食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

ノストラダムス

2009-10-20 07:13:36 | 日記
 高級料理の代名詞   フランス料理



 しかし、14.5世紀の頃までのフランスは、王や貴族でさえ手づかみで食事をする

 野蛮な西欧の一地方にすぎなかった。


 
 16世紀に入り、当時、世界文化の中心であったイタリア・フィレンツェの、メディチ家から、フランス王家へ、カトリーヌが嫁ぐことになった。


 この結婚により、フランスの食文化は開花していくこととなる。


 文化・芸術の他に、カトリーヌが熱心なものがあった。



 予言や占いの類である。



 時代を同じくして、ノストラダムスという医師が登場する



 「四行詩」 を駆使し、次々と予言を的中させていく。


 彼は評判となり、やがてカトリーヌの寵愛を受けるようになる。 いつしか、王家の政治に口を挟むようになる。



 ただ、この「四行詩の形をとる予言」、どうとでも解釈できるもので、大筋のところ、眉唾ものであることが解ってきている。



 また、カトリーヌだけには決して不吉な予言を告げなかったというから、こうした彼の現実的な処世術が、「ノストラダムス」の名を大きくしていったような気もする。



 そんなノストラダムスだが、食関連では「ジャムの普及」の立役者として有名なのだ。


 「ジャム論」と称した彼の本は、最先端の美容・健康本として驚くほど売れたという。


 
 歴史上の人物は、多かれ少なかれ、虚と実が入り混じって伝えられることが多い

が、僕はむしろその方が、何か物語が隠されているようで面白いのだが。。。。。




     1999年から、10年が経った。



    記憶をまさぐってみても、不思議に焦りは感じない。   

岩田守弘

2009-10-16 09:47:51 | 日記
 「誰 ?」


 熊川哲也に黄色い声を上げる女史達も、岩田守弘について、詳述できる人は、粗方、少ないと思う。



 日本、いやロシアが世界に誇るバレエダンサー。



 ロシア・ボリショイバレエ団において、史上初、外国人ソリストとなった方。



 現在も、彼以外、全てロシア人。



 ボリショイ入団後、永きに渡り芽が出なかった。



 初めて与えられた役が「サル」。



 彼の偽わざる心境を察すると、正直(なんでサルなんだ) だったと思う。


 しかし、へたり込んだりはしなかった。「よし、世界一のサルを演じて見せよう」



 そして、折しもみごとな猿を演じきり、バレエにシビアなロシアっ子は、背丈166cm の東洋人に最大級の賛辞を与える。



 以後、どんな役でも断らずに演じ続けてきた。


 彼の身長から、華やぎのある王子役を躍らせてもらうことはない。


 しかし、「道化師」 「悪魔」 などの役では、他に比類なき存在感を示す。



 とぶ、跳ねる、回る、この技術においてはボリショイの中でもトップレベルだ。



 
  僕は、クラシックバレエのイロハもわからない。



 しかし直感的に、熊川のフェラーリで高速を走り抜けていくイメージのバレエ、長嶋茂雄的華やぎのあるバレエよりも、 岩田守弘のジープで浅間山の鬼押出しを這っていくような、故土井二塁手のように地味で堅実な踊りに、近い距離感覚を得られるような気がする。




  39才、岩田守弘、 盛りを過ぎた肉体で、今日も道化師を踊っている。

松本楼

2009-10-13 13:50:04 | 日記
 ヨーロッパの公園には、中心部にレストランがある。



 手探りで欧米文化を取り入れていた明治時代、日比谷公園の中に瀟洒な洋風レストランが誕生した。


 
 『 松本楼である 』



数年前、胡錦濤国家主席が来日した際、非公式の夕食会が、件の店で催された。


 何故、松本楼なのだろう?



