陽と初めて母子旅行したのはシンガポールでした。
初めてというか、それ以降母子旅行は行ってないんだけどね。。。
旅行に行くと(というか、普段から)財布の紐はガッチャが握っている。
私が管理できないから。
だから、ガッチャがお給料をいくらもらってるのか何をどう支払いしてるのかなど、全くひなマムは知らない。
でも、多分私に持たせるとロクな方向にはいかないとガッチャもよくわかってのこと。
しかし、シンガポール母子旅行に行った時だけは違った。
だってガッチャいないんだもん、母子旅行ですから。
母子旅行は、とりあえず成田で足止めをくらうことから始まった。
私と陽が成田に着くと、「今日は飛行機が飛べるかまだわかんない」の状態。
この日の朝、FEDEXの事故が成田であったのです。
え?? 今日中にシンガポール行けないかもって。。。どうしよう。
でもどうしようもない。
同じ状況下の人は沢山溢れていた。
とりあえず、動きがあるまで待つことしかできない。
チェックインももちろんできず、スーツケースの上に母子で腰を下ろしてのんびり待った。
この日は比較的大きな機材は飛べなかったようで、欠航が相次いだ。
シンガポール行きのNWは定刻通りに飛べたので、予定通り日本を後にすることができた。
シンガポールに着いたのは真夜中。
2軒の両替所がピッタリくっつきあって営業中。
とりあえず少しだけ両替しとこうかなーと、レートは同じだったので呼び込みがあまりうるさくない方で両替をし、インターコンチに向かった。
この旅行では、財布の紐役を私がやらねばならなかった。
だってガッチャ日本。
どこの両替所がレートはいくらだったか、ホテルで両替するとどうか、幾ら分買い物をしたか、移動に幾らかかったか、チップはどれだけ使ったか、などなど・・・
陽が寝た後、毎晩家計簿ならぬ旅行簿をつけていた。
家族全員での旅行ならガッチャが財布の紐を握っている。
両替も計算も全部ガッチャがしてくれる。
でも母子旅行、ガッチャはいない。
私達が遊んでいる間もガッチャが働いていることを思うと、シンガポールまで来て『節約節約!!』なんて気はなかったが、何だかちゃんと申告しなければいけないような気になって毎晩その日の収支を書いていた。
ガッチャに許してもらって行かせてもらった旅行、せめてしょうもない無駄遣いや使途不明金なんかはないようにちゃんと管理しとかないと。
そういう気持ちになった。
陽もガッチャがいないことで何となく責任感を感じているのか、いつもよりキリッとしていた。
いつもがだらしなさすぎるせいかもしれないけど。。。
「ママが困ったらボクが助けるね!」
そんなことを言っていた。
母子旅行はグウタラな二人を変身させるにはいい機会だった。
ガッチャがいた方がもちろん楽しいけど、二人なら二人なりのおもしろさや互いの責任感が出た旅行になって、二人での時間はとても心地良かった。
ああいう旅行がまたしてみたい。
陽は相変わらず「シンガポールと乾季のプーケットに行きたい。」と言う。
ひなマムもロングステイでシンガポール+プーケットを次の母子旅行にできるといいなと思う。
行きたいなぁ。。。でも、当分無理だろうなぁ。
今は色々忙しくて、ここに居なきゃならないもんなぁ。。。
資金もそうだけど、行ける日程なんかの目処が立たないのだ。
本当は陽が小学校上がる前に何とかもう一度母子旅行行きたい、お互いがお互いを頼る旅行をもう一度してみたい。
はかないなぁ、今は色んなことを諦めなきゃいけない時だわ。
まぁ残念ながら、二人がキリッとしてるのは旅行期間中のみなんだけどね。。。
帰国してからガッチャにたっぷり旅行の様子や収支を書き込んだノートを渡した。
それでもガッチャは、「あのさ~、後で船便でヘンな置物とかが届いて請求来るとかはないよね?」
まぁ、その心配するのもわからなくはないけどね。。。
・・・ひなマムは、タイやシンガポールやマレーシアなどのホテルや雑貨屋で見かける木彫りの人間や象の置物をよく欲しがる。
国内で某ホテルに泊まった時も、インドネシア辺りで作られてそうなスラリとした女性の置物にトリコになった。
値札見てビックリ・・・20万てアンタ。。。
いくら輸入モンだからってボッタクリ過ぎでしょ。とは思ったが、異常に惹かれたものだった。
瞬時にそれを見抜いたガッチャ。
ひなマムが「あのさ・・・」と話し掛けた瞬間、置物を指差して「あれは絶対絶対買わないからね。」と言われた。
さすがに高すぎるので買ってというつもりはなかったが、ガッチャの釘打ちは素早かった。
