退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#995: なんで?

2018-03-11 21:54:28 | アメリカ便り
昨日は東日本大震災発生から7年目の日。
7年たった今でも地球の反対側で、テレビに釘付けになった日を覚えています。
父方は南相馬出身の家系。
今でも親戚が住んでいますが、福島原発事故のため、タバコを作っていた畑がだめになり、老いも手伝って年金暮らしとなりました。
2012年に車椅子で軽い認知が入った母を仙台空港からレンタカーに乗せ、その親戚に会いに行きました。
親戚の家は高台にあり、少し海から離れていたので家屋の被害はまぬかれました。
家を出て、海に向かっていくと本当に何も残っていない。
見渡す限り裸の土地が広がっている。
あるのはコンクリートの家の土台だけ。

一瞬の出来事で人生が変わる。
切実にそれを感じました。

松島、石巻を回ってその日は松島付近で一泊。
そこには葬式参列者が黒服を着て集まっていました。
話を聞くとなしに聞いていると、震災の被害を受けたお年寄りが、心筋梗塞で亡くなったそうです。
消えることのない、つらい思い出を抱えているみなさんの思いが、見ているだけで伝わってきました。

今日は辛抱さんの“そこまでいって委員会”でも東北大震災を取り上げていました。

ここで感じたのは、“朝日新聞、何でこんな新聞の存在がこの日本で許されているの?”でした。
いや日本だから許されているのだと思う。
“まあまあ”、といった、何に対しても事なかれ主義の日本、日本人。
文句を言ってくるとしたら在日。

決着をつけたがるアメリカ主義とはかけ離れている。
もし朝日新聞的新聞がアメリカに存在していたら、とっくにつぶれていたでしょうね。
いくら、在日財閥、朝鮮連合の資金で支えられていたとしても。
アメリカ社会は日本みたいに包容力がないから。
記事を書くたびに誰か彼かに告訴されているでしょう。

ゲストの一人が紹介した朝日新聞の当時のいい加減さ。
“吉田所長の命令に背いて9割の職員が原発を去って行った”。
事実はほとんど全員が危険この上ない原発にとどまった、とのこと。
この記事を見て当時の原発職員の悔しさは考えられないものです。
これは、必死に日本のためにがんばっている人たちへの冒涜以外の何者でもないでしょう。

何なんですか、朝日新聞って。
先ほど見たブログの記事に朝日新聞の入社式が出てましたが、舞台の上に中国と韓国の旗、そしてその間に朝日新聞のロゴ(このロゴ自体が日本の旭日旗みたいなんですが)。
ブログを見ただけで実際に確認はしていませんが。

日本の新聞であるはずの朝日新聞(だけではありませんが)がこのような反日本、反日本人的な記事を書くその意図というのは、あまりにも見え見えなのですが。
慰安婦のことだって、国自体が告訴したっていいと思いますが。
国連が韓国の慰安婦問題を却下した今、告訴しましょう、朝日新聞を。

ADH キキ、家に来たときは11パウンドでしたが、火曜日には17パウンドでした。
相変わらず、おしっこうん子はところかまわずし放題。
反抗期も始まりました。



先月の満月



レッドウイング ブラックバードの子供。初めてやってきました。





今日は0度。雪が降りました。





ハブグレジュンタのマミー