チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

シューマンの霊の願いにより発見されたヴァイオリン協奏曲

2024-11-06 15:04:19 | メモ

大作曲家の降霊術はローズマリー・ブラウンだけではありませんでした。



以下、『芸術生活』1969年6月号より(一部変更してあります)。

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ことの起こりは英国の作家、ジョゼフ・マクロード(Joseph MacLeod, 1903-1984)著の伝記『ダラーニ姉妹(The Sisters d'Aranyi)』が1969年に出版され、この中でシューマンのヴァイオリン協奏曲が死後世に出た不思議な物語を明らかにしたのが始まり。

シューマンは1856年に没したが、その3年前の1853年秋、ハンガリーのダラーニ姉妹【姉妹ともヴァイオリニスト】の大伯父に当たるヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831-1907)がベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を名演奏したのに感激して自分もヴァイオリン協奏曲を作曲した。しかし生前演奏される機会がなく、死後も関係者がその終楽章に難色を示したため、結局、彼の作品集には収められずに永久に闇に葬られる羽目になった。

1907年ヨアヒムが死んだとき、姉のアディラ(Adila d'Aranyi, 1889-1962)も妹のイェリー(Jelly d'Aranyi, 1893-1966)もこうした事情は少しも知らなかった。

ところが1933年、イェリーがコップで霊媒のお告げをいただくという、当時流行したゲームをしているうち、突然思いもよらぬシューマンからの伝言が届いたもの。自分のヴァイオリン協奏曲があるから、それを死蔵せず公開してほしい、とシューマンの霊はイェリーのコップを動かして、つぎつぎテーブルの上のアルファベット文字を示してハンガリー語まじりで自分の思いを訴えた。

シューマンのヴァイオリン協奏曲の楽譜は1937年にヨアヒムの蔵書から見つかり、同年初演された。

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。。。コックリさんみたいなもんだったんでしょうか。

Wikipediaの記述「アディラ・ファキーリは妹イェリー・ダラーニと同じく、心霊主義や交霊術に興味を持っていた。1933年3月にロンドンで交霊術に参加した際、ローベルト・シューマンの亡霊が現れ、『シューマン本人やヨアヒムの肉声』によって《ヴァイオリン協奏曲》が二人の姉妹に託されたという」とかなり違います。

この件、もう少し詳しく調べてみたくなりました。


NHK交響楽団・歴代コンサートマスター

2024-03-03 22:28:00 | メモ

『NHK交響楽団50年史』(昭和52年日本放送協会発行)よりN響(新響・日響)の歴代コンサートマスターです(敬称略。第一コンサートマスター、コンサートマスター、ゲストコンサートマスターの区別なし。ゲストはすべてを網羅していません)。

1. 前田璣(まえだ たまき、1899-1979) 在任期間:1926年~1933年9月




2. 加藤嘉一(かとう かいち、1898-1988) 1926年~1931年2月




3. 日比野愛次(1906-1998) 1933年5月~1952年8月


4.Konrad Liebrecht (1898-1956) 1934年9月~1935年6月


5.黒柳守綱(1908-1983、黒柳徹子さんの父)1937年1月~1942年2月


6. 鰐淵賢舟(1910-1986、鰐淵晴子さんの父) 1942年11月~1944年




7. 本橋晧(もとはしあきら、1910-1985) 1945年~1953年、1956年11月~1959年3月



8. 岩淵龍太郎(1928-2016)1953年9月~1956年3月




9. Paul Kling(1929-2005) 1954年12月~1955年12月




10. 外山滋(1935-2014) 1956年3月~11月




11. 坂本玉明(1932年生まれ) 1956年11月~1970年10月




12. 海野義雄(1936年生まれ) 1959年4月~1970年4月




13. Wilhelm Hübner(1915-2004) 1963年6月~1964年6月




14. 堀伝(ほり ただし、1935年生まれ) 1964年2月~1991年




15.田中千香士(1939-2009、ピアニスト・田中希代子さんの弟) 1966年4月~1979年



16. 川上久雄(1934年生まれ) 1970年10月~1984年




17.徳永二男(とくなが つぎお、1946年生まれ) 1976年7月~1994年

 

18. 堀正文(ほり まさふみ、1949年生まれ) 1979年9月~2015年2月

 

19. 山口裕之(1953年生まれ) 1984年~2013年

 

20. 篠崎史紀(しのざき ふみのり、1963年生まれ )1997年4月~2023年1月、2023年4月より特別コンサートマスター

(緒方英子著『オーケストラ楽器おもしろ雑学事典』より)

 

21. 伊藤亮太郎(1973年生まれ)2015年4月~2024年3月

 

22. Rainer Küchl(ライナー・キュッヒル、1950年生まれ。元ウィーン・フィルのコンマス)2017年4月~ ゲスト

 

23.白井圭(1983年生まれ)2020年4月~2023年3月 ゲスト

(緑風舎コンサートプログラムより)

 

24.郷古 廉(ごうこ すなお、1993年生まれ)2023年4月~ (ゲスト、2024年4月より第1コンサートマスター)

 

25. 川崎洋介(1977年生まれ)2024年4月~ゲスト

 

情報を修正・追加していきます。


服部正指揮・三越管弦楽団(1955年)

2022-08-14 01:23:15 | メモ

東京・日本橋の三越本店ロビーにおける三越管弦楽団の「初春大音楽会」の画像です。

(小原敬司氏撮影・音楽評論社『音楽』昭和40年11月号より)

1955年1月。指揮は作曲家・服部正(1908-2008)。総勢約50名の楽団の配置はかなり無理してますね~!

