チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

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来日した有名なクラシックの作曲家

2022-12-07 17:29:53 | 来日した作曲家

日本に来たことがある作曲家って親しみが湧きますよね。ネットにはあんまりまとまった情報がないようなので初来日順に並べてみました。(広義のクラシック。修正、追加していきます)



セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953) 1918年 予定外にたまたま来日したが帝国劇場でリサイタル

エンゲルベルト・フンパーディンク(1854-1921) 歌手のほうじゃない、『ヘンゼルとグレーテル』のフンパーディンクです。調査中。

フリッツ・クライスラー(1875-1962) 1923年4月初旬 帝国劇場などでリサイタル

イジドール・アクロン(1892-1948) 1923年と1931年 ハイフェッツのピアノ伴奏者として来日。

ヘンリー・ハドリー(1871-1937) 1930年 新交響楽団を指揮

アレクサンドル・タンスマン(1897–1986) 1933年

アレクサンドル・チェレプニン(1899-1977) 1934年 日本の作曲界と縁が深い

フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942) 1937年。新響を指揮

マンフレート・グルリット(1890-1973) 1939年。後半生は日本で活躍され日本で亡くなったそうです。

ニコラス・ナボコフ(1903-1978)1956年。

パウル・ヒンデミット(1895-1963) 1956年ウィーン・フィル(初来日)と

ベンジャミン・ブリテン(1913-1976) 1956年シンフォニア・ダ・レクイエムをN響で日本初演。

ヘンリー・カウエル (1897-1965) 1957年。東京に数ヶ月滞在する間にアンタル・ドラティの委嘱で"Music 1957"を作曲した。

マトヴェイ・ブランテル (1903-1990)  1958年11月6日 カチューシャ「リンゴーの花ほころーびー」

ジョルジュ・オーリック(1899-1983)  1959年。親日家でその後も何度も来日。

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971) 1959年N響を振った。

ゴッフレード・ペトラッシ (1904-2003) 1959年

アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974) 1959年。N響を振って自作を披露。1970年再来日。パチンコにハマった。

ナルシソ・イエペス(1927-1997) 1960年。その後も度々訪日。

アーロン・コープランド(1900-1990) 1960年初来日のボストン響を指揮。1961年4月「東京世界音楽祭」のため再来日。1962年2月3日日米文化教育会議の代表者として再々来日。(確認中)

アラン・ホヴァネス(1911-2000)1960年?

レナード・バーンスタイン(1918-1990) 1961年初来日

ヤニス・クセナキス(1922-2001) 1961年4月東京文化会館落成に伴う「東京世界音楽祭」のため来日。

ロディオン・シチェドリン(1932-) 1962年1月24日来日。労音での講演、芸大・武蔵野音大などを訪問

ジョン・ケージ(1912-1992) 1962年来日公演

オリヴィエ・メシアン(1908-1992) 1962年6月20日夫婦で来日。最初は高輪プリンスに宿泊。2度目の来日は1978年。

カール・オルフ(1895-1982) 1962年9月NHKの招きで来日、音楽教育について講演。9月27日東京文化会館にて小澤征爾指揮の東混で「カトゥーリ・カルミナ」日本初演。

ゴットフリート・フォン・アイネム(1918-1996) 1962年初来日。1992年再来日し「薔薇の影」日本初演。

ドミトリー・カバレフスキー(1904-1987)1963年国際音楽教育会議で来日、N響を指揮。

アラム・ハチャトゥリアン(1903-1978) 1963年 読売日響、京響を指揮。コーガン、オボーリンと協奏曲も。

アーサー・ブリス(1891-1975) 1964年にロンドン交響楽団とともに来日し自作『チェックメイト組曲』を指揮。

ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999) 1964年初来日。1974年再来日。

カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007) 1966年『テレムジーク』初演

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926-2012) 1966年ベルリン・ドイツ・オペラと『若い恋人たち』初演