 近代中国設立の父、孫文。  多額の資金援助により、彼の革命の後ろ盾となった人物が、このレストランに深く関わった方なのだそうである。



 中国では、「水を飲む人は、井戸を掘った人の恩を忘れない」 という諺がある

 田中角栄元首相同様、松本楼は中国にとって、偉大なる恩人なのだ。




 『 松本楼 』で有名なのが、年1度の「10円カレー、チャリティー」。



 1971年、過激派の放火により、松本楼は炎上してしまう。


 しかし、全国からの厚い支援のもと、チャリティーで再びオープンすることができた。


 この恩返しとして、「10円カレー」を催しているのだ。



 有楽町界隈に出向いた際は、日比谷公園に立ち寄り、松本楼のカレーに舌鼓しながら、ぼんやりと時間をやり過ごされるのも逸楽かもしれない。


 死語になりつつある、恩や儀、に感服しながら、、、、、

ハンガリー

2009-10-12 07:15:41 | 日記
「 ラ・カンパネラ、、、、そう、あのリストが編曲した難曲、ラ・カンパネラ。

 これを完璧に弾きこなせるピアニストは、現在、世界で4人だけなんだ。。。」



 東京芸大卒業後、ピアニストとしてメジャーデビューを試みたが、夢かなわず、現在、上野学園短大ピアノ科で教鞭をとっている、往年の宝田 明を彷彿させる男が、新宿のピアノバー「リフレイン」で、指導する学生達に語気を強めながら話す講釈



 不世出のピアニスト、リストを生んだ国ハンガリー。


 この悲哀漂う典麗な共和国は、永きに渡り、ハプスブルク家の統治下にあった。


 その為、食文化はオーストリアとよく似ている。


 パプリカを使った料理が多いのも特徴のひとつである。


 名前からして、南米産と錯覚しそうな、この食材、実はトウガラシを基に、ハンガリーでつくられたものなのである。



 近代においては、ドイツの蹂躙に耐え、第二次世界大戦後は旧ソ連の影響下、共産主義国となる。



 “ 雪どけ ”  “ ハンガリー動乱 ”  東西冷戦時代を、日本株式会社発展の大きな推進力として走り抜けてこられた、お父様方には、過去形で語りうる懐かしい言葉であろう。。。。。



 ドナウ川の右岸に位置していた “ブタ ” と 左岸に存在した “ ペスト ” が

合併してできた、首都ブタペストは、その美しさをして、訪れる者を、いささかたりとも飽食させることはない。




 ブタペストで温泉三昧の旅行日程もよろしいが、 世界一との呼び声も高い、

“カフェ、 ニューヨーク ” で、もの思いにふけるのも一興だ。



 

宇宙戦艦ヤマト

2009-10-10 10:43:57 | 日記
 4月6日


 戦艦大和が、沖縄戦へ突入するため、呉港から最終出航した日



 宮沢りえさんの誕生日



 僕がこの世に生を受けた日



 僕は、小学校中学年時代を、古代進と共に過ごした宇宙戦艦ヤマト世代である



 今も、ささきいさお、の歌うテーマソングを耳にすると、目がしらが熱くなる。



 そして一瞬後、もうあの頃には戻れないんだよな、、、という感慨が胸をしめつける。



 劇画のヒット後、Ⅱ、Ⅲ、新たなる旅立ち等、立て続けに続編が出たが、やはり最初の、沖田十三船長指揮下、デスラーが放つ放射能から地球を救う為、イスカンダル星へ放射能除去装置をとりに出航するヤマトが、心の中の宇宙戦艦ヤマトだ



 教室でも、宇宙戦艦ヤマトごっこが流行った。



 クラスの、小沢一郎的存在の黒幕が、勝手に劇画のキャラクターに生徒を当てはめ、それにみんなが喜ぶ。ただそれだけの遊びなのだが、一部では興奮が渦巻いていた。  当然のことながら、森雪には一番かわいい子が選出されることとなる。  
 古代進になりたかったであろうことは、彼の胸中を察して余りあるが、ボス自身の配役はなかった。



  宇宙戦艦ヤマトのテーマソングは名曲である。



 アニメソングの域を明らかに超える、日本が世界に誇るクラシックの名曲なのだ。



 文部省歌 (文部科学省歌?) に指定すべき良曲なのである。



 商店街、アーケード通りに「宇宙戦艦ヤマトのテーマソング」を流してもらえれば、消費者の購買意欲は確実に倍増される。  



 時代の閉塞感を打破する為、今ほど「宇宙戦艦ヤマトのテーマソング」が必要とされる時はない。



 自民党が、真の保守政党として蘇る為に、是非「宇宙戦艦ヤマトのテーマソング」を党歌、応援歌の一つに入れていただきたい。



 来年、配役のごたごたを乗り越え、映画「宇宙戦艦ヤマト」が公開される。