昭和15年(1940年)12月に歌舞伎座における紀元2600年奉祝音楽会で初演されたR.シュトラウスの「祝典音楽」のレコードは大ヒットしたようですね。
「音楽新潮」昭和16年2月号より。作曲者自身の指揮、ミュンヘン国立歌劇場管弦楽団。歌舞伎座での指揮者、東京音楽学校のフェルマー氏(Helmut Fellmer, 1902-1977)の感想付きです。
↓ 洋楽レコードの最高記録を作ったようです。2万組追加募集(同誌4月号)。全部で何万組売れたんでしょうか?
↓ 『レコード音楽』1941年1月号より
いまやこの録音も、フェルマーの録音もNML等ネットで聴けるんですね。いい時代!
(追記)
文芸春秋漫画読本1961年1月号に、東京音楽学校教授で、紀元2600年奉祝音楽会で指揮をしたヘルムート・フェルマーのエピソードが載っていました。書いたのは漫画家の岡部冬彦氏(1922-2005)。東京美術学校(現東京芸術大学)卒だそうです。
--------
当時【昭和16、7年頃】は、渡邉暁雄さんがコンサートマスターで、時々バトンを振ったり、森正さんがフルートの助手なんかで、やはり時々バトンを振ったりしていた頃で、主に作曲家のヘルムート・フェルマー氏が校内オーケストラの指揮をしていた。フェルマー氏はヒットラー・ユーゲントの日本支部長かなんかをしていた、若いいかにもドイツ人らしいパキパキした人だったが、その作曲科に、林という友人がいた。ヒゲダルマみたいな男で、勤労奉仕に行った茨城県の友部から東京まで、何を思い立ったか数日がかりで、ワラジばきで徒歩旅行するような快男子だったが、或る時、フェルマー教授が学割(教授にも学割があった)の紙を二枚もって来て、その林に片カナで名前を書きこんでくれという。二枚はおかしいので聞くと
「コレ、ワタシのオクサンのデス」
という。そこでよせばいいのに
「オクサンというのは日本では、下層階級でしか使わない言葉ですから、あまり使わない方が良いですよ」
「デハナントイイマスカ?」
「上流階級ではオッカアというんです」
さて、当時の乗杉校長【乗杉嘉壽、1878-1947】のところへ行ったフェルマー教授が
「コレはワタシノ、コッチはワタシのオッカアのデス」といったので、校長はビックリ、ワケを聞いたフェルマー教授は烈火の如くなったそうである。
それでどうなったと、後日当人に聞いたら
「ドイツ人というのはクシャミは失礼だけど、オナラは失礼じゃないもんだから、フェルマーがオレを叱るのに、興奮してオナラをしながら叱るんだナ。おかしくてたまらないからつい笑っちゃうと、ますますイカり、ますますオナラするんで、どうにも困ったよ。だけどあれがほんとのブーブーいうってヤツだとシミジミ思ったね。」
--------
「林という友人」って誰なんでしょうね?林光(1931-2012)は年代が合わないから違うだろうし。