ピエール・ブーレーズ(1925-2016) 1967年大阪国際フェスティバルでN響でトリスタンを指揮

ヘンリー・マンシーニ(1924-1994) 1967年

ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)1969年初来日、親日家。

ペール・ヘンリク・ノルドグレン(1944-2008) 1970年から3年間芸大で学ぶ。1987年にも来日。

ハインツ・ホリガー(1939- ) 1970年2月、夫人のウルスラ(hrp)と初来日

アンドレ・プレヴィン(1929-2019) 1971年初来日。ロンドン交響楽団と

モーリス・ジャール(1924-2009) 1972年2月に単身来日して日比谷公会堂で分裂直前の日フィルを指揮(←Edipo Reさまのコメントより。ありがとうございました)

ジャン・カルロ・メノッティ(1911-2007) 1974年

ニーノ・ロータ(1911-1979) 1975年初来日。

クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-2020) 1976年初来日。大阪国際フェスティバル。1979年の同フェスでは自作(Vn協など)とショスタコーヴィチの交響曲(5,6番)を指揮(N響)

アルフレッド・リード(1921-2005) 1981年初来日

アンリ・デュティユー(1916-2013) 1981年?本人の89年のインタビュー記事で「日本には日仏協会の招きで8年前に一度だけ来ている」とある。

バーナード・ランズ(1934-) 1982年「Music Today」のため来日。

アストル・ピアソラ(1921-1992) 1982初来日

カレル・フサ(1921-2016) 1987年が初来日か? 愛工大名電高校の吹奏楽団で「プラハ1968年のための音楽」を指揮。

ルイジ・ノーノ(1924-1990) 1987年東大で特別講義。

ソフィア・グバイドゥーリナ(1931-) 1989年初来日。1997年11月時点で8回目の来日。

アルヴォ・ペルト(1935- ) 1990年春初来日。1991年再来日。その後も来日

スティーヴ・ライヒ(1936- ) 1991年10月、自身のアンサンブルを伴って初来日。2度目は1996年、「18人の音楽家のための音楽」を演奏。

ジェルジュ・リゲティ(1923-2006)1991年第3回高松宮殿下記念世界文化賞受賞のため

ペア・ノアゴー(1932- ) 1991年のサントリーホール国際作曲委嘱シリーズ第14回が初来日か

アルフレッド・シュニトケ(1934-1998) 1992年第4回高松宮殿下記念世界文化賞受賞のため夫人を伴って来日

エイノユハニ・ラウタヴァーラ(1928-2016) 1992年

フィリップ・グラス(1937- ) 1992年「浜辺のアインシュタイン」公演(品川・アートスフィア10月18~25日)に伴い来日

ルー・ハリソン(1917-2003) 1993年。東京・神田神保町「文房堂」ギャラリーでトーク&演奏会(7月20日、21日)

マグヌス・リンドベルイ(1958- ) 1993年。井上道義/都響により作品初演。8月28日サントリーホール

カイヤ・サーリアホ(1952-2023) おそらく国立音大の招待による1993年秋が初来日←『音楽芸術』1994年3月号「日本に来て日本を見たい思った」

ヴィトルト・ルトスワフスキ(1913-1994) 1993年第九回京都賞受賞のため来日。

ジョン・ウィリアムズ (1932- ) 1993年来日公演。

ジョージ・ベンジャミン(1960- )メシアン門下。1995年東京における「国際ヴェーベルン・シンポジウム1995」のため初来日。

オリヴァー・ナッセン(1952-2018)1995年?都響を指揮

ヘンリク・グレツキ(1933-2010) 1996年、シレジア・フィルとともに

ルイ・アンドリーセン(1939-2021)2000年

ハビエル・ブストー(1949- ) 2000年?

ヘルムート・ラッヘンマン(1935- )初来日はいつ?2000,2003,2009年には来日している。

エンニオ・モリコーネ(1928-2020) 2004年

ルドヴィコ・エイナウディ(1955- ) 2008年初来日。

スティーヴ・ドブロゴス(1956- ) 2008年初来日。親日家でその後何度も来日。←伊藤様、情報をありがとうございました

カレヴィ・アホ(1949- ) 2009年 読売日響による交響曲第7番の日本初演に立会う。

ジョン・コリリアーノ(1938- ) 2012年

ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937- )  2017年11月

ボブ・チルコット (1955- ) 親日家で何度も来日しているが初来日はいつ?2020年の来日は中止

ジョン・アダムズ(1947- ) 2024年1月

 

【2014年1月23日の記事を修正しました】