チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

カラヤンとベルリン・フィルによるペンデレツキ(1968)

2014-06-30 22:43:48 | メモ

『音楽の友』1969年5月号に、ピアニスト・室井摩耶子さん(b.1921)による「ハ長調のトニカ」と題された記述があり、当時本拠地でベルリン・フィルとカラヤンの定期演奏会の切符を入手することがいかに困難だったかが書いてありました。

しかし、その日は何故だか切符の払い戻しのため切符売場がザワザワしていたそうなんです。

以下、室井さんの文章です。

(ベルリンの切符売場で)私がいかにも切符を探していますといういように所在なげに立っていると、突然うしろから声がかかった。
「昨日、私は第一日目の演奏をラジオで聴き、この音楽会に来ようとする興味をすっかり失いました。12マルクですが、それでもおよろしければお譲りしたいのですが。。。」
私の信念によれば、プロの聴き手は、入場券にやたらにお金を払うべきでない。その証拠に、一番良い聴き手はいつも天井桟敷にいる......ということになっているのだが、私は何としてもペンデレツキをききたかった

私に切符を売ってしまった、この人品いやしからぬ老紳士は、お金を受け取ってしまうと捨てぜりふを残して行ってしまった。
「大体、こんな曲をフィルハーモニーの定期に演奏させるなんて、狂気の沙汰だ。まあまあ、お楽しみ下さい......」

ペンデレツキの曲が始まった。初めは恐らくピアニシシモ位の発想記号が打ってあるのだろう。カラヤンの例のやわらかい指先だけの動き、それにつれて、コントラバス奏者たちの左手が一斉に上から下に、下から上に動き出した。しかし音は私たちの耳に達せず、私たちはただ眼で、ピアニシシモで奏されているはずのコントラバスのグリッサンドを、それがまるで霧の中の唸り声のごとく現れてくるまで、辛抱強く見ていたのである。曲は、ヴァイオリンが、弓で楽譜台をたたいたり、あらゆる可能性を含んで進んでいった。時々お客さんたちは声をあげて笑った。定期の常連と思われる私の隣の老婦人が、ダイヤにきらめく手を頬にあて、御主人にしかめ面をしてみせた。御主人は腕を組んで天を仰いで嘆息している。しかしこの曲は面白かった。気持ちをとらえて放さなかった。右隣りの若いカップルはよろこんで、時々「そうだよね」と私にウィンクを送ってきた。

美しいメロディ(※)や不可思議な静寂や、キュウー・キュウー・ポンポンなどの連続のあげく、この曲は、突如として現れた、もっとも定石通りのシンフォニーの終わり方、いかにも大仰なトゥッティ、それも何と、ハ長調のアッコードで終わったのである。この時だけは本当に笑い出してしまった。とっさに起こるブーイングの大合唱と、これに対抗する、足踏みさえ交えた大拍手とで会場はひっくり返るような騒ぎになってしまった。

このハ長調のアッコードの使い方の、また何と皮肉なことだろう。しかし、一言なげつけられた皮肉というものは、皮肉が皮肉で通るための、聴衆と作曲家共通の了解がなければ何の役にもたたないのである。つまり「ハ長調のトニカ」とか「シンフォニーの定石的な終わり方」とかは、ある常識を作っているということであろう。それはすでに言葉に近いものだ。そして思考よりさきに反射をしてしまう。

私は、お隣の御夫婦がどのような反響を示しているか大いに興味をもったが、この老紳士は、一生懸命手をたたいている私を、全く批難に満ちた眼つきをしてじっとみていたのである。



。。。曲名が書いていなかったので、かえってすごく聴いてみたくなったのですが、「karajan penderecki」でググったらすぐ見つかりました。

Polymorphia(ポリモルフィア)という10分足らずの曲。マジ怖くて泣きそ。これ、本当にカラヤンとベルリン・フィルの演奏なんでしょうか?常識こわれる~(すごく良い意味で!)

