ひなマム一家の珍道中・ブログ版

息子・陽は高校生になりました。これまでのお弁当やざっくりな料理、家族でのお出かけの記録。ニャンコもたまに登場するよ。

母子旅行の時間

2010年11月14日 00時14分29秒 | 旅行・お出かけ
陽と初めて母子旅行したのはシンガポールでした。
初めてというか、それ以降母子旅行は行ってないんだけどね。。。

旅行に行くと(というか、普段から)財布の紐はガッチャが握っている。
私が管理できないから。
だから、ガッチャがお給料をいくらもらってるのか何をどう支払いしてるのかなど、全くひなマムは知らない。
でも、多分私に持たせるとロクな方向にはいかないとガッチャもよくわかってのこと。

しかし、シンガポール母子旅行に行った時だけは違った。

だってガッチャいないんだもん、母子旅行ですから。


母子旅行は、とりあえず成田で足止めをくらうことから始まった。
私と陽が成田に着くと、「今日は飛行機が飛べるかまだわかんない」の状態。
この日の朝、FEDEXの事故が成田であったのです。

え?? 今日中にシンガポール行けないかもって。。。どうしよう。
でもどうしようもない。
同じ状況下の人は沢山溢れていた。
とりあえず、動きがあるまで待つことしかできない。
チェックインももちろんできず、スーツケースの上に母子で腰を下ろしてのんびり待った。

この日は比較的大きな機材は飛べなかったようで、欠航が相次いだ。
シンガポール行きのNWは定刻通りに飛べたので、予定通り日本を後にすることができた。


シンガポールに着いたのは真夜中。
2軒の両替所がピッタリくっつきあって営業中。
とりあえず少しだけ両替しとこうかなーと、レートは同じだったので呼び込みがあまりうるさくない方で両替をし、インターコンチに向かった。

この旅行では、財布の紐役を私がやらねばならなかった。
だってガッチャ日本。
どこの両替所がレートはいくらだったか、ホテルで両替するとどうか、幾ら分買い物をしたか、移動に幾らかかったか、チップはどれだけ使ったか、などなど・・・
陽が寝た後、毎晩家計簿ならぬ旅行簿をつけていた。

家族全員での旅行ならガッチャが財布の紐を握っている。
両替も計算も全部ガッチャがしてくれる。

でも母子旅行、ガッチャはいない。
私達が遊んでいる間もガッチャが働いていることを思うと、シンガポールまで来て『節約節約!!』なんて気はなかったが、何だかちゃんと申告しなければいけないような気になって毎晩その日の収支を書いていた。
ガッチャに許してもらって行かせてもらった旅行、せめてしょうもない無駄遣いや使途不明金なんかはないようにちゃんと管理しとかないと。
そういう気持ちになった。

陽もガッチャがいないことで何となく責任感を感じているのか、いつもよりキリッとしていた。
いつもがだらしなさすぎるせいかもしれないけど。。。
「ママが困ったらボクが助けるね!」
そんなことを言っていた。

母子旅行はグウタラな二人を変身させるにはいい機会だった。
ガッチャがいた方がもちろん楽しいけど、二人なら二人なりのおもしろさや互いの責任感が出た旅行になって、二人での時間はとても心地良かった。

ああいう旅行がまたしてみたい。

陽は相変わらず「シンガポールと乾季のプーケットに行きたい。」と言う。
ひなマムもロングステイでシンガポール+プーケットを次の母子旅行にできるといいなと思う。
行きたいなぁ。。。でも、当分無理だろうなぁ。
今は色々忙しくて、ここに居なきゃならないもんなぁ。。。
資金もそうだけど、行ける日程なんかの目処が立たないのだ。
本当は陽が小学校上がる前に何とかもう一度母子旅行行きたい、お互いがお互いを頼る旅行をもう一度してみたい。
はかないなぁ、今は色んなことを諦めなきゃいけない時だわ。


