チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ショスタコーヴィチの交響曲 不人気ランキング

2013-11-18 22:48:52 | 日記

物置から2006年7月号『音楽現代』が出てきて読んでみたら「ショスタコーヴィチのスコア(全音)売上ランキングにみる交響曲の人気」(高崎康一氏)という興味深い記事があり、7年前のものですがあんまり今と状況変わってないなーという感想でした。人気の「ない」ほうから並べてみると

 1.第14番 ト短調 作品135(1969年)「死者の歌」【予想どおり!不吉で暗いです】

 2.第2番 ロ長調 作品14 「十月革命に捧ぐ」(1927年)

 3.第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」(1929年)【2番、3番の区別つかね】

 4.第13番 変ロ短調 作品113(1962年)【暗い~。ここで声楽入り全部揃いました】

 5.第12番 ニ短調 作品112 「1917年」(1961年)【何度きいても良さがわからん→ドゥダメルの動画見たら圧倒されました】

 6.第8番 ハ短調 作品65(1943年)【静かに終わるから?ダーク・ビューティ、もっと人気出るはず】

 7.第4番 ハ短調 作品43(1936年)【今ではもっと人気?】

 8.第6番 ロ短調 作品54(1939年)【アタマがない分人気ないのかも】

 9.第15番 イ長調 作品141(1971年)

10.第1番 ヘ短調 作品10(1925年)

11.第11番 ト短調 作品103 「1905年」(1957年)【おおー!さすがエンディングのかっこよさNo. 1】

12.第10番 ホ短調 作品93(1953年)【個人的には一番すき】

13.第9番 変ホ長調 作品70(1945年)【現在、一時期より相対的に人気落ちた?】

14.第7番 ハ長調 作品60(1941年)【元気の出る音楽との「誤解」から?】

15.第5番 ニ短調 作品47(1937年)【大衆人気ナンバーワンはずっと変わらないでしょうね】


このランキングって逆から見ればショスタコーヴィチの交響曲を聴いていく一般的な順番と一致しているような気がします。初っ端から14番聴いたらまちがいなくショスタコーヴィチ嫌いというか、クラシック嫌いになりますよね。

でも人気のない2,3番は歌詞の意味とか別とすれば派手なオーケストラが楽しめるし、13、14番なんかも無理して(?)何度も聴けば「美しい!」と感じるようになるのでは。というか、この2曲を楽しめてこそ真のショスタコ・ファン! おそらく一般人、一生こういうの聴かない。

それにしてもショスタコーヴィチってブルックナーと並んで女性に人気なさそう。コンサートでも女性の割合が少ない気がするし、6番(9番だったかも?)のフィナーレ最後のところを20代初めの女性が「ダッサー、クッサー」って感想を述べていたのが印象に残っています。わざとダサクサに作ってるんだよー(泣)。音楽で権力欲のくっさい臭いを出せるってすごいんです。

↓ (参考)2015年4月5日YouTubeでshostakovich symphony と入力したらこんな順番で候補が示されました。


ベートーヴェン交響曲第9番 第1楽章「第3主題」とワーグナーへの悪口(シェンカー)

2013-11-15 21:35:37 | 第九らぶ

図書館に『音楽の世界』(日本音楽舞踏会議発行)というマニアックな雑誌があったので手に取ってみたらハインリヒ・シェンカー(1868-1935)の『ベートーヴェン第九交響曲の分析(1912)』という著作が連載されていました(2002-03年野口剛夫訳)。

かつてフルトヴェングラーがこの著作に感銘を受けたらしいのですが、難しくてあまり理解できませんでした。

でもボクでもわかる、ちょっと面白いことも書いてあったのでメモしておきます。

1.第1楽章に第3主題がある!?

 

138-149小節をシェンカーはハッキリ第3主題として捉えています。


espressivoで138小節オーボエ、139小節フルート、144小節ファゴットと主旋律が引き継がれていきます。

ベートーヴェンの交響曲に第3主題があったなんて初耳?



