退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#630: 再度の自己紹介: 家族編

2016-02-20 17:49:51 | アメリカ便り
昨日、今日と、ここアメリカ中西部は暖冬というか、初夏の気候でした。
なんと77’F(アメリカはファーレンハイトと言って、アメリカの賢くない国民性を反映した、自分勝手な、そして他国と協調性のない単位を使っています)。
つまり25’C。
おかげで、人は久しぶりの半袖、ショートパンツ。
冬は寒いもの、と思っている私は娘がクリスマスに買ってくれた、“千と千尋の神し”の“顔なし”のセーターを着て久しぶりのセントルイスアートミュージアム。
3年ぶりぐらいで来たら、中はだいぶ変わっていました。
子供たちが小さいころは、セキュリティーの人に行く所、行く所付きまとわれたものでした。
どうしてかって?
我が家の子供たちがうるさかったからです。
懐かしいですね。
今は静かに、いくら時間をとっても騒ぐ餓鬼がいなくて、ゆっくりぶらぶら。
さびしいと言えばさびしいことかも。

帰りはいつもの古着屋によって靴とバッグを買いました。

さて家族のことです。
子供は二人、24才の男の子とと26才の女の子です。
実は最初の子が生まれる前に3回も流産をして、その後手術と薬治療を2年間しました。
二人目は先生に“待つな”と言われたため、最初の子が生まれて21ヵ月後に出産。
間が近いと言うのは仲がよく遊ぶと言うより、互いに競争心満々で喧嘩ばかりというのが現実。

いや~ひどかったですね。
3回ほど日本から両親が来てくれましたが、私を哀れに思ってくれました。
3ヶ月の育休を2人にそれぞれ取って、終わったときは喜んで仕事に戻りました。
この子達はこちらで、コリックと言われて、“とにかく何をしても泣き叫ぶ子供”と言うのを2ヶ月(生後1ヶ月ぐらいから2,3ヶ月ぐらいまで)づつやってくれました。
保育所は、モンテソリーにしました。
3歳から、公文(算数)、サッカー、そして5歳からスズキチェロを始めました。
と言っても、最近話題になった、子供3人東大医学部に入れたような教育方針ではないですよ。
宇宙飛行士になりたくてアメリカにやってきた母親の教育方針は、そんなちっぽけな(失礼)ものではないのです。
立派な良い人間として生きていくための教育方針なのです。
つまり、大岡越前、子連れ狼のような人間、これは冗談です。
つまり、私の教育方針は大学に入るまでではないのです。
人生で常に良い判断ができるような人間になってほしいのです。

私の子供がこの後どの様に生きていくかは、まるっきりわかりませんが、良い判断ができるような子供に育っていると思います。

親ばかかしら。

セントルイスアートミュージアム

玄関前に立つ銅像







前の池。雪が降ると大勢の人がこの坂でそりすべりをします。





ゴッホです。





後はいろいろ。









ハブグレジュンタのマミー