※「美しいメロディ」。。。もちろんそんな甘っちょろいものは皆無でした。誤植?


ホロヴィッツは「つぎはぎ魔」?

2014-06-28 22:55:43 | メモ

『音楽の友』1978年10月号に音楽評論家・野村光一氏(1885-1988)による「ホロヴィッツの素顔」という記事があり、読んでみたら少しびっくりしました。そしてホロヴィッツの印象が良くない方向に変わってしまいました。。



ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz, 1903-1989)は1978年5月にニューヨーク・デビュー50周年を記念してショパンの曲によるリサイタルを催したのですが、それを聴きに行った方が野村氏に感想を送ってきたそうです。

「生の演奏を聴いたかぎり、ホロヴィッツの音はレコードから出てくる独特の音にちがいないが、生の音はレコードほど綺麗でない。彼の音はメランコリックな柔らかい弱音と、鋭い金属性の強音との両極端からなっているが、音と音との間につながりや緊張感がないので、空虚な感じがする。私はレコードでのあのレガートの美しさ、緊張感、そして激しく美しいフォルテとメランコリックなステキなピアノとの間のさまざまな素晴らしいニュアンスは一体どうしたのだろうと問わざるを得ませんでした。」

野村氏は、同じライブに立ち会った他の人からも手紙を受け取ったのだが、ほぼ同じ内容だったといいます。


また、この感想を裏付けるように、野村氏はこの4、5年前にアメリカのピアニスト、アルバート・ロトー氏(Albert Lotto, b.1946)からこういう話を直接聞いていました。

「ホロヴィッツの許を訪れてピアノ奏法を教えられることになったのだが、その際、肩から指先までの腕の使い方は最も自然な、合理的な奏法に依っていたが、打鍵する瞬間、指の最尖端を内側に意識的に曲げると、ホロヴィッツ独特の音色になってしまう。しかし、それは人為的であって、自然でないから、自分はホロヴィッツから習うのを止めた」


さらには、ホロヴィッツの演奏を録音したある技師の話が新聞記事になったそうです。

「ある曲の演奏をいろいろ録音し、それらを継ぎはぎして作ったテープを彼の許に持参したら、彼は大体よいが、このトリラーよりもっとよく弾けているトリラーがあるから、それと取り替えろとおっしゃったのである。それから一週間後に、今度は『コーダをもっと激しく弾いたのがあるから、それにしろ』と言った。それでまた取り替えて夜の9時30分に持参すると、『遅い楽章のテンポをもう少し遅くしたほうがよい』と言い出すのだ。ただし、その指定の遅さとの違いは耳ではほとんど分からないくらいだったそうだ。それもまた取り替えると、それでやっと御満足がいったそうである。こんなことの繰り返しなのだ.....云々」


。。。あちゃー、そうだったんですか。。クライスレリアーナのCDとかすごいなー、って喜んで聴いていたんですけど。多少騙された感?今度は継ぎはぎに注意してCD聴いてみます。(CD初期の頃の盤で)

実は来日した1983年のはるか前から「ひびが入って」いたりして。。?(それはないか)


12音音楽とベルクのヴァイオリン協奏曲

2014-06-24 22:34:56 | 何様クラシック

西村朗と吉村隆の『クラシック大作曲家診断』(学研)の中で一番衝撃的なのは吉松氏による「十二音以後の無調音楽の最大の革命は何かというと、音楽の才能がまったくないひとでも、1から12まで数えられる程度の算数さえできれば、作曲ができるようになった」という発言。(いろんな人が同じことを言ってるんだとは思いますけど。)

それが本当なら、自分もその程度の算数はできるんで、8管編成のシンフォニーでも作曲してみようかな?4分33秒ぐらいの、って気にもなります。

確かに12音で書かれた音楽って何を聴いても同じっぽいし、感情に訴えてこないので泣けない(怖くて泣きそうになることはある)。

でも数少ない例外の一つがベルクのヴァイオリン協奏曲なのでは。

この曲って、最初聴いたときはひたすらモノクロームでつまんない~っていう印象しかなかったんですが、100回以上実演含めて聴いた今、決して見栄を張っているわけでなく、正直今まで聴いたヴァイオリン協奏曲の中で一番好きな曲になってしまいました。