2.リストのピアノ編曲を裏付けにした、この部分へのワーグナーの分析をメチャクチャこき下ろしている。

ワーグナーは、リストが第九のピアノ編曲の中にフルートの143小節の7度音程を入れなかったことについて
「リストが、この明晰さを邪魔するフルートの混入を無視することによって巨匠(ベト様)のもともとの意図は一切の誤解から守られた」と賞賛したそうです。
ボクには理由はよくわかりませんでしたが、要するに、このフルート↓はベートーヴェンの過失だったと。



それに対し、シェンカーは
ワーグナーはベートーヴェンの作品では他にも至る所で使われているような、このような書法が楽器法の原則であることがわかっていない!とか、そもそもリストがそのフルートをピアノ編曲に入れなかったのはその音域がピアノでは弾けなかったからで、ワーグナーにはリストの編曲を自分独自の見解の裏付けとして使う権利はない、この知ったかぶり!って怒っています。

あのワーグナーをですよ、人格ではなく音楽のことでここまで攻撃している文章をハンスリック以外読んだことがなかったので少し驚いてしまいました。ワーグナーが亡くなって30年近く経ってからの著作ですし。

ワーグナー自身の第九のピアノ編曲(合唱あり)もありますよね。その編曲の中でこの部分がどう処理されているかも確かめないとあきまへん。


。。。それにしてもこのシェンカーって一体何者?



Wikiで調べたら「音楽学者。シェンカー理論(楽曲を主和音から出発し、そこに還元されていく過程としてとらえる)の創始者。ポーランドで生まれ、その後、ウィーンへ移住し、そこでアントン・ブルックナーに師事。。」

ブルックナーのお弟子さんなんですね。第3主題の件はなんとなく理解できましたがワーグナーへの態度は。。。?



最後に、もう一つ、心に残る一行がありました。(つい最近までそうだったような?)

「ベートーヴェンの書法の根拠を簡単には説明できないことがあると、それを単に巨匠の耳の病気のせいにしてきたのだ!」



(この著作は音楽之友社から単行本が出ていました。訳者は異なりますが、買ってまた読んでみます。)

↓ 届きました-!第九の生い立ちとかいろいろ書いてあります。楽しみ~

 

(追記)『名曲悪口事典』(音楽之友社)で一番多くのページを割かれている作曲家がワーグナーでした。当時の評論家やら作曲家からめちゃくちゃ悪口言われています。

ニューヨーク・フィルハーモニックの理事であったジョージ・テンプルトン・ストロングが1866年に「ベルリオーズの作曲が千鳥足のチンパンジーだというなら、ワーグナーの作曲は、阿片に酔った豚である」と日記に書いたんですが、そのベルリオーズにも1861年に「ワーグナーは明らかに狂っている。」と手紙に書かれていました。。この本笑えます


ヴィルヘルム・バックハウス来日、「日本の印象」(1954)

2013-11-12 21:22:09 | 来日した演奏家

ヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus, 1884-1969)は一度だけ、1954年4月に来日しています。
『藝術新潮』昭和29年6月号にバックハウス自身による「ニッポンの印象」が掲載されていました。京極高鋭【きょうごくたかとし、1900-1974】訳。
これを読んだらバックハウスがより身近な存在に感じられるようになりました。

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私は、3月30日夜、ニューヨークのカーネギー・ホールでの、32年ぶりの独奏会をすませて、PAA機での4月5日の午前11時羽田に着いた。今回の訪日は私の妻アルマも同行した。

羽田に着くと可愛らしい少女に花束を贈られたのは印象深い。私共は有名な日本の桜を見ることを期待していたが、不幸にして、羽田から帝国ホテル迄の道筋には、僅かに芝公園の中に二、三本の満開の桜を見ただけであった。私の日本に着いた翌日は相当な大雨の日であったが、今明日の中に、桜を見ないと散ってしまうと云う忠告をうけたので、雨中を、自動車で、九段の靖国神社、弁慶橋、青山墓地等の美しい桜を観賞した。

私の最初の独奏会は、4月9日か午後6時半から、公会堂で催された。演奏会の始まる午後6時半と云うことは、私にとって驚くべき早さである。欧米の音楽会が大体、夜8時に開始される習慣であるのに、何と、早く始まることであろうか。もっとも、イタリアや南米のように、夜の9時半に音楽会が始まる国もある。世界の国々は、かくも習慣が異なるものであろうか?東京の公会堂に備えられている米国製のスタインウェイ・ピアノは、素晴らしく良いピアノであった。私は習慣に従って、このピアノの番号を記録しておいた。この夜の曲目は、バッハ、ブラームス、ショパンであった。演奏が終わって、可愛らしい少女が花束を持って、ステージに現れた。ステージに飾られた本物の大きな桜の花のついた枝と共に、好印象を与えられた。欧米では女流の音楽家の他には、ほとんど花束を贈られることはないので、私にとって初めての経験であった。

この私の第1回の独奏会のあった夜、ホテルに帰って、夕食中、京極高鋭君(私の古い友人で、今回の訪日中私の世話をしてくれている)が「地震だ」と云ったが、私達夫婦は、全く何も感じなかった。日本人は、地震には非常に神経質なようだ。しかし、この夜、就寝中の私達は、突然の地震に驚いて起こされた。私達は日本において、得難い経験を味わうことができた。

