島で食した捕れたてのピチピチぷりぷり生シラス丼が忘れられない私、でもツアーで贅沢は言えないよな、鮮度に感謝して頂いた。

伝説は語り継がれていく内に塗り替えられる部分もあるだろうが、たまたま宝永火口や謡曲の「羽衣」を見知っていただけに、東遊び(あづまあそび)の駿河舞の地謡が聞こえてくる様な気持ちで楽しめた夢物語。この石を見ると駿河の青い海と緑の松原と富士山が一緒に見えるあの海岸を思い出すだろう。
                                                       (おしまい)





高取の案山子祭り

2018-10-16 | 日記
奈良県高市郡高取町では10月1日(月)~31日(水)まで案山子祭りが開催されていると聞いた。もう10回目になるらしい。
昔「たかとり城まつり」で玉すだれ行列に参加したのをきっかけに、「町家の雛めぐり」や高取城跡に感動大にして、今回は案山子祭りに心が動いた。

  10月7日(日)
近鉄吉野線壺阪山駅に降りたのは午前9時40分、案山子に迎えられて地図をもらった。このアイディアに心を踊らせ、ゆっくり「土佐街道」を歩き始めると街道はすっきりと綺麗でとても気持ち良かった。きっと町民の皆さんには〝おもてなしの心"が浸透しているのだろう。

道の両側や広場に沢山の案山子が色んな格好で日常生活を再現していた。「じいちゃん・ばあちゃんの館」ではお正月風景が演出されていて、華やかで巧妙なしつらえに驚く。案山子が着ている着物は、箪笥に眠っている着物を古着として売るには忍びず利用してもらえればと提供された物だそうだ。おせち料理やみかん等すべて粘土で作られているという。

              (画像はクリックすると拡大する)

「2018世界首脳会談?」と題して、トランプ大統領と安倍首相と金正恩(キム・ジョンウン)党委員長がいた。それに水戸黄門ご一行にも会えたのが嬉しかった。(笑)「桃太郎」や「ドラえもん」や「となりのトトロ」etc.それにみやぞんやアメリカ大リーグの大谷選手など今時の人気人も登場して、幼児や子どもからお年寄りまで皆んなが楽しめる様になっているのも素晴らしい。約200体の案山子が置かれているそうだ。

           
  
七福神のパワースポットが設けられ、メイン会場でカードをもらい七か所巡って置かれているスタンプを自分で押して会場に持参すれば、ガラガラ抽選会があるようになっていた。私は昨年の11月に大阪の七福神巡りをしたのを思い出してやってみると楽しかった。くじ運の悪いはずの私がなんとガラガラで赤玉が転がり出て、係の人もびっくり!幸運を授かって「せんとくん」の風鈴が当たったのである。
とても嬉しかったので、ここに御朱印カードと七福神(布袋尊・福禄寿・毘沙門天・弁財天・寿老人・大黒天・恵比寿天)と風鈴を載せておく。

                  

そうそう、高取は薬の町だったよな。私が今も使っている「陀羅尼助」、柳ゴオリを背負った大和売薬の行商姿の案山子が町の歴史を語っている。
どの案山子もほっこりと心温まる物で、編み物をするおばあちゃんのなんと穏やかな表情に思わず近寄り声をかけた「さようなら、楽しませてもらってありがとう」。町民の方々も親切で優しく、本当に又来たいと思う高取町であった。

            


最後に元来た道を戻り駅を通り過ぎて、「じいちゃん・ばあちゃんの館」で凧あげをする子供の向こうに見えた子嶋神社に行ってみた。拝観はできず神社の詳細は解らなかったが、神社の実物を見て妙な達成感(?)に満たされた。
  

奈良町散策

2018-10-13 | 日記
久しぶりに奈良町を歩いてみたくなり、思い立って一人で出かけたのは9月23日秋分の日。SDカードを開いて、この日に立ち返ってみよう。

  9月23日(日)
「もちいどの通り」を抜けて奈良町情報館に来た。
しっかり歩くにはお腹ごしらえが必要で、門口に並ぶ「鍾馗(しょうき)さん」に魅かれて入ったお店は「まほろば」、シンプルな箱弁当がなかなか美味しかった。
街は若いカップルや家族連れがいっぱいだった。
先ず、昔の豪商の屋敷・「にぎわいの家」に入った。季節が違えば趣きもちがって、今日は中庭に面する縁側にお月見のお供え膳が飾られていた。明日24日は今年のお月見である。私も薄と萩を探して野原を歩く積りをしていたが一足早くお月見気分を味わった。明日は郡山城天守台で古事記の朗誦が聴けるというので楽しみにしているところである。

