大正時代は、多くの世界的ヴァイオリニストが来日し始めた時代だったんですね。
フリッツ・クライスラー(1875-1962, 1921年来日)、ミシャ・エルマン(1891-1967, 1921年来日)、ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987, 1923年来日)、アレクサンドル・モギレフスキー(1885-1953, 1929年(?)来日)などなど。。大正は平和な時代だったんですねー。
エフレム・ジンバリストもその一人。1922年(大正11年)5月の初来日から1935年(昭和10年)まで6回も日本を訪れています(※↓公演スケジュール参照 Wikipedia、1回足りてないっすよー)。正直、ジンバリストってあまり知りませんでしたが当時これだけ日本に来るということは何か特別な事情があったのでしょうね。調べたくなりました。(情報追加していきます)
Efrem Zimbalist (1889-1985) 初来日の頃?当時独特の写真と絵の中間画像。
↑ 1932年(昭和7年)、5度目の来日時の広告。
↑ ビクターレコード総目録昭和7年(1932年)より。1930年には奥さまと一緒に来日してたんですね。
この際だからその奥さま、アルマ・グルック(Alma Gluck, 1884-1938)の情報も同誌から。ジンバリストはピアノも弾けたようで、奥さんのリサイタルでは自ら伴奏したそうです。
※ジンバリスト来日公演スケジュール(音楽之友?年4月号別冊付録より)
【第1回】1922年(大正11年)
5月1日から5日間
【第2回】1924年(大正13年)
12月帝国劇場
【第3回】1927(昭和2年)
11月帝国劇場
【第4回】1930年(昭和5年)ピアノ:ハリー・カウフマン(Harry Kaufman)
9月26日~30日帝国劇場
【第5回】1932年(昭和7年)ピアノ:テオドール・ザイデンベルク(Theodore Seidenberg)
9月26日から30日東京劇場
関西等日本各地演奏旅行後 10月12日新響に客演
再び日本各地演奏旅行後 10月18日 日比谷公会堂
【第6回】1935(昭和10年) ザイデンベルク(pf)
5月8,9,10,13,14 日比谷公会堂
関西方面演奏会後 5月24日新響に客演
東北~北海道地方演奏旅行後 6月19日日本青年館
。。。なんで昔の来日公演はこんなにハードスケジュールだったんでしょうか?
ちなみに昭和13年頃の東京劇場の内部は映画「愛染かつら」の最後のほうで見れます。田中絹代熱唱!
(追記)東京朝日新聞(1930年8月27日水曜日)にジンバリストの奥さんとお子さんの神戸で撮られた写真が載っていました。
この子供こそ、俳優のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918-2014)なんでしょうか。ちょうど12歳くらいに見えます。