12音技法に忠実ながら、もはやこの協奏曲は無調でなく、普通の調性音楽のようにカラフルに聞こえてしまうから不思議です。ある音楽の先生も「12音技法の側から見た調性音楽」っておっしゃっていました。

それもそのはず、この曲の12音はこうなっています。

最初の3つの音は短三和音(Gm)、3つ目の音から5番目までは長三和音(Dmaj)、5番目から7番目までは短三和音(Am)、7番目から9番目までは長三和音(Emaj)というふうに短三和音と長三和音が交互に出て、最後の4つの音は全音音階(それぞれ長2度)になってるんで、ほぼ調性音楽の響きがするのは当然なんですね。

思い返してみるに100回以上聴く気にされたのは最初の一回目で無意識に良さを感じさせられてたわけだし、それだけ聴いても飽きないというのはやはりベルクの、調性音楽と12音音楽の甘みと苦みの絶妙なブレンド比率だと勝手に思っちょります。

12音だからって数が数えられれば誰でも作曲できるどころか、ほかの誰にも作れない音楽。。天才!

 

↓ベルクからシェーンベルクに宛てた手紙の一部(ヴァイオリン協奏曲のセリーの説明。1935年8月28日付)。何て書いてあるのか知りたい。(第2楽章で引用されるバッハのコラール "Es ist genug"【BWV 60の5曲目】とその真上の旋律だけ解読)


ショパンがユダヤ人?(初耳)

2014-06-23 18:25:20 | 音楽史の疑問

「音楽現代1979年6月号」では「ショパンに関する48章」という特集が組まれており、その中に有馬茂夫氏(2011年に82歳で亡くなられました)による「ショパンはユダヤ人か?」という記事があってびっくり。

要約すると、ショパンの父であるニコラ・ショパン(1771-1844)が次の4つの疑問からユダヤ人ではなかったかと推論されているのです。

1.ニコラは16歳の1787(1788?)年フランス革命の前年にフランスからポーランドへ移った。革命直前のフランスにおいて、革命近きがゆえにフランスを逃れる必然性は何があったか?しかもなぜ家族はそのままで一人だけ?

→近づく革命によって何らかのインパクトを受けたのであろう。車大工(ニコラの父親、つまりショパンの祖父の職業)は当時ではユダヤ人に特に多い職業であった。ところで当時のポーランドはユダヤ系の人々にとってもヨーロッパで最も住み易い場所の一つで、多くのユダヤ人がそこに集まっていた。宗教的政治的インパクトが少なかったからである。当時ポーランドへ移ることが、ロレーヌあたりの社会で何を意味していたのか、の背景を調べる必要がある。


2.ニコラがポーランドへ移った理由は伝記によると革命軍にとられるのを避けた、あるいは家庭の事情ということになっているが、「家庭の事情」の実態とは?

→ニコラがワルシャワからフランスのロレーヌの実家へ一度だけ手紙(1790年9月15日付)を書いたところ(彼は故国を捨てた、と理解されていたが、この手紙の発見によってそれは覆された)、家族はそれを握りつぶし、ニコラの父親(ショパンの祖父)は彼を除いた娘二人に遺産を相続させた。この手紙の握りつぶしは遺産を相続させない為の手段とされているが、果たしてそうであろうか。前の問題とからめて、「家出」をした息子がポーランドへ転出したことで何かがバレる、それがバレると家族がそれまで営々と築いてきた地位が崩れる、という不安と配慮があったのではないか。身元の割れているユダヤ人とそれを隠しているユダヤ人との間の葛藤は、想像を絶するものがあるのである。


3.ニコラの宗教はその母親の強い希望にもかかわらずキリスト教でなく自然宗教だった。何故か?

