大作曲家の降霊術はローズマリー・ブラウンだけではありませんでした。
以下、『芸術生活』1969年6月号より(一部変更してあります)。
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ことの起こりは英国の作家、ジョゼフ・マクロード(Joseph MacLeod, 1903-1984)著の伝記『ダラーニ姉妹(The Sisters d'Aranyi)』が1969年に出版され、この中でシューマンのヴァイオリン協奏曲が死後世に出た不思議な物語を明らかにしたのが始まり。
シューマンは1856年に没したが、その3年前の1853年秋、ハンガリーのダラーニ姉妹【姉妹ともヴァイオリニスト】の大伯父に当たるヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831-1907)がベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を名演奏したのに感激して自分もヴァイオリン協奏曲を作曲した。しかし生前演奏される機会がなく、死後も関係者がその終楽章に難色を示したため、結局、彼の作品集には収められずに永久に闇に葬られる羽目になった。
1907年ヨアヒムが死んだとき、姉のアディラ(Adila d'Aranyi, 1889-1962)も妹のイェリー(Jelly d'Aranyi, 1893-1966)もこうした事情は少しも知らなかった。
ところが1933年、イェリーがコップで霊媒のお告げをいただくという、当時流行したゲームをしているうち、突然思いもよらぬシューマンからの伝言が届いたもの。自分のヴァイオリン協奏曲があるから、それを死蔵せず公開してほしい、とシューマンの霊はイェリーのコップを動かして、つぎつぎテーブルの上のアルファベット文字を示してハンガリー語まじりで自分の思いを訴えた。
シューマンのヴァイオリン協奏曲の楽譜は1937年にヨアヒムの蔵書から見つかり、同年初演された。
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。。。コックリさんみたいなもんだったんでしょうか。
Wikipediaの記述「アディラ・ファキーリは妹イェリー・ダラーニと同じく、心霊主義や交霊術に興味を持っていた。1933年3月にロンドンで交霊術に参加した際、ローベルト・シューマンの亡霊が現れ、『シューマン本人やヨアヒムの肉声』によって《ヴァイオリン協奏曲》が二人の姉妹に託されたという」とかなり違います。
この件、もう少し詳しく調べてみたくなりました。