退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#625: アメリカのお葬式

2016-02-14 21:44:17 | アメリカ便り
土曜日は近所の人のお葬式に行ってきました。
86才のおばあちゃんで、もう何年も慢性腎臓病をわずらっていたそうです。
最後の半年はいつ死んでも良いような状態で、5人いる子供たちが入れ替わり立ち代り、介護に尽くしていました。
その家の前を毎日2回ジュンタをつれて歩いている私は、娘の一人ケイティーと話すことが時々ありましたが、ケイティー曰く、痛みがひどいそうで、モルヒネを打ってもらっているけど、あまり効かなく、一日中痛みに苦しんでいるとのこと。
90才になるご主人も自身の看病が必要な感じなのですが、昼夜を問わぬ看病でだいぶ疲れていました。

私がこの土地に住み始めて丸30年。
ということは、私たちが引っ越してきたとき、このご夫婦は今の私より若かったんです。
年というのはこのように、“相対的に”、つまり自分の子供や親を含んだ周りの人たちを見て感じるとつくづく思います。

奥さんは150センチあるかないかの小さい人で、いつも金髪の髪をおかっぱに切っていました。
この奥さんの姿というのは、部屋着で草を刈っている姿しか思い浮かびません。
最初は、“押して刈る”やつで、しばらくして電動芝刈り機になりました。
長いコードを目いっぱい伸ばして草を刈っていた姿が、懐かしく思い出されます。
こちらでは電動芝刈り機というのは非常に珍しく、ほとんど見かけないのですが、このおばあちゃんはどういうわけか電動なんです。
一般的なのはガソリン式です。

アメリカのお葬式ですが、こちらにも日本の葬儀屋さんにあたる人がいて、亡くなった人のお世話をしてくれます。
葬儀場(フュネラルホーム)もあり、そこで日本に当たるお通夜(こちらではビジテーション)が行われます。
時には告別式(サービス)みたいなものも、そこで行われます。
今回の近所のお葬式のように、教会に熱心な人は属する教会で全部済ませることもあり、それほど厳格な規律はありません。
ビジテーションでは、お棺のふたが開けられて、訪問者が一人ひとり順番に亡くなった人に別れを告げます。
お棺の中で横たわっている亡くなった人を見ると、本当にただ、“永遠の眠りにつく”という感じがします。
そして、亡くなった人の身内の人と言葉を交わしたり、たくさん張り出された思い出の写真を見て回ったりします。
これは大体1時間ぐらいで終わり、次は教会で告別式となります。
私は今まで、告別式というのはほとんど出たことがありません。
たいていがビジテーションだけです。

でも亡くなったおばあちゃん、痛みに苦しみながら何を思っていたんでしょう。

ハブグレジュンタのマミー

今日は朝7時半から9時半の2時間の間に4センチほどの雪が振りました。
おかげでい、ジュンちゃんは喜び、主人は雪かき。







ジャンコ