→キリスト教を基調としたヨーロッパ、カトリックを基調としたフランスで、自然宗教というのは何を意味するか。簡単に言うと、信じないのではない、信じている、しかし、隣人と同じ神であるか否かについては言わない、という、消極的な表現である。ユダヤ人はキリストの父といわれるヤーヴェは信ずるがキリストは信じない。キリスト信者にとってもユダヤ人にとっても共通に理解できる部分はこの世を、自然を、摂理をつくった創造主の存在である。そういえばハイドンの「天地創造」のテーマがそうであったし、ベートーヴェンも自然宗教の徒であった。キリスト信者ではないという部分を自然宗教という表現で主張しているのである。この主張をキリスト教に対してヨーロッパで行う必要のある立場の人は、ユダヤ人しかいない。切羽詰まった表現なのである。


4.音楽家ショパンは少年だったある日、父の部屋で偶然にフリーメイソンの服を発見する。なぜ父ニコラはフリーメイソンに属したのか?

→なぜか?それは何を意味するのか?【がくっ】


。。。ということで有馬氏は結論として、ショパンの父親の家系をキリスト教に帰依することによってフランスの社会に順応してきたが内面でのユダヤの信仰は失っていなかったユダヤ人だとしています。
さらに、こうも書かれています。「ポーランド生まれの二世であった音楽家ショパンは恐らくそれを意識していなかっただろう。しかしショパンがウィーンやパリでメンデルスゾーン、シューマン、ハイネなどユダヤ系の人々に異常に支持されていたのをみると、何かの脈略がそこに通っていうたのではないかと想像するのである。」


えーっ、シューマンもユダヤ人だったんですか!?それこそ初耳。ハイドン、ベートーヴェンまでユダヤ人になっちゃいそうな勢いですね。他の書籍でブラームスもBrahmsという名前がAbrahamから来ているとか、晩年のヒゲ等を根拠にユダヤ人説(※)があることを読んだことがありますが、誰でもかれでもユダヤ人にしたがる一派が存在するんでしょうか。まー、音楽が素晴らしければ別に何ジンでもいいどぅえす。

どっちにせよショパンはいまだに確定できない生年月日とか謎が多いですね。。最近の研究成果をちょっと調べてみます。

 

(追記)※ネット情報によるとこの説も有馬氏によるようです。


『音楽の友』創刊号と第2号の間のミゾ

2014-06-20 19:30:02 | 音楽の本

音楽之友創刊号(1941年12月号、右)と第2号(1942年1月号)の表紙です。

同じ絵を使い回しています。だから内容も同じようなもんだろうと思いきや全然違っていました。

 

↓創刊号の目次。メインは「日本交響楽団建設記」。「戦ふ軍楽隊」やら「音楽挺身隊(山田耕筰)」とか若干きな臭いですが、かろうじて平和に留まっています。

 

↓創刊号の記事には日響の分裂の事情が書いてあってなかなか面白いです。近衛秀麿さんvs.山田耕筰さんの争い。

 

↓同じく創刊号から銀座山野楽器の広告。

 

。。。ところが、第2号になると戦争の色が急に濃くなります!

 

↓第2号目次(途中省略)。どうしちゃったんでしょう?「音楽への敢闘譜」とか「国民総出陣の歌」とかクラシック好きには全然関係ないし楽しくなさそう。。

 

↓あら~「屠れ!米英我等の敵だ」って。(この雰囲気を引き摺っているからこそいまだに日本のクラシック界では米英の作曲家の作品が不当に扱われているのかも?)

 

。。。1号と2号の間に日本はアメリカに対して宣戦布告(1941年12月8日真珠湾攻撃)。

平和の象徴・クラシック音楽の雑誌でさえこうなってしまう戦争ってマジ怖い、ってことを音楽の友創刊号と第2号が如実に示してくれている気がしてならないです。