こんな中国ドラマが少し本邦でも話題だったそうな。
BSフジで9月末までやっていたようである。
さて、10月には、2年ほど通った中国語教室で知り合ったお二人を
北京にお迎えした。
2泊3日だったが、初日は夕刻着で、最終日はお昼出発と実質1日し
か観光の時間はなく、ゴールデンルートである南から北へ一直線の路を
ひたすら歩いた。
かつての老舗が立ち並ぶ街並みを再現した前門大街から、かの天安門
広場、故宮と一直線に北上して、故宮を見下ろす人口の山(50Mほど)
景山公園へと朝から夕方まで時間を過ごした。
この景山公園で故宮を見下ろしている途中、子供さんご夫婦(とはい
っても、もう60才前後)とおぼしき二人に両脇を抱えられるようにし
てこの小高い丘に登ってきたご高齢の女性に出会った。
彼女は一人では満足に歩くことができない、それは一目瞭然である。
それもそのはず、彼女は纏足を施されていたからである。
甲が盛り上がって「く」の字になった15センチほどの足では体重を
ささえきれるはずもない。
彼女が自由に歩けたのは何歳までだっただろうか。
歩行の自由を失う代わりに、物質的には何不自由ないのない生活を
保障されていたはず、でもそんな生活はいつまで続いただろうか。
清朝がすでに倒れた後に生まれたであろうから、豪商か軍閥の有力者
の庇護の下で育てられ、一時は寵愛を受けたかもしれないが、その後は
社会の変化、荒波の中で困難な生活を送っただろうことは想像に難くな
い。
華やかなドラマの中では語られることはなかろうが、主人公クラス
の女性はおそらく、みな彼女と同じように纏足を施されていたはずであ
る。
庇護があるうちはいいが、庇護者がいなくなったら過酷な運命が
待ち受けていたに違いない。
そんなことを想いながら、諍い女たちの暮らした故宮の内宮を一望
したのであった。
BSフジで9月末までやっていたようである。
さて、10月には、2年ほど通った中国語教室で知り合ったお二人を
北京にお迎えした。
2泊3日だったが、初日は夕刻着で、最終日はお昼出発と実質1日し
か観光の時間はなく、ゴールデンルートである南から北へ一直線の路を
ひたすら歩いた。
かつての老舗が立ち並ぶ街並みを再現した前門大街から、かの天安門
広場、故宮と一直線に北上して、故宮を見下ろす人口の山(50Mほど)
景山公園へと朝から夕方まで時間を過ごした。
この景山公園で故宮を見下ろしている途中、子供さんご夫婦(とはい
っても、もう60才前後)とおぼしき二人に両脇を抱えられるようにし
てこの小高い丘に登ってきたご高齢の女性に出会った。
彼女は一人では満足に歩くことができない、それは一目瞭然である。
それもそのはず、彼女は纏足を施されていたからである。
甲が盛り上がって「く」の字になった15センチほどの足では体重を
ささえきれるはずもない。
彼女が自由に歩けたのは何歳までだっただろうか。
歩行の自由を失う代わりに、物質的には何不自由ないのない生活を
保障されていたはず、でもそんな生活はいつまで続いただろうか。
清朝がすでに倒れた後に生まれたであろうから、豪商か軍閥の有力者
の庇護の下で育てられ、一時は寵愛を受けたかもしれないが、その後は
社会の変化、荒波の中で困難な生活を送っただろうことは想像に難くな
い。
華やかなドラマの中では語られることはなかろうが、主人公クラス
の女性はおそらく、みな彼女と同じように纏足を施されていたはずであ
る。
庇護があるうちはいいが、庇護者がいなくなったら過酷な運命が
待ち受けていたに違いない。
そんなことを想いながら、諍い女たちの暮らした故宮の内宮を一望
したのであった。