チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

藤原義江とプリマドンナたち(1953年頃)

2016-12-30 23:42:43 | 日本の音楽家

アルスグラフ第10集『オペラ』(1953年8月15日発行)の巻頭にはオペラ歌手藤原義江(1898-1976)が女性共演者と一緒の写真が載っています。

1. モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
アンナ:川内澄江(1922-2015)

 


2.ロッシーニ「セビリアの理髪師」
ロジーナ:戸田政子

 


3.トマ「ミニョン」
ミニョン:松内和子

 


4.ヴェルディ「アイーダ」
アイーダ:桑原瑛子(團伊玖磨氏の最初の奥様)

 


5.グノー「ファウスト」
マルグリート:高柳二葉(1915-2013、「君の名は」【アニメではなく、昔のNHKのラジオドラマ】の主題歌を歌われたそうです。)



6.プッチーニ「ラ・ボエーム」
ミミ:山口和子


。。。しかしよくもまあ、次から次へときれいな女性歌手たちと共演したもんですね。役得!


秋山和慶氏~桐朋学園高校時代のホルンの思い出

2016-12-29 22:43:04 | 日本の音楽家

【2015年8月24日の記事に30歳の秋山和慶さんの画像を追加しました】

1971年の週刊誌から30歳の秋山和慶氏(1941年生まれ)が東京交響楽団を指揮するようすです(撮影・竹原伸治氏)。



記事のよると「目下、アメリカ交響楽団に招かれて、客演指揮中。昨年1月、ニューヨーク・カーネギーホールでの指揮ぶりにホレたアメリカ交響楽団が再び招いたものだ。」

若い頃から評価が高かったんですね。



さて秋山氏による、ブラスバンドで頑張る学生へのアドバイス、励ましの言葉が吹奏楽雑誌『バンドピープル』創刊号(1980年4月号)に載っていました。

その中から、秋山氏のホルンとの出会いについて書かれた部分です。

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ボク自身は、指揮者になろうと、桐朋学園高校に入学したんですが、井口基成先生から「指揮をやりたいなら、ピアノもやらなくちゃダメだし、オーケストラの楽器も何かマスターしろ!」と言われ、「弦楽器はもういっぱいだからダメだぞ。おまえ、何やりたい?」って聞かれたんですね。

前から音が柔らかくて、縁の下の力持ち的存在で、中音域で豊かな表現力があるホルンにあこがれていたから、すぐに「ホルンやります」って言ったんです。そのとき手にしたのは日管のピストンのFシングル・ホルンで、放課後毎日毎日、N響と芸術家協会のスタジオで、もう死にものぐるいになってレッスンしました。それでも1ヵ月ほどたつと、どうにか2オクターブは出るようになったかなあ。そしたらすぐ、オーケストラの練習に入れられちゃって、またまた必死になって......。でも、そうしてオーケストラの一員、100分の1にメンバーとして一緒にやれたことは、指揮者になった今でもずいぶん役に立ってますね。

ですから、桐朋学園大学に進んでからも指揮を勉強しながらホルンも続けました。小沢征爾さんなどと替る替る棒を振りながら、みんなで懸命に吹いていたことなんかを思い出します。
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。。。青春の思い出ですね。秋山さんはホルン相当ウマいんでしょうね!



「ボク自身は音楽に終点はない、死ぬまでやっていかなくちゃならないと思っています。アマチュアとはいえ、1度は音楽にふれたことがあるなら、どうにかしてそれを一生続けてほしい。なにもプロになることばかりが道じゃないし、ボクは指揮していてアマチュアもプロもなんら変わるところがないと感じます。『音楽する』意味ではなんでも全部同じなのです。」


マルタ・アルゲリッチの来日時の生写真2枚

2016-12-22 23:31:13 | メモ

アルゲリッチの日本公演らしき謎の生写真が手許に2枚あります。

一枚目は画質こそ悪いけれど、いつ撮られたものかはわかります。

 



↑(写真の裏)1981年4月6日東京文化会館でショパンの協奏曲第2番を演奏中のものらしいです。「P」の字が玄人っぽい。



解像度の高い二枚目は詳細が不明です。

 



裏には「音新」(雑誌の音楽新潮のことか)というハンコと、「97」(94?)という手書きの数字があります。

いつ、どこで撮られたものかが判明したら追記します。


第6回日本音楽コンクール入賞者の顔ぶれ(1936年)

2016-12-19 23:12:58 | 日本の音楽家

シンキャウ社『楽苑』1936年12月号より、第6回日本音楽コンクール入賞者たちの写真です。

当時、このコンクールは時事新報社が主催していたんですね。

【声楽部門】
1位 槇田 都馬子


2位 河 大応


3位 松浦 智恵子


【ピアノ部門】
1位 小園 登至子(1920-1985)


2位 野村 美智子


同じく2位 藤田 晴子(1918-2001)


【バイオリン部門】
1位 鳩山 寛(1926年生まれ)


3位 高 珠恵



(2位の鈴木共子さんの画像が何故かありませんでした。。ちょっと調べたいです。)


【作曲部門】
1位 平井 康三郎(本名・平井保喜、1910-2002)


2位 江 文也(1910-1983)


3位 平岡 照章(1907-1992)

↑ 平岡氏をWikipediaで調べたら、知っている童謡がけっこうありました!


"ヴァイオリニスト" ロリン・マゼールと奥様の日本公演(1970年)

2016-12-18 00:14:54 | 来日した演奏家

ロリン・マゼール(Lorin Maazel, 1930-2014)が1970年にベルリン・ドイツ・オペラで来日したとき、日本フィルのコンサートではヴァイオリンを弾いていたんですね。

1970年4月5日、東京文化会館のプログラムはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番、シベリウスの交響曲第5番、そしてブラームスのピアノ協奏曲第1番でした。


↑ モーツァルトを弾き振りするマゼール。

記事によると「多忙なマゼールが現在ヴァイオリンの本格的に練習する機会があろうとは思えないが、それにしては思いのほか技術の安定度が高かった。もちろんいまはヴァイオリニストではないマゼールが、少々音程をはずしたり、リズムを不正確に刻んだりするのは止むをえないことである。余技として聴いていたのだが、この余技、まだ立派に通用するもだけのものをもっている。」

マゼールがヴァイオリンを演奏した小曲集のCDも出ていますが、この後もヴァイオリンを弾き続けたんですね。



さてこの日ブラームスの協奏曲を弾いたのは、マゼールの奥さんであるイスラエラ・マルガリット(Israela Margalit)。


↑ 当時の日本フィルのコンマスはルイ・グレーラー(Louis Graeler, 1913-1987)さん。

 

。。。まさにマゼール夫婦のためのコンサートでした。(音楽の友1970年6月号)

 

(追記)

ご夫婦の生写真。撮影時、場所不明。お疲れのご様子?