私の第一回の地方の演奏会のために、4月15日の昼、「はと」という特別急行で東京を出発した。日本の展望車は、なかなか気持ちがよい。車窓から見える熱海の海岸、またこの日は素晴らしくよい天気で楽しみにしている富士山が、美しい姿を現している。緑の中の黄色い菜の花、白い大根の花も印象的だ。そして、山の中腹まで開墾されて、田畑になっているのも私達には面白かった。今は、旅行のシーズンで、停車した駅はいずれも混雑していた。私にとって特に印象的なのは、日本の婦人が背中に子供を背負って、運んでいることであった。

この特別急行の食堂車のグリルド・チキンは、不幸にして私の分だけが生であったので、焼き直してもらった。夜、八時半に、日本の第二の都会である大阪に着いて、新大阪のホテルに入った。立派なホテルであったが、グリル食堂の趣味は、ひどくアメリカナイズされていた。大阪での演奏会は、4月16、17日の二日であった。宝塚劇場において、私は、日本製のコンサート・グランド・ピアノを使用した。この日本製のピアノも、仲々よいピアノであった。しかし何と云っても高音部が、欧米の第一流のピアノに比較して差があるようだ

大阪の滞在中私達は、大阪城を見物したが、あのように大きな石が、トラクターのない時代に如何にして、搬ばれたか想像が出来ない。造幣廠の八重桜は、満開で私の妻を喜ばせた。大阪市内には、二千人を容れる演奏会場はないそうで、海外からの音楽家は、皆宝塚劇場を用いるそうである。この会場はホテルから、自動車で一時間余りもかかって不便であった。

↑ 大阪城の古い大砲とバックハウス

大阪の演奏会をすませた翌日の4月18日は、雨であったが、午前中、大阪を出発して、まず自動車で法隆寺に向かった。日本最古にして、大部分完全に今日まで残されているこの寺が、私等を喜ばせたことは云うまでもない。そうして、私達は奈良市へ入って鹿の公園、大仏寺を見た。ただ雨であったことが、如何にも残念であった。奈良ホテルで昼食をすませて、春日神社の奥山廻りをした。神社の所有物であったため、千年も斧が加えられていないので、全く原始林の姿であった。この春日山の上で、自動車がぬかるみに入ってしまったため、上りの坂道で、車輪が空回転をはじめて、一時はどうなることかと心配した(この、雨中の山の上で、人も自動車も通らない所なので)が、運転手最後の努力で、幸い坂を上ることが出来、一路京都へ向かい、都ホテルに入ることが出来てホッとした。

翌日は、快晴の天気だった。妻が写真を撮りたいと云うので、午前中、清水寺へ行った。この清水の高台から、京都市の三分の二が展望できた。「錦の布」で出来ている、災害を避けることが出来るマスコットというのを売っていた。これをもっていれば昨日の様な事件は、避けられたのであっただろうか!!

次に、三十三間堂に廻った。一千の観音に囲まれた千手観音があったが、この裏側の、空気の入った大きなバッグを持った風の神の彫刻には、興味をひかれた。摩候羅王と云う琵琶を持った像は音楽の神らしいので、日本人の真似をして、若干の金を献呈した。大阪と京都の演奏旅行をすませて私達は帰京した。この旅で私は、「アリガトウ」という日本語を覚えた。この言葉は、大変便利な言葉である。"Thank you"が「アリガトウ」なら「"Thank you very much"はなんと云うのか」と聞いてみたら「アリガトウ」でよいのだそうだ。この後、4月21日に、宮中に招かれて、宮廷に今日なお保存されている雅楽の「越天楽」「陪蘆」と、舞楽の「春寧花」を観賞する機会を与えられた。いずれも「ハーモニー」は、私にとって、親しみの薄いものではあったが、古い日本を偲ぶには充分であった。

次に、私には、日本の皇后陛下に、私の演奏を聞いて頂く機会が与えられた。私は「月光の曲」と、バッハ、ブラームス、シューベルト、ショパンの数曲を演奏した。皇后陛下は、その年齢よりも若く見え、可愛らしい方であった。曲目が終わって皇后様の拍手に応えて私は、ショパンの嬰ヘ長調の夜想曲と「子犬のワルツ」を礼奏した。終わって、皇后陛下は、私達夫妻に面会の機会を与えられ、今日演奏された曲目は、自分が弾いたことのある曲と、また長年親しみを持っていた曲だったので非常に興味深く観賞することが出来たと云う親しい言葉を頂いた。そうして、今日の記念として、日本の人形を私達に与えられた。これが終わってから、私達は、往復とも飛行機で、福岡の演奏会に四日間の旅に出た。幸い天気にも恵まれて、飛行機の旅はよかったが、福岡のホテルは、昼も夜も、交通機関の騒音で休むことができなかった。日本人は、どうも音に対しては、あまり神経質でないように感じられる。