まぁ残念ながら、二人がキリッとしてるのは旅行期間中のみなんだけどね。。。


帰国してからガッチャにたっぷり旅行の様子や収支を書き込んだノートを渡した。
それでもガッチャは、「あのさ~、後で船便でヘンな置物とかが届いて請求来るとかはないよね?」
まぁ、その心配するのもわからなくはないけどね。。。

・・・ひなマムは、タイやシンガポールやマレーシアなどのホテルや雑貨屋で見かける木彫りの人間や象の置物をよく欲しがる。
国内で某ホテルに泊まった時も、インドネシア辺りで作られてそうなスラリとした女性の置物にトリコになった。
値札見てビックリ・・・20万てアンタ。。。
いくら輸入モンだからってボッタクリ過ぎでしょ。とは思ったが、異常に惹かれたものだった。
瞬時にそれを見抜いたガッチャ。
ひなマムが「あのさ・・・」と話し掛けた瞬間、置物を指差して「あれは絶対絶対買わないからね。」と言われた。
さすがに高すぎるので買ってというつもりはなかったが、ガッチャの釘打ちは素早かった。




4月から小学生

2010年11月11日 20時47分45秒 | 
陽は4月から小学生になります。

陽が「行きたい!!」と望み、親としてもとても魅かれた小学校を受験し、合格しました。
そこの小学校以外は魅かれることがなかったので、単願で1校のみの受験。
滑り止めやら第○希望やらではなく、そこだけ。
どうなることやら・・・と心配する暇なんてないくらい、猪突猛進するしかなかった日々をついこの前まで過ごしてました。

本当なら小学校受験の勉強なんて年中さんから始めるものだそうですね。
小学校受験を全然身近に考えていなかったひなマム一家。
でも、小学校がこのまま近所の公立に進むことが本当にいいのか?
悪いわけではない、でももしより良い環境を求めるなら私立と比較してみてもいいのではないか?
そう思って、陽とガッチャと一緒に公立も私立も見学に行きました。

小学校受験、一歩足を踏み入れたら引き返せない特殊な世界。
偏差値だけで語れない、そして子供の能力だけではどうしようもない、親の受験。
それが小学校受験だなーと思いました。

陽の場合は短期集中型。
長丁場になったらやってらんなくなったのではないかと思います。
とは言っても短期過ぎたけど。。。

学校でも色々改革しているのが人気を呼んだのか、例年以上に跳ね上がると言われた倍率。
実際、跳ね上がったようでした。
受験日、人数は確かに多いのかな~なんて思ったけど、後日談で聞いてビックリしました。
大手の塾では「いや~・・・今年はあの学校、厳しいと思います。しかも今から準備って。。。ありえないかなぁ。。」と、さじを投げられる状態。
そこでお友達に紹介してもらった個人の先生に付いてレッスンを受けられることに。

頑張りました。
子も親も。
あんなに頑張ったのって、自分の受験以上だったと思う。

合格の知らせを受けた時、ひなマムはオイオイ泣きました。
嬉しくて嬉しくて、本当によく頑張って勝ち取った合格。
泣いて泣いて、よくもこんなに涙が出るもんだと思うくらい泣きました。

その後すぐにガッチャにも連絡。
泣いていました。

陽が幼稚園から帰ってきて合格を告げると、陽もオイオイ泣いて喜んでいました。



幼稚園も小学校も自分で決めてきた陽。
中学受験にも臨むことになります。
幼稚園や小学校から受験するのは賛否両論あるでしょうが、それぞれの家庭によって考え方も千差万別。
ただ、我が家がそれまで思っていた小学校受験の考え方からガラリと変わり、受験することに意義を見出せて突進できた期間でした。


のびのびした学校で、沢山のお友達や先生と楽しく過ごす姿が今からとても楽しみです。

沢山迷って悩んだけど、「ここ!」と思う小学校を受験して良かった。
そしてご縁がいただけて、本当に良かった。