【2014年7月1日の記事に藤原義江の幼少の頃からの写真を追加しました】
藤原歌劇団を主宰した藤原義江氏(1898-1976)です。
英国人を父として大阪に生まれて、のちイタリアに留学、ガラッシ夫人、ビネッティに師事した。世界音楽行脚12回、イタリア、フランス両政府より叙勲、昭和23年芸術院賞を受けた。藤原歌劇団を主宰し、日本のオペラの重鎮として活躍した。(音楽芸術昭和30年8月号より。上の写真も)
↑ マンフレート・グルリット(Manfred Gurlitt, 1890-1972)と。藝術新潮1951年2月号より
。。。古い音楽雑誌とか読んでいるとよく出てくるお名前なので知っていましたが、女性とばかり思い込んでいました。情けなや~(作家の乾くるみさんが男性だとわかったときより少し驚きました)
(追記)以下、中央公論1973年4月号より、「藤原義江アルバム」です。
↑ 1904年(明治37年)左端が本人。従兄たちと
↑ 1908年(明治41年)右が本人(10歳)。従兄と
↑ 1912年(大正元年)14歳。明治学院中等部
↑ 1917年(大正6年)19歳。新国劇の第1回京都進出の宣伝用のマラソン大会 前列中央が本人
↑ 1917年(大正6年)京都南座にて 新国劇初出演。岡本綺堂「安政黒船話」。右端が本人(プチャーチン役。よく顔が見えない)
↑ 1920年(大正9年)22歳。本人のイタリア留学の送別会。前列中央が本人。前列右から5人目は田谷力三(1899-1988)。左から4人目は伊庭孝(1887-1937)
↑ 1923年(大正12年)1月。24歳。ニューヨークにて。タイムズ紙の日曜版に日本のヴァレンティノ(誰?)として紹介される。
↑ 1930年(昭和5年)32歳。歌舞伎座にてオペラ「椿姫」に出演。左より土方与志(1898-1959)、関屋敏子(1904-1941)、本人、山田耕筰(1886-1965)
↑ 1931年(昭和6年)の夏。スイスのサンモリッツにて、あき夫人と
↑ 1932年(昭和7年)34歳。長男、義昭氏と
↑ 1937年(昭和12年)ハンブルクにてピンカートン役
↑ 1939年(昭和14年)41歳。華北の旧日本軍を慰問。左はピアノ伴奏の加納和夫氏
↑ 1952年(昭和27年)54歳。歌劇団員28名を連れて第一次渡米公演。あき夫人と途上の船中にて
↑ 1964年(昭和39年)66歳。東宝ミュージカル「ノー・ストリングス」に出演。
↑ 1970年(昭和45年)72歳。TBSドラマ「オランダおいね」にシーボルト役で出演。丘みつ子さんと
↑ 本人談。誕生日が三つ!
...さらに情報を追加していこうと思います。