福岡から帰った翌日、日本の「能楽」を観賞した。牛込矢来の観世喜之氏の舞台で、「大原御幸」と「正尊」を観た。シテが、橋がかりから、舞台に出て来るまでが非常な時間を要した。PAA機なら、あれだけの時間に、どこまで飛べるだろうと想像せざるを得ない位に、時間を要するものであった。シンボリズムの舞台装置は充分私達を楽しませてくれた。ただ、この能の声楽もそうであるが、日本の音楽は(先達て観賞した新橋の東京をどりも)共通して、発声が「のど」に力を入れるので、不自然のように思われた。「正尊」は「大原御幸」に比して、現実的のものだった。自分には、「大原御幸」の悲劇の方が楽しむことが出来た。謡の意味は、勿論、全然理解出来なかったが、あのマスクの中から出て来る言葉は、日本人にも言葉が聞き取り難いそうである。

日本に於て聴いた演奏会は、私の友人ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮したN響であった。それから、私と共に演奏してくれた東京交響楽団の両方とも、私の期待より余程優れた演奏であった。強いて批評を求められれば、弦楽器の優秀であるのに比して、管楽器が少し劣ることである。これは、この二つの日本の大交響楽団に共通して云えることであろう。

日本に於いては、金管楽器にも、木管楽器にもこれを教える立派な教師がいないと云うことであるから、止むを得ないことであろう。

それから、日本の聴衆の真面目な点、熱心な点には全く敬意を表したい気持である。私のベートーヴェンの「悲愴」、「ワルトシュタイン」、「ハンマークラヴィーア」を弾いた夜は、私自身非常に愉快で、熱狂している聴衆に応えて、四曲のアンコールをした。未だ二曲位のアンコールをする位の気持はあったが、拡声器で妙なアナウンスが入ったため遮られてしまって残念であった

私は、日本の若いピアニスト数人の演奏を聴く機会を得た。これは、日本の若い才能あるピアニストのレベルを、私に知って欲しいと云う希望からであった。私は、全く社交辞令ではなく、この人達のピアノのレベルは、私の期待していたものよりも遥かに高く、テクニックも、ソノリティも、完全に、また充分にそなわっていた。

欲を云えばもう少し詩的であってほしかった。しかし、彼等は、まだ十五歳から、十七、八歳のものが多く、これを期待することは無理かもしれない。

この外、私は日本のカブキを観た。「本朝廿四孝」、「茨木」、「鳥辺山心中」であった。勿論、言葉が解らなかったが、倦きずに、この三幕を終わりまで見た。日本の歌舞伎は、非常にテンポがのろく感じられた。

私は今日5月6日、日本に於ける最後の名古屋の演奏会のため東京を出発する。明7日に名古屋の演奏会を終えて再び関西に向かい、京都、奈良をもう一度観光する予定であったが、妻の富士山をもっと近くで見たいと云う希望によって、名古屋から熱海に引き返し、数日間熱海で静養して、この間に川奈、箱根を遊覧し、心行くまで富士山の美しい姿に接したいと思っている。

(帝国ホテルにて)

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バックハウスの前で演奏した若いピアニスト数人って誰なのか気になる~

日比谷公会堂第1日(1954年4月9日、同誌より)


舘野泉: 左手の音楽祭の感想

2013-11-10 18:35:14 | 日本の音楽家

コンサートの感想とか生意気なんですが、何気に聴きに行った今日の東京オペラシティコンサートホールは久々に心に残る、あったかくてオトクなコンサートだったので日記に書いておきます。

舘野泉&ラ・テンペスタ室内管弦楽団(フィンランド)
指揮:野津如弘

(前半)
1.ノルドグレン 左手のためのピアノ協奏曲 作品129
  ~小泉八雲の「怪談」による「死体にまたがった男」
2.池辺晋一郎 ピアノ協奏曲第3番「西風に寄せて」~左手のために

~休憩~

(後半)
1.グリーグ ホルベアの時代から 作品40
2.吉松隆 左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」作品102
3.アンコール カッチーニ アヴェ・マリア(田舎娘さん情報ありがとうございます)

 

協奏曲3曲ってなかなかないですよね!