            (画像はクリックすると拡大する)    

次は奈良町資料館に入った。「庚申さん」と呼ばれる青面(しょうめん)金剛像が祀られている庚申堂の場所である。入口に沢山吊るされている「身代わり申」を見上げてくぐると、右手に今日私が会いたかった「とげぬき観音さん」が居られた。数回訪れている館で、いろいろな展示品を見ていても今回初めて意識した観音さまであった。“おまじない”に癒されたかったのである。

    

元興寺(がんごうじ)では創建1300年記念「大元興寺展」(9月13日~11月11日)が開かれていて、平素は国立博物館に預けられている仏様も拝観できるというのである。
南都七大寺(元興寺、東大寺、興福寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺だったかな)の1つ、世界遺産登録のこのお寺の詳細を私はあまり知らなかったが、今日はいろいろ学んだ。

境内は今が盛りの萩の花で囲まれていて、予期せぬ景色に驚き先に境内を一周した。本堂と禅室の左側(南)に色んな形をした無数の石仏・石塔が整然と並べられている。その景観に息を飲む。浮図田(ふとでん)と言うらしい。
元興寺寺周辺地域からも集まってきて、2500基もあるらしい。桔梗の花と曼殊沙華が色を添えて、印象深かった。
可愛い鬼を見つけた。(元興寺の鬼を『がごぜ』というそうだ。)好奇心が働いて鬼探しを始めると他にも居た居た!この浮図田には色んな物語がありそうだなぁ・・・・・
                  

元興寺の前身は蘇我馬子によって明日香村に建てられた法興寺(飛鳥寺)で、平城京遷都(794年)の際こちらに移され、当時の敷地は奈良町の大半を占める広大なお寺だったそうだ。現在ここに残る建物は国宝の極楽坊本堂と極楽坊禅室(僧坊)だけ。
極楽坊本堂でご本尊の浄土曼荼羅・智光曼荼羅を拝観した。そして法輪館で薬師如来立像(国宝)、十一面観音立像(重文)、釈迦如来立像(重文)、聖徳太子立像(重文)、弘法大師座像(重文)etc.の仏像、それに国宝・奈良時代の木造五重小塔を拝観。以前にも拝観した五重小塔であるが、今日はその美しさが更に胸に浸みた。

見どころとして本堂と禅室の南側の屋根に注目!飛鳥時代の古瓦を是非確認したい。1400年前の法興寺の古瓦が使われている部分は、色目が違うのではっきりと分かる。葺き方は「行基葺き(ぎょうぎぶき)」という手法だそうで、とても綺麗だ。本堂の正面は分かりにくいが中央辺りをよく見ると瓦の色に違いがある。
      

境内をうろうろしている私に閉門間際にもかかわらずボランティアの案内人さんが「『かえる石』を見ましたか?」と声をかけて下さり、案内してくださった。
河内の川べりにあったのを太閤秀吉が気に入って大阪城に運び込んだ石で、大阪城落城の際に淀君の霊が宿ったという伝説があり、この元興寺に来てからは「福かえる」「無事かえる」の縁をかつぎ毎年7月7日に供養されているそうである。

午後5時10分、御霊神社(ごりょうじんじゃ)の狛犬さんを見た。ぐるぐる巻かれた足かせは真新しく綺麗だった。ファアッションではないだろう・・・・・誰が、何ゆえに・・・・・
こちらは縁結びの神様だから、一旦縁の切れた人を待つ願いが込められているのかもしれないなぁ~?きれいでびっくりした。

        


史跡元興寺塔跡の前を通りながら、いつか見に来た塔跡に咲く見事な桜景色を思い出した。又見たいなぁと思いつつ奈良町を後にした。気まぐれの奈良町散策であったが、お腹も心も満たされ、大満足の日であった。良かった 良かった。











玉置神社(たまきじんじゃ)

2018-10-10 | 日記
「9月8日は二十四節気の『白露』の日、いよいよ秋の訪れが近くなった。気配を感じる涼しい朝夕が2・3回あったような気はするが、今年は35℃を超える日が続き、厳し過ぎる暑さに人間・動植物全て“げんなり”の超酷暑だった。
去る4日昼から台風21号が、」と書きかけたまま私のパソコンが群馬県まで遠い旅に出たのは去る9月10日の午後だった。

