昨日アップした、高峰譲吉に関連して~ 米ぬかにヒントを得て、脚気の原因がビタミンB1の欠乏である(ビタミンB1の発見 オリザニンと当時命名、)としたのが、鈴木梅太郎でした。 ところで、ビタミンB1の発見がされる以前、脚気は原因不明の難病でした。 有名な話しで、日清・日露戦争において、海軍軍医だった高木兼寛(慈恵医大の創設者)は、白米でなく、玄米、麦、の食事をとると、脚気が激減することを発見し、海軍では、両戦争での主食から、極力、白米を遠ざけました。 その一方で、陸軍軍医総鑑だった森鴎外は、脚気の原因が細菌感染だとして疑わず、陸軍での食事は、すべて白米が出されました。 結果、陸軍では、両戦争で脚気による多数の死傷者を出してしまいます。 203高地での死者を余裕で上回る大惨事だったのです。 さらに、千円札登場の北里柴三郎は、内因性物質の欠病(ビタミンの欠乏)が脚気の原因である説を支持しており、森鴎外ら東大医学部主流派から、猛バッシングを浴びせられます。 ところで、森鴎外といえば、やはり、大文豪。作家のイメージしかありません。 ヰタ・セクスアリスなど、当時としては自由奔放な作品を書き、発禁処分をくらう、リベラル人なのに、医学界では、他人に耳を傾けない、超権威主義者のようでした。 リベラル人と書きましたが、彼は、息子、娘たちに、 アトムとか、クリスとか(多分、そんな名前)今でいう、キラキラネームをつけております。当時としては画期的なことです。 理由が、狭い日本にとらわれず、国際人として自由に活躍するように、という願いからだそうです。 超権威主義と自由、天才はこのアンバランスの上に座していたようです。