初めてというか、それ以降母子旅行は行ってないんだけどね。。。
旅行に行くと(というか、普段から)財布の紐はガッチャが握っている。
私が管理できないから。
だから、ガッチャがお給料をいくらもらってるのか何をどう支払いしてるのかなど、全くひなマムは知らない。
でも、多分私に持たせるとロクな方向にはいかないとガッチャもよくわかってのこと。
しかし、シンガポール母子旅行に行った時だけは違った。
だってガッチャいないんだもん、母子旅行ですから。
母子旅行は、とりあえず成田で足止めをくらうことから始まった。
私と陽が成田に着くと、「今日は飛行機が飛べるかまだわかんない」の状態。
この日の朝、FEDEXの事故が成田であったのです。
え?? 今日中にシンガポール行けないかもって。。。どうしよう。
でもどうしようもない。
同じ状況下の人は沢山溢れていた。
とりあえず、動きがあるまで待つことしかできない。
チェックインももちろんできず、スーツケースの上に母子で腰を下ろしてのんびり待った。
この日は比較的大きな機材は飛べなかったようで、欠航が相次いだ。
シンガポール行きのNWは定刻通りに飛べたので、予定通り日本を後にすることができた。
シンガポールに着いたのは真夜中。
2軒の両替所がピッタリくっつきあって営業中。
とりあえず少しだけ両替しとこうかなーと、レートは同じだったので呼び込みがあまりうるさくない方で両替をし、インターコンチに向かった。
この旅行では、財布の紐役を私がやらねばならなかった。
だってガッチャ日本。
どこの両替所がレートはいくらだったか、ホテルで両替するとどうか、幾ら分買い物をしたか、移動に幾らかかったか、チップはどれだけ使ったか、などなど・・・
陽が寝た後、毎晩家計簿ならぬ旅行簿をつけていた。
家族全員での旅行ならガッチャが財布の紐を握っている。
両替も計算も全部ガッチャがしてくれる。
でも母子旅行、ガッチャはいない。
私達が遊んでいる間もガッチャが働いていることを思うと、シンガポールまで来て『節約節約!!』なんて気はなかったが、何だかちゃんと申告しなければいけないような気になって毎晩その日の収支を書いていた。
ガッチャに許してもらって行かせてもらった旅行、せめてしょうもない無駄遣いや使途不明金なんかはないようにちゃんと管理しとかないと。
そういう気持ちになった。
陽もガッチャがいないことで何となく責任感を感じているのか、いつもよりキリッとしていた。
いつもがだらしなさすぎるせいかもしれないけど。。。
「ママが困ったらボクが助けるね!」
そんなことを言っていた。
母子旅行はグウタラな二人を変身させるにはいい機会だった。
ガッチャがいた方がもちろん楽しいけど、二人なら二人なりのおもしろさや互いの責任感が出た旅行になって、二人での時間はとても心地良かった。
ああいう旅行がまたしてみたい。
陽は相変わらず「シンガポールと乾季のプーケットに行きたい。」と言う。
ひなマムもロングステイでシンガポール+プーケットを次の母子旅行にできるといいなと思う。
行きたいなぁ。。。でも、当分無理だろうなぁ。
今は色々忙しくて、ここに居なきゃならないもんなぁ。。。
資金もそうだけど、行ける日程なんかの目処が立たないのだ。
本当は陽が小学校上がる前に何とかもう一度母子旅行行きたい、お互いがお互いを頼る旅行をもう一度してみたい。
はかないなぁ、今は色んなことを諦めなきゃいけない時だわ。
まぁ残念ながら、二人がキリッとしてるのは旅行期間中のみなんだけどね。。。
帰国してからガッチャにたっぷり旅行の様子や収支を書き込んだノートを渡した。
それでもガッチャは、「あのさ~、後で船便でヘンな置物とかが届いて請求来るとかはないよね?」
まぁ、その心配するのもわからなくはないけどね。。。
・・・ひなマムは、タイやシンガポールやマレーシアなどのホテルや雑貨屋で見かける木彫りの人間や象の置物をよく欲しがる。
国内で某ホテルに泊まった時も、インドネシア辺りで作られてそうなスラリとした女性の置物にトリコになった。
値札見てビックリ・・・20万てアンタ。。。
いくら輸入モンだからってボッタクリ過ぎでしょ。とは思ったが、異常に惹かれたものだった。
瞬時にそれを見抜いたガッチャ。
ひなマムが「あのさ・・・」と話し掛けた瞬間、置物を指差して「あれは絶対絶対買わないからね。」と言われた。
さすがに高すぎるので買ってというつもりはなかったが、ガッチャの釘打ちは素早かった。