【2014年11月11日の記事に新聞広告の画像を追加しました】
皇紀2600年(西暦1940年、昭和15年)12月26日、27日に大阪歌舞伎座で「紀元二千六百年奉祝楽曲発表大演奏会」が開催されました。
↑ 1940年12月20日大阪朝日新聞より。第2部ではイベールとヴェレシュ、第3部ではピツェッティとR.シュトラウスの作品が演奏されました。
曲を提供してくれた海外の作曲家には当然ながらお礼をしていたんですね。
↑ 「紀元二千六百年奉祝楽曲発表大演奏会」(1940年12月大阪歌舞伎座、松田正志氏撮影)
Wikipediaには「作曲者への返礼」として「スタジオ録音されたSPレコード、印刷された楽譜とともに作曲者に送られた。また、織物なども贈ったようであるが、積んだ船が撃沈されたらしく、結局届かなかったという。」とありますが、具体的には何の曲が録音されたレコード・楽譜だったんでしょう?
音楽新潮昭和16年2月号に答えがありました。
「皇紀2600年の奉祝曲を我が国に寄せた盟邦独逸のシュトラウス(皇紀二千六百年祝典曲)、伊太利のピツェッティ(交響曲イ長調)、仏蘭西のイベール(祝典序曲)、匈牙利のヴェレッシュ(交響曲)四作曲家に対し種々の答礼方法が考えられていたが、今回日本文化中央聯盟が作品による返礼を行うことになった。同聯盟は昨年催したる奉祝芸能祭に演奏した曲の中から制定曲北原白秋作詞、信時潔作曲の交声曲「海道東征」を最も適当なるものとして選択、(昭和16年1月??←書いていない)11日午前9時から上野の東京音楽学校で木下保氏指揮の同校管絃楽団及び男女並びに児童合唱団総員500余名がレコードに吹き込み。
このレコードと更に同聯盟が年四回発行する英文雑誌「カルチュラル・ニッポン」の春季号に同曲及び英訳歌詞を掲載し同時に寄贈することになった。同曲は演奏時間50分にわたる大曲で12吋盤で10面に及ぶものであり、かくの如き長時間の連続演奏吹込みも空前のこととされている。なお同聯盟ではこのレコード及び和文、英文両歌詞並びに曲を各国文化団体へも寄贈することになった。」
4ヶ国それぞれにレコードと雑誌を寄贈することになったのに、全部が全部、まとめて海に沈んでしまったんでしょうか?
もし届いていたとしたら、その時の反応・評判が気になります~(情報を追加していきます)
↑ 戦後の音楽雑誌に勝るとも劣らない、立派な誌面に驚かされます。
↑ 紀元二千六百年奉祝楽曲発表大演奏会の練習風景(『音楽世界』1940年12月号)