昨晩、BS-TBS の「歴史鑑定」は、池田屋事件、だった。 僕自身、正直、この池田屋事件を歴史的重要事項とは思っていない。 歴史というよりも、近藤勇・沖田総司・土方歳三揃い組、わずかな手勢で、その10倍にあたる長州藩士を襲撃・打ちのめした、時代劇ジオラマを真っ先にイメージしてしまう。 日本中に「新選組」を知らしめ、新選組= 佐幕(幕府を守る側)を決定づけた一事件と考えている。新選組ほど、評価する側の規模、立場、考え、時代で、毀誉褒貶の激しい組織もほかにあるまい。 「上官が黄色と言えば、赤でも、黄色なんだ」と、帝国陸軍教育下では、七生報国の楠木正成同様、最高の組織であるが、改革により新しい時代を切り開いていく側にとっては、頭の固い、古臭い人たちである。 ミクロ視点、マクロ視点、で言い表すなら、間違いなくミクロ視点である。 誤解のないようお願いするが、ミクロ視点とは、視野が狭いことではない。 一個人のものの考え、生き方を凝縮して述べるのであれば、という意味である。 ならば、時代、歴史、国家、巨大組織を俯瞰するのが、マクロ視点と言えるだろう。 時代を築いていくのは、マクロ視点であるが、それとは切り離し、男の美学、生き様、心構え、として、自己啓発にミクロ視点を用いるのは、大切なことである。 話を冒頭に戻すが、「池田屋事件によって明治維新が1年遅れた」と言われている。 新選組が後世に残したものは、「生き様」であり、「生き様」だけである。 彼らの生き様、それだけで、ミクロ視点から自己啓できる、我々にとっては最高の宝だ。