『音楽の友』1969年5月号に、ピアニスト・室井摩耶子さん(b.1921)による「ハ長調のトニカ」と題された記述があり、当時本拠地でベルリン・フィルとカラヤンの定期演奏会の切符を入手することがいかに困難だったかが書いてありました。
しかし、その日は何故だか切符の払い戻しのため切符売場がザワザワしていたそうなんです。
以下、室井さんの文章です。
(ベルリンの切符売場で)私がいかにも切符を探していますといういように所在なげに立っていると、突然うしろから声がかかった。
「昨日、私は第一日目の演奏をラジオで聴き、この音楽会に来ようとする興味をすっかり失いました。12マルクですが、それでもおよろしければお譲りしたいのですが。。。」
私の信念によれば、プロの聴き手は、入場券にやたらにお金を払うべきでない。その証拠に、一番良い聴き手はいつも天井桟敷にいる......ということになっているのだが、私は何としてもペンデレツキをききたかった。
私に切符を売ってしまった、この人品いやしからぬ老紳士は、お金を受け取ってしまうと捨てぜりふを残して行ってしまった。
「大体、こんな曲をフィルハーモニーの定期に演奏させるなんて、狂気の沙汰だ。まあまあ、お楽しみ下さい......」
ペンデレツキの曲が始まった。初めは恐らくピアニシシモ位の発想記号が打ってあるのだろう。カラヤンの例のやわらかい指先だけの動き、それにつれて、コントラバス奏者たちの左手が一斉に上から下に、下から上に動き出した。しかし音は私たちの耳に達せず、私たちはただ眼で、ピアニシシモで奏されているはずのコントラバスのグリッサンドを、それがまるで霧の中の唸り声のごとく現れてくるまで、辛抱強く見ていたのである。曲は、ヴァイオリンが、弓で楽譜台をたたいたり、あらゆる可能性を含んで進んでいった。時々お客さんたちは声をあげて笑った。定期の常連と思われる私の隣の老婦人が、ダイヤにきらめく手を頬にあて、御主人にしかめ面をしてみせた。御主人は腕を組んで天を仰いで嘆息している。しかしこの曲は面白かった。気持ちをとらえて放さなかった。右隣りの若いカップルはよろこんで、時々「そうだよね」と私にウィンクを送ってきた。
美しいメロディ(※)や不可思議な静寂や、キュウー・キュウー・ポンポンなどの連続のあげく、この曲は、突如として現れた、もっとも定石通りのシンフォニーの終わり方、いかにも大仰なトゥッティ、それも何と、ハ長調のアッコードで終わったのである。この時だけは本当に笑い出してしまった。とっさに起こるブーイングの大合唱と、これに対抗する、足踏みさえ交えた大拍手とで会場はひっくり返るような騒ぎになってしまった。
このハ長調のアッコードの使い方の、また何と皮肉なことだろう。しかし、一言なげつけられた皮肉というものは、皮肉が皮肉で通るための、聴衆と作曲家共通の了解がなければ何の役にもたたないのである。つまり「ハ長調のトニカ」とか「シンフォニーの定石的な終わり方」とかは、ある常識を作っているということであろう。それはすでに言葉に近いものだ。そして思考よりさきに反射をしてしまう。
私は、お隣の御夫婦がどのような反響を示しているか大いに興味をもったが、この老紳士は、一生懸命手をたたいている私を、全く批難に満ちた眼つきをしてじっとみていたのである。
。。。曲名が書いていなかったので、かえってすごく聴いてみたくなったのですが、「karajan penderecki」でググったらすぐ見つかりました。
Polymorphia(ポリモルフィア)という10分足らずの曲。マジ怖くて泣きそ。これ、本当にカラヤンとベルリン・フィルの演奏なんでしょうか?常識こわれる~(すごく良い意味で!)
※「美しいメロディ」。。。もちろんそんな甘っちょろいものは皆無でした。誤植?