
毎年名城公園で開かれる「名古屋朝顔展」今年も見てきました。
テレビでも紹介れたとかで暑い日なのに見に来られる方が続きます。
丈と幅も小さく花は大きい盆栽仕立ての朝顔です。
24日の初日から2日間はそれまでの天候不良を受けていたのが26日の今日は見事な花が揃って
大輪のピンクや青、茶系統の渋い色、縞模様と会場いっぱいに並んでいました。
朝顔会の会員の兄も出品して今日は賞もいただいて上機嫌、今年から兄嫁さんも出品して入賞。
人位(3等)ながら門前の何とやらでいよいよ二人揃って花作りのようです。



父も名古屋朝顔が好きでした。
明治の終わりごろ小学校を出て奉公したのが漆塗りが家業の私の祖父の家。
早朝から夜遅くまでの奉公の苦労話も時々聞きました。
奉公して間もない頃、店の主人が育てた朝顔がきれいに咲いているのを見て褒めたそうです。
家族の誰も見てもくれないのに小僧が目に止めてくれたこをとても喜ばれたのだとか。
「好きか」と聞かれて「好きだ」と答えたくらいのことだったようです。
その時の印象が良かったうえに父の努力もあったのでしょう。その後塗師屋の跡取り娘の婿養子に
なり20年後に末っ子の私が誕生。
子供の頃、嬉しそうに朝顔の鉢を手入れしている父が思い出されます。
でも、そのころ家族はあまり関心がなかった。母もせいぜい朝顔展の会場で皆さんにお抹茶を立てて
いるくらいのことでした。
その父がなくなってからなぜだか兄が朝顔を作りはじめて今では夢中です。
父が生きていて一緒に見ることが出来たら・・・もう50回忌も過ぎたけれどきっと喜んでいる
はずと思います。
祖父、父、兄と繋がった「名古屋朝顔」なのに私は作る気になれずにいます。
竿や垣根に絡まって自由に伸びた蔓の先に花を咲かせる朝顔の方が好きだから・・・
これは兄には内緒の話です。
変化朝顔の一種なんですね。
愛好家になりたくてもかつては門戸も閉じられていたとか。
そう言う独特の世界を守って好成績を残されつつ、菊づくりの達人でもあられる兄上はやっぱりボクなんか足元にも及ばない花咲爺中の花咲爺です。
江戸時代に江戸で流行した変化朝顔の愛好家が近所にいて、ボクにタネを何種類かくれました。
発芽さえ難しいんだそうですがちゃんと咲かせることができ、大変喜んでいただいたのですが、心底惚れこむということも無く、新たに採取した種は引き出しに閉まったままです。
朝顔はボクも大らかにツルを伸ばしてあげて咲かせるのが一番だと…
それが一番夏らしい。
今は自由に買うこともでき講習会も開かれています。
変化朝顔咲きましたか!それはすごーい!
兄は今名古屋朝顔より変化朝顔にはまっていますが
なんだかね~と思う姿と花でも育てるのも難しいようですね。
15年ほど前にくも膜下出血で倒れて危険な時期もありましたが
退院すると数か月後には朝顔の種を蒔いて作り始めました。
花作りが復活の源だったようです。
今85歳、まだまだ頑張っています。
嬉しかっただろうと思います。
祖父は私の生まれるずっと前に他界して写真も焼失して残るのは肖像画1枚だけ。
でも、繋がっているのだなと思います。
夏い似合う花は朝顔ですね!
名古屋朝顔がお祖父さん、お父さん、そして
お兄さんと受け継いで朝顔を愛し、育てるなんて
素晴らしいですね!
小さな台風ですが被害が出ませんようにと願っています。
いつの間にか兄も朝顔を育てるようになってやはり繋がっているようです。
これからも元気で花を育てていって欲しいと思っています。
朝顔と言えば小学校の理科で育てたつるの朝顔。
私の育てたのが思いのほか綺麗な色に咲いて自慢だったっけな~
台風が近づいてまた雨の朝です。
昔、名古屋朝顔は盆栽風に小さく育てて床の間に飾り楽しんだようです。
夏の朝に知人を招いて朝顔を愛でながらお抹茶をいただいたとか。
今も小学生が朝顔育てていますね。
せしおさんにもいい想い出が・・・(*^-^*)
蔓でぐんぐん伸びていく朝顔と比べると、
お花が確かに大きいですね👍
小さくても台風、今は風雨が強いです。
名古屋朝顔は株は小さく育てて花を大きく咲かせるのが特徴。
普通に植えれば普通に伸びて少し大きめの花が咲きます。
この方が私は好きです (*^^)v