『藝術新潮』1953年5月号より、東京・銀座ヤマハホールの誕生についてです。新ヤマハビルの建築に伴い取り壊され、現存しません。ピアノ発表会等で舞台に上がった方も多いのでは?
↑ ホール天井と左側面
↑ 巌本真理、河野俊達、齋藤秀雄(!)
↑ 二階側面にある放送室。素朴~
↑ ホール左側面
↑ 二階ロビー
↑ ステージは決して広くはありませんね。
↑ 二階正面 お客さん、ぎっしり。
↑ 井口基成夫妻の演奏。
以下、本文から抜粋します。
「街なかの音楽堂」
街の美術館としてブリヂストンや近代美術館がさきに生れて好評だが、今度は、街なかの音楽ホールが誕生した。銀座七丁目の日本楽器の山葉ホールがそれである。これでかねてから云われていた音楽家の会場難は、さきに返された第一生命ホールとともに、いくらか緩和されるはずだが、使用料が収容人員(524名)に比してお安くはない(※1)のが欠点だという人もいる。それはともかく、銀座の騒音の中にいて完全な防音装置をほどこし、木材を生かして伝わったレイモンド(※2)の東洋的モダンスタイルは、今後音楽好きな人々を多く吸収するであろう。
※1 開館当時の使用料
【平日】
午前(9-12時)10,000円
午後(1-4時)15,000円
夜(5-8.5時)20,000円
【土日祭日】
午前(9-12時)10,000円
午後(1-4時)20,000円
夜(5-8.5時)25,000円
※2アントニン・レイモンド(Antonin Raymond, 1888-1976)
チェコ出身の有名な建築家。
↑ Wikipediaを見たら、ヤマハホール以外にもレイモンドが設計した有名な建物が日本にたくさんあって驚きました。
↑ 1976年の雑誌より。
ちなみに現在のヤマハホールは2010年2月26日にリニューアルオープン。(2015年6月7日の記事に情報を追加しました)