このオーケストラは「三越少年音楽隊」の流れかと思ったのですが、三枝まり氏『日本の交響楽運動の黎明期―三越少年音楽隊を中心として―』によると、「三越少年音楽隊は明治42年に成立し、大正14年に解散するまで、民間の交響楽団として活動し、その後の音楽界の重鎮となる人材を次々と育てた。」とあり、とっくの昔に解散していたようなので直接の関係はないようです。

 

【現場検証】2015年9月

↑ ヘタクソな写真ですみません。結構狭かったです

 

【参考】昭和10年10月1日増築全館落成ポスター

(2015年6月20日の記事を直しました)


秋葉原の石丸電気は「日の丸電気」だった!

2022-01-04 23:00:36 | メモ

【2014年4月21日の記事に画像を追加しました】

音楽CDは最近は一年に2枚か3枚買えば多いほうですが、ちょっと前までは秋葉原の石丸電気で輸入盤を物色したりしていました。残念ながらもう石丸電気ってないんですよね?さみしい~。いろいろ質問するわりには途中でおなかいっぱいになっちゃって結局CD買ってかない生意気なクソガキにイヤな顔ひとつせずやさしく教えてくれたクラシック売り場の店員のかたがた、本当にありがとうございました!お元気ですか~?売り場の漢方薬っぽい匂いが好きでした。

 

ところで物置の古い雑誌の落丁ページ(おそらく1960年代後半のもの)に「日の丸電気」の字がありました。地図から石丸電気のあった場所に間違いないですよね?

 

なぜ名前を変えたんでしょうか。「丸」だけ残して。日の丸電気のほうがインパクトあんのに!? もしかして石丸が買収した?他の会社とカブった?または「日の丸」けしからん系のアレ?調べます(どうでもいいか~)

↓ レコード芸術1967年9月号より。「石丸電気姉妹店」。

 

↓ 1969年3月号より。レコードが80,000枚から100,000枚に増えました。

 

↓ 「石丸電気 同一経営」とあります。『スイングジャーナル』1970年4月臨時増刊より

 

次に、石丸電気各店の案内です。昭和60(1985)年版。

↑ 日の丸電気第3売場はそのまま3号館になっていますね。

 

↑ 本店にもレコード、CD売り場が。

 

↑ 3号店の充実ぶり。

 

↑ 6号店にもCD、ビデオ売り場。

 

ついでにFM放送のエアチェックについてのチラシです。昭和57(1982)年。

ここはひとつ、根性出して8素子アンテナを立てたいところです!

 

。。。日の丸電気、石丸電気に関する資料はここに追加していきます。


ブルックナー交響曲第3番~ブルックナーとワーグナーのサイン入り手紙

2021-11-21 23:50:50 | メモ

ブルックナーが1873年にワーグナーの家に第2番と第3番の楽譜を持っていって、結局ワーグナーは3番の献呈を受けることになったんだけど、ワーグナーにすすめられるままビールを飲んだブルックナーはベロベロに酔っぱらってしまいどっちの交響曲か忘れてしまった。

そこでブルックナーは「トランペットで始まるほうでしょうか?」とワーグナーにあたらめてきいたところ、ワーグナーから「そうです!」と返事があった。。という話は有名ですよね。でも、なんとなく作り話っぽい感じもしていました。

ところが、そのやり取りの手紙の画像がHans-Hubert Schönzelerという人のブルックナー本(1970年)に載っていました。



Symfonie in Dmoll, wo die Trompete das Thema beginnt.

A Bruckner



Ja!  Ja!  Herzlichen Gruss!

Richard Wagner



トランペットで主題が始まるニ短調交響曲でしょうか。

A・ブルックナー



そうです! そうです! 心からよろしく!

リヒャルト・ワーグナー


。。。一枚の便箋にワーグナーとブルックナーのサインが入ったこの手紙、きっと値打ちもんですよね。



それとWikipediaによるとこの紙は「ホテルに備付けられた便箋」ということですが、左上の文字を見ると"Hotel Goldener Anker Bayreuth"のようです。現存するんですね。

もし将来バイロイトに旅行することがあったりしたら、ブルックナーがこの手紙を書いたホテルに宿泊してみたいです。

(2015年7月1日の記事を一部変更しました)