食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

三島 (MISHIMA)

2009-11-25 07:31:39 | 日記
 39 年前の今日、三島由紀夫が、市ヶ谷自衛隊駐屯地で割腹自殺した。


 高名な作家の、前近代的な死に方は、世界各国に強い衝撃を与える。


 三島の死についての論文、著書はその質と量とに圧倒されるが、この稀有な天才作家を前にして、横一列の憶測、推論は脆くも崩れ去っている。。。。。


 三島文学の真骨頂は、いささかたりとも凡庸な言い回しを用いない、その比類なき美しい高貴な文体にある。 小説としての面白さ、正確さで比較するならば、太宰治の方が数段に上である、が、彼は永遠を感じさせるほどの豊富で絢爛たる語彙を駆使し、鬱屈した自意識の深淵に、読む者を落とし込んでしまう。


 
 多くの評論家は「金閣寺」を最高傑作とし、以後、思想的に右傾化する彼の著書、論評には、手厳しい評価を下しているが、僕の管見もこれに追従するものである。


 自分も幾分年をとったせいであろう。  「金閣寺」、、、あの空虚で、重い、アイロニカルな青春文学を、今読み直すパワーはない。。。。。



 いずれにせよ、日本人として「作家」ではなく「文豪」と称し、世界中で戯曲上演され、翻訳出版されたのは三島が最初であり、今日に至っても MISHIMA のみである、と言い切っても過言ではない。 川端康成のノーベル文学賞受賞も、三島の存在なしにはありえなかった。


  石原慎太郎、 猪瀬直樹、 浅田次郎、 立松和平、 篠沢秀夫 (クイズダービーで有名な黒ぶち眼鏡のフランス語教授)、、、、著名作家、文化人が発起人となり、今日、39 回目の「憂国忌」がしめやかに催されるはずである。


 
 
  しかし、自分の中で三島の作品中に「観念的な日本」をみいだすことはない。


 川端康成や谷崎潤一郎の文学に、より強く「ナショナリティックス」を感じる