その前にも8月26日~9月3日まで電機店の方に行っていて、最終的に我が手元に戻ってきたのは10月6日である。何の事はない、文字入力不具合は、タッチパネルの操作ONの状態でマウスを使っていたからのエラーと判明するまでにかかった時間とお代金は高すぎた。前者をOFFにして解決。
パソコンが無くてストレスを抱えて過ごした一ケ月余りの間、気晴らしにやっていた事の思い出はそんなに悪くもないが、日記を書くには記憶が薄れ乏しい。

この間に自然災害が多発したよな。9月4日の台風21号では高潮で関西空港が浸水し、強風にあおられたタンカーが連絡橋に衝突しているのをテレビで見た。そしてその3日後の7日、北海道に最大震度7の大地震が起きて北海道全域が停電となった。その時ブラックアウトという言葉を初めて聞いた。
6月の大阪北部地震、7月の西日本豪雨などに続いてであり、日本全土を挙げてこの荒れ様は自然が何かに怒っているのかな。



さて何を書き残しておこうかと思案したが、とりあえず念願の玉置神社(奈良県吉野郡十津川村)に行った時の
SDカードを辿ってみよう。

   
   2018年9月12日(水)
人数制限がある20人ほどのツアーに早くから申し込んでいた。バスが十津川地区に入るとポツポツと降り始め、あいにくの小雨模様の日となった。神社の駐車場から傘をさして参道の細い山道を20分ほど行くと(駐車場から本殿までは徒歩20分~30分)、「お体の不自由な方は左の道から参拝ください」とあり、全員にその道を薦められた。
杖を片手に傘をさして歩くには少々不都合もあったが、一輪の野生ホトトギスを見ることが出来てとても嬉しかった。野生を見るのは初めてで、家の庭にあるホトトギスしか知らなかった。
雨降りの参道、山道はこんな風景。

                 
                                     (画像はクリックすると拡大する)      

特別なツアーのお陰で、滅多に経験できない厳かな正式参拝を体験させてもらえた。10人ほどは本堂内陣に入りきれず到着が遅かった私も縁側に座ったメンバーの一人で、標高1000m近くに吹く風はひんやりとして寒かった。太鼓の音が深山に響き、祝詞の声が原生林の木々の合間に消えて行った。儀式終了後の心はかつてない程清々しかった。

            

玉置神社(たまきじんじゃ)の創立は紀元前37年、第十代崇神天皇の時代とか。現在のは様式から寛政6年(1794年)の再建らしい。入母屋造り内陣に六柱が祀られている欅造りの堂々たる社殿に漂う空気に背筋はピンとなる。
ここは熊野と吉野を結ぶ大峯奥駈道の修験場の場所、すなわち靡(なびき)の10番目の聖地らしい。ついでながら1番目は熊野本宮大社の本宮証誠殿(しょうじょうでん)で最後の75番目は吉野川の柳の宿だそうだ。役の行者:役小角(えんのおづの)によって開かれた1300年の歴史ある山岳信仰の道、世界遺産に登録されているだけに素晴らしい。

特別がもう1つあって、1804年の建造物、今は重要文化財になっている社務所・台所の地下参籠部屋の見学も許された。神仏習合時代に玉置神社の別当寺として建てられたそうで、社務所内部は杉一枚板の板戸と板壁で仕切られ、すべての戸襖に狩野派絵師による豪華な花鳥図(撮影禁止)が描かれていて、凄い!こちらの襖絵は拝観料を払えば一般に見学できるそうである。
梵鐘も重文で、「応保三年癸未三月三日甲午」(1163年)の銘があるらしい。

         

山を少し登った所に末社「玉石社」があるというので、この足で再度この地を訪れる事は出来ないだろうと思い、頑張った。そして最後に樹齢三千年の神木(神大杉)と夫婦杉も見落としてはならない(笑)と、頑張った!
ただ集合時間に遅れてはいけないので見残した大杉(日本髄一の根回り19.5mの大杉)には今も未練を引きずっている私。大樹大好き人間だから(笑)
        
 
                                    

ホテル昴での昼食後に温泉に浸かったお陰で元気は回復、雨降りとは言え念願の叶った嬉しい日であった。このツアーを企画していただき感謝感謝である。撮れた写真は全て霧にむせんでいるが、心に残った景色は実に鮮明。頑張ってくれた足にありがとう。