ますますカリスマ性を高める舘野氏の温かい人柄・演奏で会場は満席。ラストはスタンディング・オベーション!ボクが目撃したのは日本人では朝比奈隆以来です。

何しろ、きょうは2階席に美智子様が突然いらして盛り上がりました。

今日の演目の日本人作曲家(池辺、吉松両氏)も会場にいらっしゃっていました。

池辺氏については前半の世界初演のピアノ協奏曲に感動したので休憩時間に勇気を振り絞ってサインをお願いしました。ボクのオモチャみたいなボールペンで、しかもプログラムの狭い空白にお頼みしたのも拘わらず優しくサインして頂き、大変失礼しました&ありがとうございました!(「こんなちっちゃいペンで~?」って笑顔でおっしゃっていました。) 池辺氏の『ブラームスの音符たち』等の書籍を所有しているので会場に持って行けばよかったと後悔。サイン、大切にします。



吉松氏についてはトイレで偶然すれ違って思わず「おっ」とか言っちゃったんだけどやっぱしサインもらいたかった~(ミーハー病)

さらにきょうは舘野泉さんの77歳の誕生日だったらしく、「ハッピーバースデー」の演奏とともに聴衆も一緒に歌いました。でっかいケーキも登場!そのあとの舘野氏のアンコール曲もよかった。

最後は管弦楽団の面々どうしが抱き合っていました。珍しい光景でした。こういうアットホーム的なコンサートが一番好きです。

さて、本当に言いたかったのは指揮者のことです。「ホルベアの時代から」を初めて実演で聴き、初めて感動しました。各種CDだと気が付かなかったのですが、今日の演奏にメリハリがあり、かつ精度が高いからこそ、本来こんなに立体感があって静謐な音楽だったってことに気が付いたんだと思います。特に弱音の繊細で美しいことと言ったら!まるでマーラー9番あたりを聴いているような気分に。グリーグ再発見です。
この野津如弘という指揮者、タダものではない!


LPレコード変わり種3種 (ピクチャー、4チャンネル、リバース)

2013-11-04 15:06:07 | オーディオ

物置で変なLPレコードが3枚出土しました。ホコリとカビで喘息っぽくなるので10分以上発掘作業続けられません。

 

1. ピクチャー・レコード(非クラシックのクラシック、ポール・マッカートニー&ウィングス)

もしかして1980年幻の来日公演決定記念盤?

オモテ↓ 面積が大きいからキレイ!

ウラ、比較的つまんねー↓ 

こういうの、音質はどうなんでしょう。もっとも、聞く目的では買わないですよね。「特別限定盤」らしいけど高く売れないかな?

 

 

2. SQ4チャンネルレコード(ツァラトゥストラはかく語りき バーンスタイン / ニューヨーク・フィル 1970年録音)

「推薦」っていったい誰が推薦してんの?

43年前の録音のLPレコードで4チャンネルってすげー!でもどうやって再生するんだろ。。

 

↓ 普通のプレーヤーでも再生できるみたいですね。同じ音源のSACD等で4チャンネル版あるのかな?

 

 ↓ アンプ内蔵SQ4チャンネルデコーダー"SQA-200"とスピーカー2台を追加すれば聴けちゃうんですね。(1972年6月の雑誌広告)

 

↓ 同じ雑誌から、ビクターの4チャンネル可能ステレオ、MS-503。SQ4チャンネルは対応していないのか?

 

 

 

3. リバース(逆進行)レコード(A面ボレロ、B面こうもり序曲)

非売品っぽいです。パワーを感じます。

↓ジャケット裏。オリジナル版と同じデザイン?

「DAM」は第一家庭電器オーディオメンバーズクラブのことらしいです。『マニアを追い越せ!大作戦』って。。追い越したらオタクですよね

 

↓レコードの見た目は特に変なところはなさそう。

プレーヤーを逆回転させるんじゃないみたいですね。

解説書には「このレコードは内側から針を降してお聴き下さい」とあります。(レコードはCDと違って普通は外側から再生)

レコードは内側に行くほど針と溝の相対速度が遅くなるから、音が汚くなったり、時にはビリついてしまうので特にボレロみたいにどんどん音量が大きくなっていく曲にはピッタリな方法だということです。なるほろ!

 

↓しかし、再生むずかしそうですね。趣味の世界。

 

以上変り種LP3枚でした。昔はいろいろと楽しそうでしたね。ちょっとレコードプレーヤー欲しくなりました。

さらにヘンなの発見したらまたレポートします!